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愛を運ぶ、やどかり

皆さんこんにちは。

きっかけアクセサリー作家の、音海奏乃です。

今日は金曜日。

とっても久しぶりに、かなののことば、かなのわーずの更新をします。

これまで、何してたの?

とても久しぶりに更新するので、かなのわーずの記事だけを見ている方にはなぜ、しばらく姿を見せなかったのか気になるところだとは思います。

それについてはこちらの記事にまとめてありますので、もしよかったらそっと目を通して、遠くのヤドカリへ思いをはせてくださいませ……。


ヤドカリと、愛の、出会い

さて、今回は何の話かというと、音海奏乃ことヤドカリが過ごした素敵な2か月ぐらいとそこからたくさんのことを学んだ、というお話です。

それはまるで、絵本のような体験でした。

ある小さな潮だまりに、それはそれは小さなヤドカリが暮らしていました。

ヤドカリは自分にできる精一杯のことをして、何とか毎日暮らしています。外の世界にもあこがれましたが、心配性で臆病なヤドカリは「自分には潮だまりの外へ行く資格なんてない」と思っていました。

ある日、その潮だまりに、一人の人間がやってきました。ヤドカリは、いつもこの潮だまりに来るこの人間を知ってはいますが、遠くから見ているだけ。けれど、どうしても外の世界を知りたかったヤドカリは、思い切って声をかけてみたのです。

「あの、潮だまりの外って、どんな世界ですか?」

変なこと言ったかな、どうしよう。勢いで言ってしまった後に、少しパニックになりましたが、人間はこう言いました。

「なんだ、外の世界に興味があるなら、教えてあげるよ」

人間は、それはもう親切に、潮だまりの外の世界について教えてくれました。あぁ、声をかけてよかった。これで外のことを知ることだけでもできたから。ヤドカリは十分に満足しましたが、人間はこう続けました。

君はいつも一生懸命に暮らしているからね、よく見ていたから知ってるんだ

はっとして、ヤドカリは思い出しました。この人間は、潮だまりに来るたびに、ヤドカリを気にかけていたのです。けれど、ヤドカリにはそんな余裕がなく、いつもそっけなく隠れていました

「頑張っている姿を知っているから、力になれてよかった。もっと、できることがあったら、頼んでよ」

ヤドカリの心に、その言葉はすっと、けれど優しく、刺さりました。今までなら、きっと拒絶していたであろうその言葉に、今回は深く心を打たれたのです。

それから、人間と何度か会って、話して、お互いのことを知るようになりました。ヤドカリには、今まで感じたことのないような幸せな気持ちが芽生えていきました

けれど、やっぱり恥ずかしがり屋なところは変わらず、人間が帰り際に振ってくれる手のひらに、はさみを振り返すことはできませんでした

「また今度、次は1か月後に来るね。君は、頑張り屋さんだから、無理しないで」

楽しい日々を過ごしていたその日も、人間はいつものように手を振って、そう言い残して去っていきました。

1か月後。人間は、約束の日に現れませんでした。何の連絡もなく、さらにもう1か月。突然、人間の仲間だという、別の人間が現れて、声をかけてきました。

「あの人間は、しばらくここに来られないんだ」

それだけ言うと、別の人間は去っていきました。ヤドカリは、誰もいなくなった磯を見つめ、当たり前だと思っていた、あの人間と会える日々に、思いをはせました

潮だまりに人間が来ることはなくなり、ヤドカリは、また一人ぼっちで潮だまりで生活していますが、これまでとは違いました。

さみしいですが、あの人間を思い出すと、温かい気持ちになって、頑張れるのです。

これからも、ヤドカリはたくさんもらったその愛を大切にしながら、小さな潮だまりで一生懸命暮らしていきますとさ。

……大まかに書くと、こんな物語でした(もちろん、人間同士ですが)

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後で悔しい思いをしたからこそ

今になって振り返れば、ヤドカリは、人間からたくさんの愛をもらっていたのです。

気にかけてくれること、これがいかに大切なことか、今までも気にかけてもらっていたのに、気が付きませんでした。正直、介護と家事でいっぱいいっぱいで、「私は一生懸命やっているのに、他人が干渉してくる!」なんて思っていました。

それに、私の子供のころの経験から、「きっとこの人だって建前でしょ」と偽善だと思い込んでしまっていたのです。さらに悪いことに「私のことなんて心配してくれる人がおかしい」とまで。

だから、その優しさに、愛に気が付くには、2年以上かかりました。その間も、あの人は態度を変えることなく、私のそばにいました。

「わざわざ苦手な人に近寄って助けないよね」

ある日、知り合いとの会話で出てきたこの言葉。この言葉で、気が付きました。

「私、あの人に、嫌われてない……かも」

そう気づいてから、今までの態度を反省して、きちんと謝りました。

「そんな風には見えてなかった、気にしてないよ」

そう言ってくれたものの、やはりどこかで「ずいぶん失礼なことしてきたから、どうしよう」と思わざるを得ませんでしたが……。

謝ってから、改めて、きちんと話がしてみたい、そう伝えました。本当は、ずっと家にいる自分が、外で働いている人と会話して、大丈夫かな、そんな資格あるかな、ぐらいに思っていました。

でも、杞憂に終わりました。

少しずつ自分のことを話すようにもなって、逆に相手の話も聞くようになって、いろいろなことを知る。そのうちに「あぁ、今までの生き方も、間違ってなかったんだ」と、気づきや発見がたくさんあったのです。

その人は、とにかく褒め上手な人でした。私は、謙遜が美徳だと思っていたのですが、どんどん崩れていくぐらい、褒めてきます。褒められなれていない私は初めこそ疑いましたが、何度も言われるうちに、あ、本当に言っているんだな、とわかるように。

その人に会える日が来るたびに「次はこういう話をしよう」とか「こんなの好きかな」とか、楽しい気持ちでいっぱいになっていました。

帰り際に手を振ってくれるたび、嬉しかったのに、やっぱり恥ずかしくて、「次こそは」と繰り返していたある日、それは突然できなくなりました

詳細は省きますが、とある事情で、その人は私に会いに来れなくなったのです。初めは共通の知人経由でさえ事情を聞かされず、とても心配しましたが、本人は生きていて元気だそうで安心しました。

けれど、「振れなかった手」については、すごく後悔しました。

命も、財産もとられるわけじゃない。なのに「次でいいや」と後回しにした。あの人は、まっすぐにこっちを見ていたのに。

だからこそ。

いつ終わりが来るかわからないからこそ。

大切な人には大切だと、言葉で、態度で、示していこうと固く決意しました。

一人になっても、一人じゃない

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こうして、私はあの人と会えない日が続き、3か月が経とうとしています。

また、ひとりぼっちになってしまいましたが、前とは全く違います。

ふとした拍子に「あの人なら何て言うかな」とか「焦らなくていいんだ」とか、あの人のことを思い出します。

一人にはなったかもしれませんが、あの人と過ごした日々はなくなっていません。あの人からもらった愛も、なくなりません。

だから、一人でも、心は温かく、愛を感じるのです。

それだけじゃありません。

あの人と過ごすことで、たくさんのことを学び、気づき、成長しました。その成長は、確実に自分の力になっています。

今度は、私が、あの人のように愛を渡せるようになりたい。

そんな、新しい目標もできました。

いつか、あの人に再会できる日がきたら、今度はきちんと伝えたいから。

「あなたのおかげで、今の私がある」

……と。

きっかけアクセサリー作家

音海奏乃


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