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チンクと呼ばれてパーティワゴンに乗る羽目になった話(4-Final)

  その昔、私と現在は夫であるアルゴ。泥酔した白人に私がチンクと呼ばれ、絡まれたことで起こった騒動の話。(その1) (その2) (その3)

 2020年の夏。BLM-Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)という運動がおこった。ヘッダーの写真はその時の報道写真。アフリカ系アメリカ人に対する警察の残虐行為をきっかけにアメリカで始まった人種差別抗議運動のことである(詳細はこちらのリンクにあります)一5月にアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイド氏が白人の警察官に首を8分46秒圧迫されて死亡し事件をきっかけに、警察の過剰な暴力、人種的ステレオタイプに基づく警察の判断に抗議する運動で、この運動はあっという間に、ものすごい勢いで全米、世界中に広がった。フロイド氏の事件が報道されるや否や、似たような事例が、何件も何件も報告され、インターネットやニュースで拡散され、あちこちで抗議運動が行われた。

 私たちに起こったこの事件は、BLM運動が始まるずっと前の話だが、私たちの経験したことも、人種の蔑視から端を発した事件であり、警察による過剰な暴力、不当な扱いの例であるが、似たような案件は何千件も、何万件もあると思う。きっかけがないから・なかったから表には出ていないだけで、こういったケースはアメリカ中に溢れていると思う。そして逮捕、理不尽な判決を甘んじて受けた人たち、もしくは、命を失った人たちも数え切れないほどいると私は確信している。だからBLMが起こった時、私は、大きな歴史の変わり目に立っているような気がしていた。国中で、世界中で、不当に扱われ続けてきたブラックの人々を、その理不尽と不正を正そうという動き。それはとても大きなムーブメントである。

 今、私が思うのは「あの時、アルゴが警察官によって殺されなくてよかった」ということである。

 この事件の結末を書こうと思う。

 数時間後、私は裁判所にいた。どういう順番で呼ばれるのかは謎だったが、30人ほどの人がいたので、昨夜、警察は大忙しだったのだろう。順番に呼ばれ判事の前にセットされている台の前に立つ。弁護士がいる人は一緒に並んで立つ。私の場合は、英語がまだ完璧ではないからという理由でアルゴ母が一緒に台に立つことを特別に許された。椅子とテーブルが用意されているので、宣誓の後、椅子に腰かける。判事は調書を読んで、質問があれば質問し、そして判決を下す。大抵は、喧嘩やマリファナ所持といった軽犯罪なので違反切符をきられて、罰金を払うか、コミュニティーサービスといって地域のボランティア活動を一定の時間する義務を課せられて終了。もちろん、判決に異論があればさらに裁判を起こすこともできるし、犯罪が深刻なものであればそのままジェイルに送られることもある。

 アントンが予想した通り、私と彼への判決はDisturb the peaceというもので(平和を乱した罰)犯罪履歴として経歴に残ることはないが、36時間、地元でボランティア活動し、その証明書を提出することが条件だった。罰金も釈放金も必要なく、判事は、今後はこのような騒動に巻き込まれぬようとかもっともらしい顔で言っていたけど、アルゴ母にめったなことは口にするな、と裁判前に釘を刺されていたので言いたいことは山ほどあったけれど、とりあえずぐっとこらえた。

 問題だったのはアルゴの方。アルゴは警察署内の留置所から直接連れられてきた。昨夜のように取り乱した様子もなく、落ち着いた感じで私とママに気づいて手を振って怒られていた。アルゴには、Disturb the peace、 Resisting arresting(逮捕に抵抗する罪)、そしてMinor assault(軽度の暴行罪)という判決が出て、Misdemeanors(軽犯罪)という種類に分類される結果となった。このMisdemeanorsは、ジェイルに送られることはなく、違反に対しての罰金を払うことで開放される。ママがその場で罰金を支払い(裁判所の出入り口にお金を払うセクションがる)アルゴは開放された。

 もやもやしか残らない結果である。誰一人として、そもそものことの起こりや経過に耳を貸さず、喧嘩をした罰としての罰金を払わされる。騒ぎのきっかけを起こした白人はどうなったのか不明。もちろん、アルゴが開放されてうれしかったし、ひどい怪我などもしていなかったので安心はした。

