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生きている、その事実だけ、垣間見る

こんにちは。音海奏乃です。

今日は金曜日。
ということで、かなのわーずの日。

今回は、人と、私の「生きる」を感じる瞬間。
そんな、お話。

人が、いきいきしているから

人が、楽しそうに過ごしている。
その姿は、なんだかこちらまで楽しくなれそう。

必ず楽しい気持ちになるか?
もちろん、そうではありませんよね。
そういう姿に、嫉妬する自分がいるときも、ある。
それでも、いいんです。
そこに、「生きている」を感じるのです。

人の楽しそうな姿を見る。
それをみて、「楽しそうだなぁ」と思う。
ふわっと気持ちが明るくなったとき。
その人が、生きているなぁ」と思います。

一方で、嫉妬が芽生えてしまったとき。
「あの人ばっかり楽しそう」とか。
「自分にはそんなチャンスないのに!」とか。
そう思うのは、普通のこと。誰にでもあります。
そうして少し、心がささくれ立ちそうなとき。
私が、生きているなぁ」と思います。

楽しそうに人生を送っている瞬間を見たとき。
「その人」に幸せなことがあったんだな、と想像します。
そこから、なぜそんなに幸せなのかも、想像します。
それはその人が「自分らしく生きているから」だと仮定して。

その人の、いいことがあった人生。
その一部を、垣間見ている
そんな気がしてくるのです。
それがなんだか、面白い。

一方で、嫉妬してしまったとき。
矢印は、自分のほうへ向いています。
「あの人だけ楽しそうで、うらやましい」
「私だって、もっと自由にしたいのに!」
そういう感情が出てくると、ふわわ、と変換します。

その感情は「そういう自分を叶えたい!」という欲求
欲求を抱く、それは、人生をよくしたいと思っているから。
このままでいいや、と思うならば、欲求は生まれません。
だから「自分にもそうしたい欲求がある」と自覚します。
その欲求は、生きていないと生まれません。

だからこそ、その瞬間に「生きているなぁ」と思うのです。

人が、落ち込んでいるから

先ほどと同じ理由で、逆パターンもあります。

その人が落ち込んでいるとき。
「生きていれば、そういうこともあるよね」
と思うことがあります。

「生きているから、わかること」

どんなことも、経験・体験しないとわからない。
それが、生きているうちにしかできないのなら。
なおさら、貴重なものに感じます。

当の本人は、苦しかったり、つらかったりするでしょう。
そんな人に「それも経験だからさ!」とは言えません
その答えは、後にならないとわからないからです。
自分で掴まなければ、わからないことがある。
その前には、どんな言葉も無意味だと思うのです。
言葉にも、TPOがありますから。

落ち込むという感情を伴う、経験。
そこから何かをつかみ、立ち上がるという体験。
その後日談を見聞きしたとき。
その人は、生きているなぁ」と実感します。

もし、自分がそういう側だったときは、どうかというと。
落ち込んだり、心が苦しかったり。
その感情を、まずはじっくりと感じて。
それが感じられるのは、生きているからだなぁ
なんて、とらえ方を変えて。
これからどうするほうがいいのか、心と相談していきます。

「つらく、苦しい、その瞬間」
そこだけにフォーカスすると、目の前は真っ暗です。
生きているからこそ、味わえる感情
そう、考え方を変えて、半歩でも、指先分でもいい。
立ち上がって、進んでいける力を取り戻せたら。
新しい私が、生きているなぁ
そう感じられる日が、来るのではないでしょうか。

客観的に、生きている

見える範囲にいる人の、喜怒哀楽。
それに振り回されると、大変です。
SNSなどが発達して、人の「生きる」が見られてしまう時代。
「生きている痕跡」みたいなものが残るメリットもあります。
でも、メリットだけで覆いきれない部分も。

その人に、無視された。
その人が、更新をやめてしまった。
その人を、好きだったのに。
その人と、頑張ってきた。

そういった感情を抱いたそのとき。
単に感情任せに攻撃をしたくなる人もいるでしょう。
そうする前に、思い出してほしいことがあるのです。

「相手も、生きている」

生きていれば、忘れることだってあります。
怒ること、止まること、嫌いになること、離れていくこと。
あなたにも、私にも、あてはまる

他人の「生きる」が見える。
それ自体は、いいことなのかもしれません。
でも、「生きるを押し付ける」ことはできません
その人には、その人の人生と、時間の使い方、感情がある。
それは誰にも、邪魔する権利はないのです。

もし、思わず、攻撃的になりそうになったら。
相手も、生きているんだっけなぁ
そう、気楽に構えてみてください。

生きているから、そういう考え方の時もある。
そういう気分の時も、タイミングの時もある。
そんなことは「当の本人」にしかわからない
理由を説明する時間も、余裕もないかもしれません。

その瞬間は、こうおもうこともあるでしょう。
「裏切られた!」「最低な奴め!」などなど。
そうしたら、そう思っている自分が、生きている証拠
自分も生きているんだなぁ」と、余裕を見せましょう

「ああ、今日のあの人は、そういう風に生きているんだなぁ」
「おお、今日は私も、こういう風に生きているんだなぁ」

そんな風に、大空から見たような視点になって。
客観的に、「生きている」を感じてみる。
そうしたら、だんだんと落ち着いてきます。
「意外と、生きているだけだったなぁ」
そんな風に思えたら、達人の域です。

人の「生きる」を見て、自分の「生きる」を感じる。
なんだか不思議ですが、これがまた面白い。
ぜひ、これからは皆さんも。
日々の暮らしに、「生きている」を探してみませんか。

音海奏乃

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