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お腹の子がくれた【自分らしく生きる力】

今、あなたが歩んでいる道は、思い描いていた人生ですか?今、あなたは何にときめき、わくわくしていますか?あなたらしく生きていますか?

私は今、幸せです。ですが、かつて思い描いていた人生ではありません。それでも幸せだと言い切れるのは、自分らしく、生きられるようになったから。この生き方を教えてくれたのは、お腹にいる赤ちゃんです。

妊娠という奇跡体験は、私の心を強くしてくれました。妊娠することが正しいと言いたいわけではありません。子どもがいる生活を望む人、夫婦2人の生活を望む人、それぞれの想いがあると思います。これは28歳で妊娠中に退職を決意し、現在妊娠37週を迎えた妊婦の話です。こんな人も世の中にいるんだな、という程度に思っていただければ幸いです。

他人と自分を比較する必要はない

子どもを授かりたいと心から願ったのは、転職した先で心と体がボロボロになり、休職をしていたときのこと。当時の私は「空っぽになっていく自分が嫌い」、「みんな頑張っているのに、自分だけときが止まっている」と、いつも心が満たされず、虚しい気持ちでした。人生ではじめて心療内科に通う日々を過ごしていました。

28歳の自分。もうすぐ30歳になるという焦り。30歳までに何者かにならなければいけないわけでもないのに、30という数字は人生の大きな転換期に思えたのです。このまま休職を続けてこの先、何になるのか。何もしない生活をして、満足するのだろうか。ただ休むという生活を変えたくて、転職活動を続け、精神状態を保とうと必死でした。

そんなある日、友人と会ったときのこと。「私、今妊娠していて体調悪いんだ」。友人の祝福すべき報告に対して、心の奥の何かがもやっとする感覚に気づいたのです。妊娠……。私は本当に転職したいのだろうか。子どもを授かれる体なのだろうか。もし、自分の体に何かあったらどうしよう。何歳で授かることができるだろうか……。

働きながら子どもを授かれた友人のことが、ただただ、羨ましくて仕方なくて。

ああ、私って何がしたいんだろう......。
普通に働けている人が羨ましい。
平日暇でいいよねって思われているんだろうな。
キャリアを築いていく年齢なのに。

友人とランチに行くとみんなは仕事の話で盛り上がる。働いていない私には苦痛の時間で、誰かに必要とされているキラキラした友人と自分を比べてまた自信をなくすという休職期間でした。

そんなある日、心療内科の先生の言葉によって私の人生は動き出しました。

「周りと比べる必要はありませんよ。うまくいっていると思う人も、案外、そうではないですから」

物凄い数の患者さんと向き合ってきた先生にそう言われ、私は私でいいのだと思えたのです。「私なんて……」でいっぱいだった心が軽くなった瞬間でした。

私が1番望んでいることは何だろう、と考える間もなく、お母さんになりたい、とずっと心にしまいこんでいた言葉を夫に伝える覚悟ができたのです。

子どもを授かるという奇跡体験がもたらした心の変化

休職して半年が経過しても、なかなか退職という決断ができずにいた私。それなのに、妊娠したという事実が今までのすべての悩みを面白いほどに、どうでもよくさせてくれたのです。

"自分の未来と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくる。親になるって、未来が2倍以上になること。子どもがいると明日が2つ。それも自分よりずっと大事な明日”

自分よりも大切なものができたとき、瀬尾まいこ著の『そして、バトンは渡された』に書かれているこの表現には納得するしかありませんでした。

妊娠7週目には悪阻が始まり、食べることも飲むこともできないという、まさに生きた心地がしない生活。「悪阻はいつか終わるから」という言葉なんてまったく信じられず。ただ、長い1日、1日を必死に生きた悪阻生活でした。振り返ってみても、戻りたくはありません。けれど、世の中には抗がん剤など、副作用によって起こる吐き気と毎日闘っている人がいます。私は、これから輝かしい未来が待っているであろう赤ちゃんを生かすために吐いていると思うとこれは間違いなく、幸せな吐き気だと思えたのです。

大きくなろうと頑張る赤ちゃんとその子を受け入れようとする私の体。妊娠前は生きる希望も持てずに毎日過ごしていた私にとって、お腹の赤ちゃんとふたりで必死に生きた悪阻期間は尊いものと記憶しています。「もうこの子を手放せない。これから何があっても我が子を守る」と、親として必要なことを教えてくれた悪阻生活には感謝しています。

