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はるゆき電車 第二話

いつの間にか私は眠ってしまっていた。
そして、夢を見ていた。

夢の中で、私はやはり電車に乗っていた。
ごとごととのんびり走る、おもちゃみたいな真っ赤な電車だ。
私は窓の外にひろがる、見事な一面の菜の花畑をぼんやりと眺めていた。
ふと目の前のテーブルに目をやると、何かが置かれていることに気が付いた。

それは、ちいさな白い封筒だった。

封筒は和紙のような素材でできていて、古びて黄ばんで周囲がボロボロになっていた。封はしっかりと閉じられたままで。
(これ、私あての手紙だわ)
私は咄嗟にそう思った。ずいぶん前に、彼から貰った事を思い出したのだ。どうして今まで忘れていたのだろう。あんなに読みたくて読みたくてたまらなかった手紙なのに、こんなにボロボロになるまで読まずにいたなんて。

テーブルの上に置かれた手紙を見つめながら、私は彼からこれを貰った時のことをぼんやりと思い出していた。

たしかー…、
「はい、これ」
ぶっきらぼうに、照れ臭そうな笑顔をうかべて、彼は私にその手紙を差し出したのだった。
「え?なによ、とつぜん」
私は彼から手紙をもらったということに驚き、嬉しさを隠そうと少しはにかみながら封筒を受け取ったのだ…。

そうだ、これは前にもらった手紙だ。どうしてここにこれがあるのかわからないけれど、いったい何が書かれてあるのだろう。ずっと知りたかった彼の想い、何を考えていたのか、私のことをどう思っていたのか、これにすべて書いてあるのかしらーー。
胸の鼓動が高まるのを感じながら、私は封を慎重にぺりぺりとあける…。

そこで目が覚めてしまった。

ーああ。やっぱりね。いつもそうだ。夢の中でもらった手紙を読めた試しがないのだから…。
そう胸の奥でひとりごちて、ちいさなため息をおとす。
テーブルの上にも、私の手の中にも、手紙などはもちろんどこにもなかった。

けれど、なぜだろう、私の心は、このところめっぽう感じることのなかった、落ち着いた穏やかな気持ちを味わっていたのだった。

最後まで顔を合わせることのなかった彼の、あの懐かしい笑顔を、夢の中とはいえ久しぶりに見られたからだろうか?
きっと、そうだ。私は仔犬のように無邪気に笑う、彼の笑顔が大好きだったのだもの…。
夢に出てきてくれてありがとう。私に手紙をくれて、ありがとう。

そう思ったら涙が出てきた。
あれ、私泣いてる?と気付いた時には、もう歯止めが効かないほど、後から後から涙が噴き出して止まらなくなってしまった。
30半ばの大の大人が恥ずかしい、はたから見たら、いかにも失恋の傷心旅行じゃないの、と自分を戒めたけれど、一度ふたを開けてしまった涙の泉は枯れることなく、私はいつまで一人で泣き続けた。

ひとしきり泣くと、私は豪快に鼻をかんで、ふぅーっと大きなため息をひとつ、着いた。
ため息と一緒に、体じゅうから、それまで私をかたくなに縛っていた変な力も抜けていくような気がした。
久しぶりに肺にじゅうぶんな空気が入ってきた、と思った。
私はもっと新鮮な空気が吸いたくて窓をほんの少し開けた。

あ、桜のかおり。

涙で熱を持った瞼に、まだ少しつめたい風がひんやり心地よかった。
私は鼻をひくひくさせて、どこからともなく漂ってくる香りのありかを突き止めるようにそっと目を閉じた。

まもなく電車がホームに滑り込む。
私は窓を閉め、結局手を付けなかったおにぎりとお茶をバッグにしまった。

これは、お花見をしながら食べよう。
駅の近くの和菓子屋さんで桜餅も買って。ハンカチをレジャーシート代わりにして、桜の木の下で食べよう。
そうだ、桜の写真を撮って、彼にメールを送ってみようか。
今までありがとうって、私からもやっと返事を送れるような気がする。

それはこの上なく素晴らしい計画に思えて、こんなことを考えられるまでに元気になった自分がとても嬉しかった。
さんざん泣いて、お化粧のすっかり取れた私は、子どもみたいにつるんとした顔になっていた。
これからまた何度も泣いたり思い出したり、そんな日々がしばらく続くのだろう。
でもきっと少しずつ、私は前に進んでいる…。

私は足取りも軽く駅のホームの階段を降りて行った。
あたりに漂う桜の香りが、ふんわりと私を包んでいた。



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