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わたしとlifeの成長物語

こんにちは!
訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみです。
ラーメンなら塩ラーメン、ポテチならのり塩味、ジェラートなら塩バニラが好きです。
ただいま8歳と6歳の子供が立て続けに具合を悪くしており、お世話しながらnoteに取り組んでいます。
ちっとも集中できないけど、やりきってみせる!


最近、看護スタッフの1人であるかなちゃんが産休に入りました。
出勤最終日にはlifeで壮行会を開催。
みんなで美味しいピザを食べて送り出しました。
彼女と過ごした日々を振り返ると、まさに成長の日々。
彼女も私も、スタッフも、lifeも、ともに成長してきました。
これらの日々から、大人の学びと成長について考えたので、文章にしたいと思います。

かなちゃんが初めて主訪問者として訪問した時のこと、よく覚えています。
私が同行したからね。
当時のlifeはなんせスタッフがギリギリで、手取り足取り教育を!ということができなかったので、1回同行したら見守りのもとほぼ自立!ってな感じでどんどん訪問してもらっていました。
訪問看護未経験の若いスタッフを迎え、不安がなかったわけではありません。
でも私にはやたらとポジティブな一面があるので、
「やってみないとわからない。lifeの理念に共感してくれている人なら大丈夫」と信じて、経験から学んでもらう、というスタイルを貫きました。
いや、それは今も貫いています、はい。
そのスタイルを貫くための土台づくりには真摯に向き合っているつもりです。
もはや私の仕事はみんなが安心してのびのび働ける土台や風土づくりとその他の事務作業でしかない、と言っても過言ではないのではないか。誰か教えて。

ケアを全て終えて、利用者さん宅を出ると、明らかに落ち込んでいるかなちゃん。
「落ち込み」という教科書があったら「落ち込んでいる人の例」として出典できそうだ。
「ダメダメです。全然ダメダメです。もー全然できませんでした。」
私が感想を尋ねる間もなく、1人大反省会開催のゴングが鳴っている。
玄関で靴を履くあたりでもう始まってたなコリャ…なんと初々しい…
と、今なら思えますが、当時の私は管理者になりたてで全く余裕がなく、ナイフのように尖っていましたので、割と厳しめに、暑苦しく、コメントしたことを覚えています。
「どうしちゃたの。何がダメだったの。」
「全然できませんでした。ダメダメです」と半泣きのかなちゃん。
看護が生きがい、看護バカ(自虐じゃないよ、例えだよ。親バカ的な)の私。
人間の可能性を信じて疑わない、人間バカの私。
落ち込むかなちゃんを目の前にして、私の心の中の何かのバロメーターの針がグググと動いていく。
「かなちゃん。まだ始まったばかりじゃない。何がそんなにダメだった?」
「え…もう全部です。ダメです。」
全部って…
全部ダメって…
そんなこと…
そんなこと…
ないじゃない…!!!!!
私の心の中の何かのバロメーターの針がグイーーーーン!!と振り切る。
と同時に、私の中の何かのスイッチがオーーーーーーン!!
「かなちゃん。わかった。
何がそんなにダメだったのか言ってごらん。
あのね。でもね。
もしダメだと思ったとしても、そんなふうに自分のことをダメダメだなんて言うもんじゃないよ。
自分はダメだ、って言葉は、他の誰でもなく、自分が1番聞いてるの。
ほんとにそうなっちゃうでしょう。
それに自分はダメだと思っている看護師に、看護してもらいたいと思う?
何がダメだったのか、よく振り返ってみようよ」
です。こんな感じのことを確実に言いました。
これ、まだ出会って間もなくどんな人かもわからない上司、17歳も年上の鼻息荒い上司に、逃げることもできない2人っきりの車の中、助手席で言われたのよね…
よく耐えましたねかなちゃん。
泣けてくるな。
でも、私はこの時悔しかったんです。
簡単に諦めて欲しくなくて。(誰も諦めたなんて言ってないけどね笑)
それに、強烈に思い出した。
新人訪問看護師時代の自分を。
思い描いていたような看護ができなくて、そんな無力な自分を認めたくなくて、苦しんだ日々を。

そこから、具体的に実施したケアの振り返りをしました。
挨拶もできてたし、声かけもできてた。
バイタル測定やケアの手技も問題なかった。
予定していた時間内に終わった。
できていることはすでにたくさんありました。
見学している時なら出来そうだ、と思っていたことが、実際にやってみたら想像していたのと違った、ということはよくあること。
だから、やってみないとわからないし、そこから学ぶのだ。
それは訪問看護に限ったことではない。
とにかくチャレンジだし、
あくまでも比較対象は昨日の自分なのだ。
看護師歴18年の私、そのうちの半分以上の月日を訪問看護に投資してきた私と同じようにできないのは当たり前なのだ、と伝えました。
簡単にマスターされても困るのだ。わたしが!笑
かなちゃん、覚えているかしら。
でも確か、その日の終業後にかなちゃんから、
「ここまで私を思ってくれる先輩は、未だかつていませんでした」というメッセージをもらいました。



なんか、なんか、17歳も年下の子に熱くなっちゃって、私ハズカシイ!!!
でも本心だし、かなちゃんは必ず成長できるんだ!と信じている。
だって私もそうなんだもん。
仕事そのものに、そして利用者さんと家族に、私は今もなお育ててもらっている。
現在進行形で絶賛成長中なんだ。
そんな風に思いました。
あー懐かしい。
愛しき日々だ。

かなちゃんとのこの日の同行訪問は、私自身の強い内省になり、後世に何を伝えたいのか、そのために自分は何をするべきなのかについて、改めて考えるきっかけになりました。
後輩に教える、という経験が学びや成長においていかに大切か、実感した日でもありました。

かなちゃんとわたし。歳の差17歳。
マタニティ用の制服を着ることはありませんでした。
すくすく育てー!