そんな悪阻生活を乗り越えた頃に退職を決意。職場は自宅から近いため休職期間中は知り合いに会うことを恐れ、下を向いて歩いたり、外が暗くなってから外出したり。まったく関係のない会社の営業車を見ることさえも恐怖を感じていた私でした。以前の私なら3ヶ月に一度の人事面談は体力が必要。それなのに、妊娠した私は人が変わったかのように、人事面談でさらっと「辞めます」と伝え、しっかりと前を向いて帰ってこれたのです。「大丈夫だよ、堂々と生きてね」と、お腹の赤ちゃんが応援してくれているような気がしてなりませんでした。

母になっても自分らしくありたい

「お母さんになっても、私は私でありたい」。これが私の目標です。いわゆる育休中ではなく、キャリアブレイク中の私。いつか、好きな仕事をして、経済的に自立をしたいという夢があります。そんな風に思えるようになったのも、この妊娠経験が私の心を強くさせてくれたから。

専業主婦の母に育てられた私は、母が家にいることが当たり前の環境で育ちました。いつも玄関まで「いってらっしゃい」と見送ってくれた母。学校から帰れば、「おかえり!」と大きな声が聞こえてくる毎日。振り返ってみても、愛情で溢れた環境で育ててもらったと思います。

自分の親がしてくれたように、子どもとの時間を大切にしながらも、母として、妻として、ひとりの女性として強く強く生きていきたい。母になっても私は私らしく生きることを諦めません。

支えられて生きた37週間

お腹の赤ちゃんとふたりで1つ。そんな奇跡的な毎日が、もうまもなく終わりを迎えています。ここまで無事に妊娠生活を続けられたのは周りの支えがあったからこそ。心を強くさせてくれた赤ちゃん、いつもそばにいてくれた夫や母には感謝しています。

妊娠を望んだ日から、私の気持ちを一度も否定せずに、支えてくれた夫。仕事終わりで疲れているであろう日も疲れを見せず、私とお腹の赤ちゃんを気遣う心に何度も助けられました。早く寝れるようにと、慣れない家事を嫌な顔せずに引き受けてくれたり、私がソファーで休憩していると、抱き枕を持ってきてくれたり。心優しい夫に感謝しています。心の浮き沈みなく、マタニティライフを過ごせたのは夫のおかげだと思っています。

悪阻のときには実家で生活していた私。いつも支えてくれたのは母でした。吐き気が酷いときは背中をさすってくれた母。その手はまるで魔法のようで、不思議と心がやすらぐのです。漢方や吐き気止めより遥かに効力が強い薬。「つらいねえ、つらいねえ」といつも寄り添ってそばにいてくれた母。私を産んでくれた母だからこそ、甘えることができ、弱音を吐くことができました。すべてを受け入れてくれた母に感謝しています。

悪阻生活から始まったマタニティライフ。体重が4キロ減り、ぺちゃんこだったお腹も、いつの間にかふっくらとして、知らない人からも妊婦さんと認識されるように。まん丸なお腹の中でぽこぽこと動く姿を、もうまもなく見れなくなってしまうのかと思うと、もう少しお腹にいてほしいような気も。

お腹の赤ちゃんとふたりで力を合わせて生きた37週間。長いように思えて、短い月日をともに過ごした赤ちゃんとは強い絆で繋がっているように感じます。足なのか、肘なのか、ボコ!っとお腹を攻撃してくる赤ちゃんに話しかける毎日です。

最後の最後までふたりで力を合わせて頑張ろう。そして、ふたりであなたの心優しいお父さんに会いに行こう。あなたの周りは優しさで溢れている。心配せずに外の世界に出てきてね。あなたが私に教えてくれたように、これからの長い長い人生、どうか自分らしく生きられますようにーー。


おわりに

私にとって、20代後半からの人生はかつて思い描いていたものではありませんでした。それでも今、これから始まる子育てという未来と、自分のキャリアというものに対してわくわくが止まらないのです。

妊娠前は赤ちゃんを見ると、「これから何者にでもなれるね、楽しみだね」と思っていましたが、それはきっと、私も同じ。挑戦することに年齢は関係ない。私だって今からでも何者にでもなれるはず。休職していたときの自分が想像していなかったような自分なりのキラキラした人生をこれから歩んでいきたいと思います。自分らしく生きる力をくれたお腹の赤ちゃんへの感謝を忘れずに。

あなたにとって、わくわくすることは何ですか?

どうか、あなたがあなたらしく、生きられますように。



本記事は女性向けキャリアスクール「SHElikes」Webライティングコース実技試験で提出した課題を加筆・修正したものです。


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