何者にもなれない君たちへ

幼いの頃、大人たちに何度も聞かれた問い。
「将来何になりたい?」

幼稚園の頃はアイドル。
小学生に上がり、女優。
高学年になると、漫画家。
中学生の進路を考えた時期には“美術の先生”。

高校生になり、私は本当は何がしたいんだろう?と思うようになった。
現実的になった中学生から逆戻り、その当時はただ、日常が、現実が辛くて逃避の中にあった。
演劇部に入ったことをきっかけに、昔思い描いた女優ー…とは違うが、舞台俳優を目指そうと思った。

しかし何度か成功させた部活で行った舞台とプロには、天と地ほどの差があった。
劇団四季には想像できないほどの努力と、そして高倍率の中、1つの舞台に立つ為の運を手繰り寄せた役者が揃っていた。

私には台本を覚えるのでやっとだった。
数ヶ月かけて1つの台本を覚え、舞台でそこそこのものを披露する。
私は結局そこまでだった。

夢を追いかけて上京する勇気も、アルバイトしながら養成所に通う根気も、それらの努力を出来ると思うほど自分のことを信じることも出来なかった。

ただただ逃避を繰り返し、高校を辞め、通信制にて卒業資格を得た。
高校を辞める際、親から出された条件に学校に行かないなら働くこと、とあった。

バイトを始め、そのままその会社に就職した。
しかし社員になると同時に片道2時間の店舗に異動となり、わずか3ヶ月ほどで退職した。

そこから数ヶ月、無職の期間を経て、一人暮らしをする為に再度バイトを始めたり、夜職を少しだけやったりした。

しかし不安定な生活は苦しく、就職活動を経て就職。
ここも3ヶ月で辞めます、と申し出たが色々な状況が重なり、結局2年ほど勤めた。

ここで得たコミュニケーション能力や、たくさんの人に愛され必要とされる経験は大きく私の糧となった。

再び転職活動をしたのは、将来を考えてのこともあるし、やはりお給料面が大きかった。
転職先の営業職も半年で辞め、現在の職にいたる。

現在の私はやはり何者でもない。
仕事をしながら色々なことに手を出したり、色々な人と関わったりしている。

あの日夢見たキラキラした大人じゃなければ、お金持ちでもなく、過去に見た夢を叶えるでもなく、慎ましく淡々と日々を送っている。

ずっとずっと、何者かになる方法を探していた。
何者かにならなくては、と焦りすら常にあった。
自分よりわかりやすく成功した人を羨み、そして得られなかった未来を夢みては現実の自分に歯がゆさを覚えた。

それでも今、私は日々食べるご飯の美味しさに感動し、大好きな人たちとの会話に心を踊らせ、いい陽気の日にはこんな日が続けばいいのに、と思う。

いい匂いでふかふかのお布団に包まれる時には、幸せだなあと心から感じ、大きな怪我や病気なく、体力はないが楽しく運動ができること、汗をかいてお腹が空くこと、今の自分を作っているすべてに感謝する。

幸せは夢の中でなく、身近なものにあったのだ。

何者かになりたかった私は、いつだって自分が不幸だと思っていた。そして何者かになれば自分は幸せになれる、とも。

人はなぜ生まれてくるのか。
幸せになるために生まれてくるんだと、そしてその為に苦しむのだと思う。

今何者かになれずに、幸せではないと思い苦しむ人がいたのなら、とことんまで幸せや、何者かになることを追い求め、そしていつか自分の手元にある幸せに気がつくことができたらいいと思う。

私たちは幸せな人間、になってもいいのだから。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?