見出し画像

仲の良い友人5人の平均があなた

仲の良い友人5人の平均があなた。

これは、31歳で億万長者となったアメリカのコンサルタントのジム・ローン氏が残した言葉。

「なんの根拠もない。ただの偉そうな人がそう発言して、悦に浸っているだけだろ!」これが若かった頃の僕の感想。

今は人差し指を立てながら「それな!」と言わんばかりに共感している。

それに似た言葉で、『近くにいる友人はあなたを映し出している鏡』
こんな感じの言葉を耳にしたことはないだろうか。

そもそもこの言葉は何のためにあるのかと言うと、あなたの社会的な位置は友人と同じ位置ですよ、という意味である。これを良い意味で取るか、悪い意味で取るかは人それぞれだが、どう受け取ったかで自身の人生の満足度を推し量れるだろう。

ちなみに、僕は人生は幸せならOKという考えなので、社会的なステータスが高ければ高いほど良い、という考えはない。ただ個人的に満足していないのであれば何か変える必要があるかもしれませんね。これは自戒を込めていて、僕は高い立場から啓蒙しているわけではないです。本当に恐れ多い。

さて、価値観の話に戻ろう。なぜ、仲の良い人が自分の鏡だと言えるのか、を探っていく。

まず、仲の良い友達は、なぜ仲良くなれるのか。
それはお互いを受け入れているからである。

なぜ受け入れられるのかは、自分と近しいからであろう。
つまり、同じ価値観を持っていると言える。

同じコミュニティに所属していれば、同じルールを共有する。共通項が生まれるわけです。そうすれば、それに対して共通の価値観が生まれて、仲良くなりやすい。

顧問が厳しい部活動であれば、顧問への共通の愚痴が生まれたり、ほぼ同じ練習の辛さを共有したり、日々のやらなければいけないこともほぼ同じ。仲良くなるに決まっている。休日も一緒に遊ぶことが多くなっている。次第に同じ価値観が形成されていくのも頷けるでしょう。

考えてみれば、クラスの連中よりは部活動の連中と仲良くすることが多いのはそういうことです。

受け入れられるのは、自分と似ているからである。なので、友人は自分と似ている、だから、自分=友人と捉えることができる。今のあなたのステータスは友人と同じ、あなたの考え、価値観は友人からわかりますよ、という次第である。

そして、ここで話が終わるのはもったいないので、ここからさらに話を広げいきたい。友達は時間が経てば、以前より仲良くないことが多い。なぜだろうか。

端的に言えば、共通項はなくなり、それぞれ価値観は変容していくからである。

変容していけば、より仲の良い人が生まれる。その人と時間を多く共にすることになる。というよりは、時間を多く共にしている人こそ、同じ価値観を持っているとも言った方が正しいかもしれない。

そのコミュニティから卒業し、他のところに居るようになると、当然それぞれ違うことを経験する。そして、徐々に価値観はアップデートされる。

仮に、そのコミュニティのルールや価値観が嫌だった場合、おそらく問題にならないよう上辺だけは取り入れるが、それはあなたの元々の価値観を変容させるくらいのものではないだろう。考え自体も元いたコミュニティの時とまんま変わらない。前の方が良かったと考えいるのであれば、価値観が変わるわけないのである。当然そのコミュニティではやっていけないだろう。

例えば、高校に上がったけど中学のノリが好きで、一人だけ浮いてしまったりする人がたまにいる。「見た目がいけてない、ノリが面白くない」といった感じで周りの人の価値観を拒絶している次第である。

価値観はいかようにも変容するもので、付き合い続けていけば共通の価値観が生まれ、仲良くなれることは多い。いつまでも昔の価値観に憧れ続けるのは損しかない。

付き合ったことがない人と付き合うことは、新しい考えなどに出会えるので自分を成長させるチャンスなのに、本当にもったいないことをしている。

ちなみに、僕はそれを大学生の時にやってしまって一人でいることが多くなった(笑)単なるクソガキでしかない。過去に戻れるのなら、胸ぐら掴んで説教したいくらいだ。

述べてきた通り、経験に即して価値観は変容する。そして、仲の深さはその価値観のシンクロ率だろう。

今、僕は友人と呼べる人は少ない。友達と遊ぶことも少ない。ただ昔はたくさん居た。嘘じゃない、ほんとだから。本当に。

以前は、休みの日に合わせて友人に声をかけて、遊べる人を選んでいた。それもしなくなった。単に、一緒にいても退屈することが多くなったからだ。白状するが、今は親友と呼べる人との遊びでさえ退屈している。

価値観が変われば、関心も変わる。関心が変わっているのならば、楽しいの基準も変わっている。仲良くできなくて当然である。たまにお酒を交わすとしても近況報告的な感じだ。それで十分。

もはや、別の人生を歩んでいて違う経験をそれぞれしてきているので関心の的も変わっている。昔楽しかった話題も今はどうでも良い。

注意しておきたいことがあるが、自分だけが価値観がアップデートされた訳ではない。だから、その友達を「ガキのまんま」だとか遅れているなんて思ってはならず、その友達もまた新しい価値観を取り入れており、それぞれが違う価値観を持っているから昔ほど仲良くないのである。

結局、同じコミュニティの人が一番ウマが合うのは同じ価値観を共有しているからである。

最後に、友人が友人だから私の社会ステータスがこれくらい、と現状に甘んじるのは良くない。あくまで、あなたの頑張りや努力、経験してきていることの結果が今いる地位であり、現状であり、友人はその結果で、友人は悪くない。

現状に満足していないのであれば、変わるべきはあなたであり、友人との関係を切ったところでまた別の同じ価値観を持った人と仲良くなるだけだ。

友達が多ければ、みんなが共有できる価値観を持っている可能性が高い。それはこれまでみんなと同じような経験をしてきているからだろう。友達がいることで幸福を感じているのであればそれで良い。

一方で、その人生に満足していないのであれば気をつけてほしい。それまで行ってきた人生は、一般的であり珍しくないのであまり価値のない経験をしてきていることの裏返しであるのかもしれない。数が多いものには価値を見出せないからである。

自然と友人は減ってくるもの。そればかりは仕方がない。むしろ、付き合い続けなければいけないと使命感を持って付き合う方が精神衛生的によろしくないだろう。

大人になればなるほど、それぞれの人生を歩むので、経験が異なってくる。古くからの付き合いだからといって、無駄に連む必要はない。でも、その分新しい出会いがある。僕は新しい出会いを大事にするタイプだ。理由は、価値観は変わることを認めているからである。

もしかしたら、これを読んでいる人の中で、なんとなく一緒にいるけど楽しくはないし、時間を無駄にしている感覚があるという友人がいれば、もうあなたの価値観は変わってきているのかもしれない。

固執せず、自分の時間を大事にして欲しいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?