見出し画像

Soap Opera 1

Soap Opera、メロドラマのことである。メロドラマっていうと大昔にやっていた安達祐実ちゃん主演のやつで継母の計略で召使いになった元お金持ち令嬢祐実ちゃんが「ゆで卵もきちんと剝けないの!」って怒られ頬を引っ叩かれていたシーンを何故か鮮烈に覚えている私です。

いやはや、メロドラマ。お昼の1時とかにやってるやつ、そんな世界に身を置いた感じです。あれ?そういやメロドラマってなんでメロドラマなの?と思って調べたら

メロドラマの「メロ」は、「メロメロにする」の「メロ」ではなく、「歌」を意味するギリシャ語「mēlos(メロス)」、「ドラマ」は「劇」を意味するギリシャ語「drama」である。

https://gogen-yurai.jp/melodrama/

って出てきて、ふふふってなった。メロメロにする。ふふ。つぶやいたけれど、近所のおば(私のNoteではすっかりお馴染み。義母の妹)の連れ合いが先週、亡くなった。今回はそんな話。

メロドラマって見てるだけだと面白いけど、実際に起こるとびっくりする。そんな!ありない!韓ドラマじゃあるめ〜し、みたいなことがじゃんじゃん起こっている

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

始まりからメロドラマなんである。近所のおばとこの連れ合いは37歳差であり、おばにとって一生でたった一人の男。それが亡くなった連れ合いなのである。19だかで出会った二人。おばが19で出会ったゆーて、その時すでにおじは56歳(驚)パパ活どころの話ではねぇ!

亡くなったママをはじめ、他のきょうだいたちは若い頃から割りと派手に男女交際活動に勤しんで来ていた人たちなもので、まず近所のおばが19歳まで誰とも付き合ったことがないという事実にびっくり。オジ専、老け専なる言葉があるが、それにしたって……ねぇ?ふとここで思い出して、加藤茶、結婚、年の差で調べたら彼らは45歳差なんだそうだ。上には上がいるものである。

おばは父親、祖父を知らずに育っているため、父親の年代に近い人に強く惹かれるのであろうというのが私の予想である。実際、亡くなったおじには、おばよりも年上の娘・息子がいるのだ。はい、またメロドラマ。

付き合い始めた当初から、おじは離婚していて、独り者であったが、実の娘、息子から見て、自分の父親が自分たちより年下の小娘と真剣交際をしているという事実はなかなかに受け入れがたいものであったようだ。実際、自分の父親にされたらと思うとその気持ちはわからんでもない。子供にとって親というのは、いくつになっても親であり、男女の生々しい話とか見聞きしたくないものであろう。多分。特にこの場合、19歳と56歳。小娘、金目当てであろうと思っていたらしい。

そんなわけで、34年を共に過ごした近所のおばとおじ、その実子たちとは長い長い確執、メロドラマ案件の連続であったのだが、7年ほど前に二人がついに籍を入れたことで少しばかりは落ち着いた。付き合い始めた頃には予想もしていなかったのだろう。二人がこんなにも長い間、一緒にいることになるとは。

亡くなったおじは、おばに出会う前に2回の結婚‐離婚をしており、長いこと、結婚なんぞもうこりごりだと言い続けていたのだが、老いゆく自分と近所のおばのことの先々のことを心配になったのであろう。83歳での再再婚をすると同時に遺産やら自分のヘルスケアについての様々な法的手続きのアップデートも行った

そこから3年ほどの間におじはアルツハイマーに罹患してしまったので今思えば、ナイス判断!おじ!である。察しの良い読者様ならここでお気づきであろう。そう、遺産やら自分のヘルスケアについて……はい、またメロドラマ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

そんなメロドラマについて語る前に近所のおばの人とナリについてお話しておきたい。彼女はとても美しい女性である。見た目もそうなのだが、心も優しく、見ず知らずのホームレスに電子レンジをあげちゃうくらい慈悲深い。ホームレスに電子レンジ意味なくねぇ?(真顔)

そう、とっても慈悲深く優しき人なのだが、非常に騙されやすく、また、その良心を利用されがちな人でもあるのだ。10人きょうだいの下から2番目で常に守られ、溺愛され育ったからであろうか。年下である私から見ても「この人、大丈夫なんか……」と色んな意味で心配になる人なのだ。ちなみに私と夫アルゴは7歳差。おばと私は6歳差なのである。