 そして、一連の誤報、誤認逮捕(詳しくはその2)について、アルゴが開放されて、彼の口から初めて知らされた。私とアントンが帰された後、件の「泥酔、全裸、叫びまくってストリートを疾走していた黒人男性」が別の場所で捕まり、警察署に連行されてきたため、それじゃぁ一体、アルゴはなぜここにいるのか、という話になり、ちょっとした騒ぎになり、それからようやく、初めて、上のポジションの人が話を聞いてくれたのだという。警察の人は謝ったの?と聞いた私に、アルゴは大笑いしながら、Fuck Noと答えた。

 警察からの謝罪なぞもちろんなかったし、略式裁判で読まれたレポートには、「なぜ喧嘩が始まったのか」というような経過は一切、書かれておらず。もちろん、誤認逮捕であったこと、警察所内で過剰な暴力が警察によって振るわれたことについては一切、何の言及もなかった。私は悔しくて、悲しくて、アルゴとアルゴママに、警察を訴えて、この罪状を破棄させよう、そして謝らせようと言ってみたけれど、アルゴもママも首を振った。

”Baby, it is not possible. We should be thankful that they don't send him to the jail. When black people talk to the police, you need to be very careful - even you do not nothing wrong"

ベイビー。そんなことは不可能なんだよ。むしろアルゴがジェイルに送られなかったことに感謝しなくちゃ。あのね、黒人が警察と話す時は、たとえ自分に非がなくてもとてもとても気をつけなきゃいけないの。何も悪いことをしていなくても。

 そう言われた。当時の私は、そんな言葉に全く同意できなかったし、ただただ不公平だ、間違っている、こんなのおかしいと憤慨するばかりだった。その頃の私は、この国で暮らしだして3年近くが経っていたが、この国に存在する根深く、国をどす黒く覆う人種差別の実態について知らなかったからだ。もちろん、差別があることは知っていた。されたこともあった。けれど、この問題がどれだけ難しいものか、ひどいものか、根深いものなのかを知らなかった。「システミック・レイシズム」(=制度化された人種差別)なる言葉すら知らない頃だった。

 先に書いたが、 今、私が思うのは「あの時、アルゴが警察官によって殺されなくてよかった」ということ。ただそれだけに尽きる。

 American Skin という映画がある(タイトルクリックで少し情報がでます。日本で公開されていないのかも)息子を警察官に殺されてしまった父親をドキュメンタリー形式で追う、というスタイルの映画。もちろん、フィクションなのだけど、その中で、父親が息子に言い含めるシーンがあった。

 自分が悪いことをしていなくても、警察官に止められたら何も抵抗せず、口答えせず、ただ、言うことを聞け。俺たちはブラックなのだから。

 そう、アルゴとアルゴママがあの日、私に言ったのと同じ言葉だ。

 こんなセリフが当たり前のように言われている国なのだ。その1でも書いたけれど、私とアルゴの付き合いは20年になる。長い付き合いの中でこんな風な人種差別にかかわる事件がいくつか起こった。理不尽でしかないし、その度に何とかしよう、何とかして、と思ったものだが、現実には何も起こらず、理不尽な差別と不公平な結末だけをアルゴは受け入れざるを得ない状況を強いられてきた。

 私は何もこの記事で反人種差別を啓蒙しようというのではない。プロフィールに書いてある通り、私が感じたアメリカと伴侶との日常のこと、を書いただけだ。

 誰の頭にだって、差別は悪いこと、あってはならないこと、という気持ちはあると思う。無くさなければならないことだとも思う。けれど、現実は厳しい。BLM運動がおこった、フロイド氏を殺害した元警察官には実刑判決が下され、同じような事件を起こした警察官たちが次々とその罪を暴かれ、裁かれている。それでもまだ、人種差別は存在しており、それは決して落とすことのできない頑固なしみのようにこの国の日常に「そこ」にあるのだ。

 追記:その後、無事にボランティア活動を終え、書類を提出した私だったが、この時のDisturb the peaceのせいでこの事件から15年ほどあと、アルゴと入籍し、グリーンカードを取得するときに面倒なことになった、というのはまた別のお話で。そして、この時、出頭した裁判所で私たちは夫婦になったのです(詳しくは判事をテミィー呼ばわりして実刑を食らった話

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