その後、lifeには看護スタッフとしてしんのすけ、こんちゃん、あっきー、こっしーが加わりました。
リハビリスタッフとしては、ちかさん、ウッディ、ちょーさんが加わりました。
次々に教えるべき相手が現れる。
この状況で、かなちゃんが、みんなが、成長しないはずがありません。

壮行会でかなちゃんは「(lifeのみんなに)あまり貢献できなかったけど…」と泣いていた。
本心かどうかはわからない。
(こういう時に貢献しました!と堂々と言える人も珍しいし…)
でもいちばん年下で、周りに比べて経験が少ないことをずっと気にしていたことは知っています。
自分でなければ、利用者さんの異変にもっと早く気づけたのでは…と泣いていたことも知っています。
それでも、lifeで働き続けてくれた。
成長する姿を見せてくれた。
私と夫は、lifeを、働く私たち自身も自己実現できる場所にしたいと思っています。
だから、お嫁さんになりたい、ママになりたい、というかなちゃんの夢が叶うのだとしたら、私たちの夢も一つ叶ったと言えるわけです。
この上ない貢献です。
心から、ありがとう。
訪問業務だけではなく、見えない仕事にも黙々と取り組んでくれました。
さりげなく準備してくれていた新規利用者さんのカルテたち。
あ!やば!カルテ準備してなかった!と思った時に発見した時のわたしの安堵感。
何度救われたかわかりません。
あなたはきっと、いずれオールマイティな看護師になることでしょう。

とにかく無事、出産を乗り越えてほしい。
今はそれだけです!

人は、仕事の世界に入ってからも、仕事上の経験とそこで受ける薫陶を通じて発達していく

「リフレクティブ・マネジャー 一流は常に内省する」 中原淳 金井壽宏著 より一部抜粋

まさにこの本の通りだし、私たちは成長し人として発達し続けています。
また、この本の中では、仕事ができることと成長することは微妙に違い、「成長」においては「内省」が大きく影響している、と言われています。
人が経験を通じて学習し、自己のキャリアについて自律的に考えるためには、成長しているかどうかを自分自身で確認できることが大切で、その確認作業においては、他者との関わりから得る支援が大きく影響している、とも書いてありました。

lifeのみんなの成長の様子を見ていると、その通り!という気がしてなりません。
世代や業種を超えた「教える、教えてもらう関係」があちらこちらで発生していて、
それぞれの強みを活かした「援助する、援助される関係」があり、両側の経験を日々積み重ねています。
そこで生まれる関わりと対話が内省を促し、成長感につながっているのではないだろうか。
(急に分析していますが。)
どうだいみんな。
(急に語りかけていますが。ダンディな口調をイメージしてほしい。)
ラインワークスの日々の申し送りでその日の自分の仕事について言語化することも、じわじわ効いてる気がします。
そして誰もそれぞれの発言を否定しないし、乗り越えるべき課題はみんなで共有して話し合っています。
訪問から帰ってきた時に事務所でみんなが話してくれる「その日の〇〇さん(利用者さん)」についての話も、人間味が溢れる面白いものばかり!

答えのない問いと向き合い、最善解を探すために。
より本質的なケアやセラピーを提供するために。
働く私たち自身がお互いに認め合い、高め合う。
そういうやりとりが、自然に生まれている。
lifeはそういう場所になっています。
これからもみんなでそういう場を創っていきたいと思っています。


私個人においては、外部のコミュニティでも内省できる機会を自分から求めてみました。
先日そこで、ずーーーっと引っかかっていた課題と向き合いました。
もう二度と繰り返したくない、と、こだわっていた、人間関係を破綻させてしまった苦すぎる経験。
対話の中で自分の価値観とつながり、納得し、ようやく手放すことができた気がしました。
痛みが伴ったけど、この経験を意味があるものとして捉えて一皮剥ける!という、自分との約束を果たしました。
改めて、今一緒に働いてくれているみんなとの縁に感謝しているし、みんなの成長に貢献したい。
そのために、自分も学び続ける存在でありたいと思っています。



結局、人生はこういうことの繰り返しなのだと思います。
経験から学び、変化する。
それが成長であり、その過程が、その人だけの物語になる。
「昔こんなことがあってさ…」
「この病気になったことでね…」
と、人が自分の人生を振り返り、語り出した時。
その物語に触れた時に、私たちはその人の人生に触れた実感を持つのではないでしょうか。
経験がすべてとは言わないけれど、ある意味ではすべてなのかもしれないな、と思います。
いやいや、人に話せるような人生じゃないですから…なーんて言わずに、大いに語ろうではあーりませんか!
どんな人もその人だけの物語を生きているし、
それはもう宝物でしかありません。
人に語ることで、また新しい発見があったりもする。
惜しまずに、どんどん語ろう。
人生は物語ですから。


おわりに
我が家の子供達は今もなお2人とも高熱ですが、高熱がゆえになのか、ハイテンションでまったく集中できまへん!
高熱すぎて嘔吐するし、咳しすぎて嘔吐するし、かと思ったら、
おやつ食べていい?テレビみていい?の質問攻め。
先程片付けたと思っていた床やテーブルはカオス状態。
仲良くしてると思ったら喧嘩する。
なので、この辺りで失礼致します。
最後までお読み下さりありがとうございます!
今日も頑張るあなたに幸あれ〜!



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