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帰国生の私が教室で経験したこと。

こんにちは。

私自身のことを通して「こんな人もいるんだ」ということを伝えたいという思いで始めたnote。今日は、私が「多様性を尊重しあえる社会をつくりたい」と考えるようになるきっかけになった出来事について書きたいと思います。

私は小学生のころに数年間、東南アジアのとある国に住んでいました。この海外生活は、私にとってかけがえのない経験であり、私の中にたくさんの価値観を育ててくれました。

中学に入学するタイミングで帰国した私は、日本の少し田舎の中学校に通い始めました。

帰国生なんて珍しい田舎の学校。しかも、なじみの薄い発展途上国から来た私に投げかけられた同級生からの数々の質問が、私にとってはとても気にかかるものでした。

「英語ペラペラなの?」に続いて、「その国、テレビあるの?」「ご飯食べれてた?」「そんなところに行って楽しかったの?」など。

きっと中学生の頭の中には、「発展途上国」というキーワードから、「テレビで時々見る最貧国のさらに田舎の方で飢えに苦しむ人々の情景」が浮かんでいたのだと思います。

それはそれで知識がないだけで、仕方がないことだったのだと思います。ただ、その質問の端々に、どこか日本を優位に、私の第二の故郷でもあるその国を下位にとらえて見下しているようなニュアンスが入っていたことが私にとって悲しいことでした。

さらに、一部のクラスメートは私のことを「黒」「黒人」と呼びました。

それは私に向けられた言葉でしたが、同時に黒人の方々を馬鹿にしている様子が見て取れました。この時私は、自分がからかわれていること以上に「どうして肌の色を理由に馬鹿にしたり排除しようとしたりできるのか」というところに強く憤りを感じていました。

それまで、様々な民族の方が一緒に暮らす国で生活していた私は、いろいろな文化に触れ、純粋に異文化を面白いと感じ、日常の中で様々な肌の色の人たちにお世話になってきました。だからこそ、生まれた感情だったのだと思います。

これらの出来事を通じて、中学生なりに思ったのが「世界にはもっといろいろな国、文化があり、いろいろな人たちがいると知ってほしい」ということでした。

しかし、ただでさえ同質性が強く、人と同じであることを求められる日本の中学校。

帰国生というだけで目立ってしまうその場所で、当時の私は思いを行動にするどころか、ただ黙っていることしかできませんでした。

このときの悔しさが私の出発点であり、原動力となっています。



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