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【毎日投稿250日目】「習慣」の持つ有り難さを、ようやく知る。

今日から5月が始まりました。

振り返ってみると、私にとって今年の4月はびっくりするくらいあっという間で、「光陰矢の如し」という諺をこんなに体感したのも初めてかもしれないなと、しみじみ感じています。

(由来は所説あるそうですが、この諺の元となったとされる言葉は平安時代の古今和歌集や中国・唐の時代の漢文などに見られ、昔の人々も同じような感覚を抱いていたことを知り、少し慰められるような気持ちになります。笑)



noteを振り返ってみても、記事はなかなか書けておらずつぶやきを残すだけで精一杯であったことが窺え、客観的に自分を見てもずいぶん駆け足で過ごしていたひと月だったことを改めて感じました。


何故、記事を更新できなかったのだろう?


「時間が無かった」「頭や心に余裕が無かった」ということも大きな理由なのですが、今回私の場合、一番大きな要素となったのは、

『夜になると、明日が不安で仕方なくなる。』

という点にありました。



去年の私は主に夜、ゆっくり一日を振り返りながらnoteに向かうことを日常のルーティーンとしていたのですが、
転職をきっかけに一日の時間の使い方がガラッと変わり、記事を書く時間の確保が不安定になったことに加え、
新しい環境に対する不安が夜に顔を覗かせ、毎日明日への緊張と不安で落ち着かなくなってしまい、文章を書いているどころではなくなってしまっていたのです。



今回のこの出来事で、私は今まで知らなかった自分の多くの側面を知ることができました。

「不安は夜に突然襲ってくることがある」
「気持ちに余裕がないと文章が書けない」
「今の自分は想像以上に追い込まれている」
「でもnoteはまだ止めたくない」
「もう少し頑張りたい」


かの有名なイチローが多くのルーティーンを持っていたことは有名ですが、私も『文章を書くこと』を習慣にする試みをしてみて、『習慣』が担う ”心の安定” の大切さを、少し感じることができたような気がします。



『習慣』をひっくり返してみると、『慣習』という言葉になりますが、
こちらはもっと集団に根差した文化的な意味合いが強く、「伝統」や「儀式」というニュアンスを含んでいます。

『習慣』は個人の日常に帰属した言葉ですが、
その一つ一つに『慣習』のような想いを明確に組み込んでいけば、自分の人生を支える主軸のような存在になるのかもしれない、なんてこともふと思いました。


行動一つ一つを丁寧に、布に模様を織り込むような気持ちで、
人生も紡いでいけたらいいなと感じた5月の始まり。
気持ちを新たにまた一歩踏み出してみようと思います。



では、今日はこの辺で。
最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございます。


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