「期待」はしない。ただ「信頼」するだけ。
4月に入ってからの私は、とても苦しい気持ちが続いていました。
新しい環境、新しい生活リズム、今まで出来ていたことがこなせないストレス・・・
しかしそれだけではなく、
理由が分からない「漠然とした苦しさ」がずっと纏わりつき、引っ越し作業が落ち着くのに反して、体は日に日に重たくなっていきます。
どうやらこの原因は「気持ち」の方にありそう。
でも思い当たる明確な理由が分からない。
ここ数日の私は、暗闇の中でその原因を手探りで探す、そんな毎日でした。
そして今日、ようやくその輪郭を掴んだ感覚があったので、少し記事に書いてみようと思います。
結論から申し上げますと、
苦しさの原因は「期待のしすぎ」にあり、解決の糸口は「信頼」にありました。
「期待をする」
これは「こうであって欲しい」という自分のエゴから来ているもの。
その中には願いや祈りも含んでいたりするので、決して悪い物ではないはずですが、
期待しすぎてしまうと、それに反した現実に直面した時、「期待外れ」「こんなはずじゃなかった」「裏切られた」「失望」といった、実に身勝手なマイナスな感情が現れます。
新しい環境になって、私は自身に対して強く「理想の自分」を期待していまい、
その結果、少しのズレでもネガティブな感情が吹き荒れ、知らず知らずのうちに自分の首を絞めてしまっていたのです。
でも、かと言って「期待をしない」というのは、何だか冷たい感じがしますよね。
まるで「期待をする価値もない存在」と、見捨てられるような気持ちにもなってしまいます。
ではどうしたらいいのだろう。
私は藻掻きながらどうにか苦しさを和らげようと、手を伸ばしてみた先にあったのが、「信頼する」という言葉でした。
期待からズレ、理想からズレ、「自分なんてダメだ」といくら自分自身で傷つけようとも、”私の人生" からは外れられない。外れたくない。
その意地を漠然と信頼してみようかなと、ふと思えた瞬間、息苦しくなっていた体の重みが少し和らいだのを感じました。
期待はしなくていい。
しなくていいけれど、それは諦めて見放すことではなくて。
存在や生命そのものを信頼してあげられれば、それだけでいいのかもしれないと、今日気が付くことができました。
これは自分だけではなく、他者に対しても同じように考えられたら素敵だなと思います。
例えば、隣の誰かが大きな夢を語っていたとして。
「叶うといいね」と期待するより、
「あなたならできるよ」と、
その叶えようとする前向きな生命の力を信頼してあげる方が、より大きな力を持っているような気がしたのです。
たとえその夢が叶わなかったとしても、
そこへ歩もうとした意志や力、努力した時間は、新たな糧となり、きっとその人を明るい未来へと導くはず。
生きているのだから「大丈夫」なのだと、その生命を漠然と信頼する。
他人にも、自分にも、
そのような感覚で接する生き方をしたいなと、そう思った一日でした。
終わりに。
最近の私のnoteは少しネガティブな内容が続いておりますが、
4月に入ってからの近況といたしましては、引っ越し先でオーブンのある電子レンジを手に入れたので、手軽なお菓子を作ってみたり、
「筆ペン」に興味が出始め、「写経」に挑戦してみたり、
新しいことにも手を出し始めているので、そんな日常もnoteで発信できたらいいなと思っております。
では、今日はこの辺で。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
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