近所のおばのしでかしてくれた話は過去にいくつか書いているのでご参照して頂きたいのであるが、基本、計画性というものがまるでなく、時間にルーズで、要領が悪い。整理整頓が非常に苦手だ。お菓子を主食に生きており、病的なレベルでの買い物依存症である。海外クルーズに行くのにバカでかいスーツケースを4つほど準備してもパスポートを忘れるくらいのことは平気でしでかす女性である。

正直、身内でなければ、あまり付き合いたいと思える人ではないが、彼女の優しさ、純粋さ、そして繰り出してくる面白言動(本人は本気)がそれを上回るため、愛さざるを得ないキャラなのだ。ぶぅぶぅ文句を言いながらも私達夫婦はこのおばをとても愛しているし、おばもまた私達をとても愛してくれている。

夫アルゴとは、おば‐甥というよりも、ねぇちゃん‐弟といった関係性で育っている。そんな関係性であるため、夫アルゴは幼少期からこのおじを知っており、知っている、どころか、父親のいなかった彼にとっては、父親像でもある。おじの実子たちよりも長い時間、そばにいて、成長してきた夫であるので、おじの死は夫アルゴに大ダメージを与えてはいるが「まぁ大往生ってやつよな。体が全く動かなくなったり、今よりも記憶を失うようなことになるよりも、最後におばが手を握り、じっと見つめ合って最期を迎えられたというのは幸いよな」と悲壮感にどっぷり浸かりつつ、なんとか自分の中の落としどころを見つけようとしている。夫は普段はアレだけど、基本的に恐ろしく繊細で不安定な詩人なのだ。

家族・親戚付き合いが濃厚なリンゴ家ではある。なので私も悲しいけれど「夫のおばの連れ合い」ゆえ、ここ数年は色々なお世話をしたとは言え、ダメージ的にはおばや夫アルゴほどではない。あと、亡くなったおじは、それほど家族の繋がりを重視しない人であった。そのため、おじの死後からここ数日で立て続けに起こり続けるメロドラマをこのような文章にできるのである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

みなさまには「何でかしらんけど、どうしても好きにはなれない人」っているであろうか。私は非常に心が狭く、面倒くさがり屋ゆえ、初対面で話した時に「あ〜、この人駄目かも」って思うというか、直感のようなものがある。先入観というかそういうものであるのだろうけど「なんか付き合っていくと先々、めんどくせぇことが起こりそうだな」と思ってしまった人とはうまく話せないのである。駄目な大人だ。それが、この亡くなったおじの実子たちである。普通に話してはいるんだけど、もやぁっとするというか、むぐぐ、となるというか。

おじの死の報を聞き、娘は飛行機でやってきた。遠くの州に住んでいるのだ。少しばかり泣いたあとに「で、この家はどうするの?売るのよね?」と言った。近所のおばが、おじとのあれやこれを泣きながら話している真っ最中にである。おばとしては、離れていた娘に父親であるおじのいろんな話を聞いてほしかったのであろう。私は怒りのあまり、気絶しそうになりながらも、数年前に初めてあった時からこの娘にもやぁとしたアレはやはり正しかったと思った。今、話すことか?(真顔)

息子の方。「I am so sorry for your loss(ご愁傷さまです)」と言ったら、ヘラヘラ笑って「まぁ親父も年だからね〜。で、あんたさぁ、親父の年金のこと、なんか聞いてる?」と言われて、またもや、やはり数年前に会ったときの印象〜(長いので省略)

なんというメロドラマの悪人たちであろうか!! (叫)


いやそらぁさぁ、自分たちが幼い頃に離れてしまった父親よ。でもおじは養育費はきちんと払っていたし、マメに連絡していたし、おばも気を使って色々やってきたのだ。何より、近所のおばは見ているだけで気の毒になるほど、心身的に参っているのだ。打ちのめされているのだ。少しはさぁ、「ずっと介護してくれてありがとう」とか「オヤジも幸せだったよ」とかさぁ!……言うわけないじゃんね、そんな言葉。

 号泣しろとか言っているわけではない。人にはそれぞれの悲しみ方がある。でも、でも、でも、である。おじ(自分の父親)の死にRespectを払え!人間として、弱っている人を目の当たりにしているのだ!優しさを持てや!という話よ。金、金、金て!きぃぃぃぃぃぃぃぃぃ

