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魔改造。(1)

突発性大腿骨壊死症を発症。指定難病なんである。大腿骨が壊死し、すったもんだがあり、そして全人工股関節置換術をすることになった話。

人工関節置換手術前の治療におけるすったもんだについては「大腿骨がネクロマンサー」()()()に詳細あり。

タイタニウム製のごっつい人工関節を見せられ、来週手術する?との医者からの問いに、「おけまる!」と迅速に返事をしたことを後悔した私であったが(詳しくはこちらのNote)新たな担当医になったダンディ先生は解説した。

人工股関節置換術: Total Hip Replacement Surgery は、傷ついた股関節の損傷面を取り除いて、人工関節に置き換える手術なんだけど、そうすることによって患者さんのQuality of Life, 生活の質を上げることが一番大きな理由なんだよね。わかるでしょ?今の君は歩くこともままならない、日常生活に支障がでまくっている。でもこの手術をした後は、3か月もすれば走ることも、登山ですらできるようになるんだ』

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こんなごっついものを体に入れて大丈夫なのか、とひるんだ私だったが、確かに、ダンディ先生の言う通りで、もうこれしか手段は残っていないのである。

なんせ松葉杖生活はとっくに1年を過ぎ、自力では立つこともままならず、1日中、ズクズクと痛いのである。ズキズキ、ではない。鈍痛というか重い感じの痛みなのである。一歩歩くたびに、金槌で、ガンガン叩かれる感じ。そら俳優のナントカさんが俳優業を引退せねばならなかった理由もわかる。

ダンディ先生曰く、そもそも高齢者向けの手術的なところがあるから、安全性は極めて高いこと。手術時間は大体3時間ほどで、一泊の入院の後、リハビリを3か月ほどしてもらう。例えば、スキーだとかで激しく転んだりしない限りは、人工関節は20年ほどは大丈夫。古くなったら入れ替えなくてはならないが、そのことを考えるにはまだまだ時間があるから後で考えれば良いなど、そんなことを淡々と説明してくれた。ちなみに手術~経過の説明については、こちらのサイト(日本語)に詳しい。

ちなみにだが。「両方の股関節を人工股関節置換術している」というと、大抵、「えーー、あなた、若いのに!」と驚かれる。前述しているが、どこの国でも人工股関節置換術を受けられる患者さんの平均年齢は68歳なのである。私の場合は、がっつり全部の置換であったが、症状によっては部分的(ボールのとこだけ:上記写真参照)で終わる場合もある。

気になって日本ではどのような感じなのかと調べてみれば『例としては、術後2~3日程度で車椅子移動を、4~5日程度で歩行練習を始め、約1ヵ月で退院できます』とかいう記述を見て、心の底からうらやましかった。私は一晩である。一晩。なんというスパルタか。術後、麻酔から目覚めて2時間後には強制的に歩かされたのである。

私の場合(というか、アメリカでの場合と言っても良いと思う)
■手術する→■麻酔から覚めて部屋に送られる→■部屋につくなり歩かされる→■2時間おきに歩かされる→■翌朝、簡易リハビリルームにて松葉杖、歩行器、杖を使い歩く練習や生活の注意点を指導される→■退院→■処方せんを渡されるので薬局に行って薬をもらう、リストを渡されるので自分でコンタクトして、今後のリハビリ施設を選ぶ。

という、もうおっそろしくスピーディで、スパルタなコースである。

保険会社が長期入院等の費用を払い渋るためである。ちなみに最近では、入院すらせずに帰されるケースすらあるそうだ(怖)退院したら自宅療養で、リハビリに通うか、リハビリの人に来てもらうかして療養し、2週間後にフォローアップ。職場復帰には最低でも2か月は待つようにと言われた。

手術に行く前に、寝室を完全療養部屋にした。水をボトル買いし、クラッカーだとか軽く食べられるものを設置。ベッドはフレームをどけて、マットレスとボックススプリングのみにした。高さがあると横になるのも、降りるのも大変になるからだ。寝室は浴室の真横だったので、問題はなかった。必要なもの以外はすべて片付け(うっかり躓いたりしないように)手術に挑んだ。

病気になった時、人は2パターンに分かれる気がする。『がっつり、ぴったり看病して欲しい派』と『一人で放置していて欲しい派』私は後者であるが、アルゴは前者のため、そんなに俺が信用ならない?!めっちゃ看病するよ!!と叫んでいたが、いや、放っておいて欲しいのである。

前回のトンデモ事件満載の手術とは異なり(ちなみに手術した病院も違った)これといったおもしろいことも、ドラマもなく、ターバン巻の麻酔医もおらず、置換手術は淡々と進んだ。それが普通といえば普通なので、何もなくて良かったのである。

ちなみに、この時の麻酔医は、ひっかぴかのロレックスをつけており、うへぁ、高そうやな〜、麻酔医って儲かるんやな〜と思い、ロレックス、ロレックスと思っているうちに私の意識は飛んだ。

手術の前に血液検査と金属アレルギー検査も行った。3度目のMRI撮影をしたのだが、施術する左はもう完全に壊死しきっており、同時に、右の方でも壊死が始まっているので、今回の手術が終わっても、おそらく3~5年くらいで右側の関節も置換せねばならぬだろうと言われた。両方ともとか、もう完全、メカじゃん!と思ったけれどその場で「右の方も完全にアカンってときは、迅速に次の空きスケジュールに手術をねじ込んでください。余計な診察はいらぬ!」とその場でお願いした。そして、ダンディ先生は満面の笑みでオッケー👌と言った。

また話はそれるが、タトゥーをしているとMRIが使えないというような話を聞いたことがあるが、私は全然、問題なく使えた。

そして私の人生における第二位の痛いイベントが起こったのが手術の翌日。ちなみに第三位については、こちらのNoteにある。

1晩を過ごした病室。朝10時には全部の手続きが終わるから、帰宅してもいいと言われてウキウキしていたのだけど。その前にもう一度、縫合部分の消毒とドレイネッジを抜くわね、と言われた。

これは完全に執刀する医師によりけりらしいのだが、ダンディ先生は術後の血栓防止のために、皮膚の縫い合わせたところから、細いチューブを差し込んでいた。それがドレイネッジである。

それを……それを……ズルリ、と抜くのである。チューブは直径1センチ程。いえば、猿の尻尾的な感じで、ホチキスで止められた皮膚の上からチューブが太ももの側面にだらり、と出ていたのである。

人間の体とはすごいもので、24時間前に切られた傷は、肉も皮膚も塞がりつつあるのである。ナースは、深呼吸した後、いい?1,2,3で抜くから、その瞬間、息を止めてね?いい?あっと言う間よ!一瞬だからね!!

と、ものすごく真剣に、グイグイと言うもので、あへぁ……これ、多分、一瞬だけど多分、めっちゃ痛いやつよな……と私は遠い目をするしかなかった。

いくわよ?いい?(ごくり)

オッケです(ごくり)

いち、に、さーん!

ギュぽーーーん!!(ぎやぁぁぁ)

時間的にはまんま3秒過ごして、ギュぽ!の1秒。

めっちゃ……痛かった。なんせ、肉を削ぎ落とすというか、閉じかけている筋肉と皮膚の間にある異物を抜くんである。

グァァァあぁああ!!!

Oh, fuck, fuck Noooooo, OMG OMG

私はもだえうった。神様なんて信じてないくせに、あぁ、神様、頼む神様、ファック、ファックって叫ぶくらいには痛かった。一瞬だけど、意識が飛ぶほど痛かった。正直、この一瞬だけの痛さでそれまでの手術の痛さ、大腿骨がネクロマンサーだった時の痛さ、そのすべてが吹っ飛んだ。

そして、続く魔改造の話。

(その2へ続く)







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