私がもやもや、いらいらしてしまうのは、この実子たちが、一見したら父親の死を悲しんでいるように振る舞っているところなのだ。あたかも自分たちも弱っていく父親の面倒みてきました、みたいな顔して。むきぃぃぃぃぃぃ

実際のところ、おじが心臓の手術をしたときも、痴呆がどんどん進んで行って、おばが一人で介護するには手に余るようになっても、実子たちはなんの手伝いも、援助もしなかった。元気?と自分たちから連絡してくることもなかったし、息子に至っては、近くに住んでいるのに、自分から訪問することだってなかった。近所のおばに助けを出したのは彼女の姉たちであり、私達であった。何より、近所のおばは、常におじに寄り添い、必死だったのだ。

このハゲタカどもめぇぇぇぇぇ!と私は内心、超憤慨していたものの。やつれきったおばのことをケアすることに忙しい。こんな時だからこそ、全力をもって彼女を支えたい。ゆえに、このクソみたいな実子たちと普通に会話するエネルギーさえ、もったいない。私とて、いい年のBBAである。実子たちにはそれなりの対応しつつ、私は自分の家に帰って、プンスコ、プンスコするわけである。夫アルゴにのみ、盛大に悪態を吐き散らかしていた。

「おばさん、めっちゃやつれて、おじのことをずーーーっと話してて、大泣きしてんのに、あのクソ娘は腹減った、なにか食べるものない?ピザ食べたいわぁとか言ったんだよ!くそが!」(自分でUberでも頼めやと私なら言うが、おばはいい人なのでオーダーしてあげてた。もちろん費用はおば持ちよ!)

「おばさん、全然食べてないし、大好物のケーキ持っていったけどちょっとしか食べれずにもどしちゃってて。睡眠薬飲んでるのに眠れなくってフラフラしてるのに、あのクソ娘は、そんなおばにベットメイクさせとんのやぞ!カスが!」(ベッドぐらいシーツとか出してもろたら自分でやれや!)

「息子の方は全然、こねぇ!電話すらしねぇ!なんなの!」(話しにならん!)

「てか、あの息子と娘の間にもう一人おったよな!息子が!どこよ!何してんのよ!」(音信不通の実子一名

大大大プンスコしつつも、私は家を売るとか言い出している、年金・退職金を奪おうとしている、そんなことは言わないでいた。というか、言えなかった。だって伝えたら、火をみるよりも明らかだ。魔王アルゴ、暴れん坊大将軍アルゴ、第八天魔王の爆誕が。夫アルゴだけではない。こんなこと言っていると知れたらおばのきょうだい達も大大大激怒する。基本的に非常に激しい人たちなのである。

人の死というのはそれだけでもう非日常の悲劇であり、こんなにも参っているおばに更に打撃を与える必要性はないのだ。私だけが沈黙していればいいのだ。うむ……どうせ非常識で恥知らずな実子たちは他の親族にも同じことを言うに違いないので、それまでは秘していようと思ったのだ。甥の外国人嫁にすぎぬ私が、張り切って火にガソリンをじゃんじゃかくべる必要はないではないか。

だが、そんな私の密やかな努力は、姉おばによって台無しにされた。一番年上のおばは、おじの臨終数日前よりこの街に滞在しており、妹(近所のおば)をずっと近くで支えていた。なので、おばのきょうだいたちにはすべてが筒抜けであり、同じく、夫アルゴにも筒抜けである。まぁ、それは致し方といえば、仕方のない話だし、当然の話である。

悲しみにくれるおば。逆鱗の夫アルゴ(私にも、なぜ言わなかったのか、とお怒りである)。更には、ピットブルとあだ名される3番目のおば。ちなみに3番目のおばは、気性が夫アルゴと同じなのである。なんせ夫は3番目のおばと特に密着なのだ。

というわけで、

次回メロドラマ:怒りの天魔王ども降臨、の巻

に続きます。

その2

https://note.com/kana7511/n/n170387593a39

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

過去の「近所のおば、しでかし話」はこちら。普段はだいたい、彼女に振り回されている我々夫婦である。

サンクスギビングにやられた話。ここに登場のおじ実子・クソ娘も登場する

去年の夏。近所のおばが手術した折に家を乗っ取ろうとしたおじ実子・クソ息子の話。

親族大集合。夫親族勢ぞろいで大パーティした時の話。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?