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『謎の女~幻のウグイス嬢編~』

「9回の裏~ 月岡高校の攻撃は~ 4番 ピッチャー 西野君 ピッチャー  西野君」

そのアナウンスを聞きながらオレは最後になるであろう打席に入った。

「4番 ピッチャー 西野君」 

アナウンスはなぜか再度オレの名前を告げる。ん? オレは一瞬動きを止めた。

「4番ピッチャー 西野君 下の名前は剛君 
ゴウと書いて 長渕剛と同じ字の 剛君」

え、とオレは構えかけたバットをおろす。場内がざわつく。アナウンスはなおも続く。

「名前は剛だけど 小さい頃は か弱かった剛君 
よわしって呼ばれてた剛君…」

オレはバッターボックスをはずして、ネット裏のウグイス嬢がいるであろうブースを見た。オレだけではない、相手投手も、守っている野手も、審判も、両チームのベンチも、みんな突如おかしなアナウンスをし始めたウグイス嬢の存在を探した。

甲子園ともなると1回戦とはいえ、外野席もそれなりにうまっていてかなりの観衆だ。その観衆たちがざわつきながら、ネット裏のブースに目を向ける。ウグイス嬢の姿が確認できないとわかるとその視線は一斉にオレに向けられた。オレは焦って小刻みに首を横に振る、え、いえ、オレ知りません、何も、と。

なおもアナウンスは続く。

「小学校1年から野球を始めた剛君 
中学になると急に体が大きくなった剛君 
野球もすっかりうまくなり いくつもの強豪校から誘いが来た剛君 
それでも地元の学校を甲子園に連れて行こうと公立の月岡高校に入った剛君 
そしてその願いを見事かなえた剛君…」

そこでウグイス嬢は胸に詰まったのか、言葉をのんだ。審判はタイムをかけネット裏のアナウンスブースに駆け寄る。関係者があわただしく動いている気配を感じる。何やってるんだ、早く開けなさい、ドンドンドン、このドアを開けなさい… 球場内は妙な緊張感に包まれた。

「剛君、ありがとう…」

再び始まったアナウンスは、今までのトーンとは違って、もっと何かをうったえるような切実な響きに変わっていた。

「剛君、あなた、本当にがんばったね。学校まで一時間半もかかるのに、朝は5時32分の始発、帰りは西ケ峯駅に10時22分に着く最終電車で3年間、よく通ったわね。電車の中ではどんなに空いてても、座らずに下半身強化のためにつま先立ちで…」

誰だ、このウグイス嬢は、どうしてそんなことまで知っているんだ… オレの驚きは徐々に恐怖へと変わっていった。あれは誰かね?と審判や大会関係者がオレに詰め寄る。いえ、知りません、オレたちがこんな問答を続けている最中も、ウグイス嬢はオレがどれだけこの野球に真摯に打ち込んできたかをとくとくと、時には言葉を詰まらせながら、語り続ける。バックネット裏からアルプススタンド、そして外野席まで全ての観衆は、いつしかそのウグイス嬢の語りに聞き入っている。

「剛君、9回の裏のこの打席は、このままいけばあなたにとって最後の打席よね。田舎の無名な進学校を甲子園まで連れてきて、おまけに優勝候補筆頭の相手に負けたとしても5点差なら、よく頑張ったって言えるわね…」

このアナウンスに場内から拍手が起きる。

「でもね、もしかして、もっともっと、あなたの想像を超えた奇跡が起きるような気がして、つい… ごめんなさい…」

ウグイス嬢のアナウンスが嗚咽に変わった。徐々に激しくなるしゃくり声。そして突然、ゴン、という音を立てて、アナウンスはカットアウトした。甲子園全体が息をのんだ。

大会関係者がアナウンスブースに合いカギを使い突入して、気を失っているウグイス嬢を運び出したようだ。

ほどなく試合が再開され、別なウグイス嬢がオレの名前を告げた。

「4番ピッチャー西野君 ピッチャー西野君」 

その瞬間、ホッとしたのと同時に、何か物足りないというような苦笑いが場内にもれた。剛君っていうんやろ、で、またかいなとツッコむんやろ、一人のそんな野次に観客はドッと沸き、オレはなぜかヒーローになったような不思議な興奮を覚えた。

逆に完全にペースを乱されたのか、場内の空気を持っていかれたのか、相手ピッチャーはボロボロだった。オレにフォアボールをあたえると、次の打者にもストライクが入らず、3者連続四球で満塁とランナーをため、そこからの3連打でオレたち月岡高校は優勝候補筆頭の神宮寺学園にサヨナラ逆転という伝説的なドラマを演じた。

試合後、あのウグイス嬢との関係について記者に囲まれるかと思っていたオレは茫然とした。インタビューのお立ち台も新聞や雑誌の記者に囲まれたのも、逆転サヨナラとなるヒットを打った峰岸だったからだ。それどころか誰もあのウグイス嬢の行き過ぎたアナウンスを口にするものはいなかった。その日のニュースも翌日の新聞も伝えるのは田舎の無名公立校が優勝候補筆頭の強豪に大逆転勝ちを演じたというものばかりだ。

あのアナウンスはなかったのか、オレの幻聴だったのか、そんな煮え切らない思いをずっと抱え続けていたオレはある時こんな言葉と出会った。

「甲子園には魔物がいる」

信じられないような試合展開になった時に、人々はよくこの言葉を使う。確かにあの試合もこの言葉が添えられて紹介される。魔物か。魔物の正体が、実はウグイス嬢だったなんて… それもオレの中にいた… そんなの誰が信じてくれるんだろう。
冷静に考えれば、9回裏、最後の打席に入る時のアナウンスに、オレは今までの野球生活の最後を感じ、尋常ではないオーラを発していたのかもしれない。それに恐れをなした相手投手が突如制球を乱した、おそらく実際に起こった事はそんな事だったんだろう。

ただオレの耳にはまだあの、剛君、という響きが残っている。大きな仕事をやり終えた時に、剛君、本当に頑張ったね、と。それでもオレはまだまだそれで終わってはいけない気がする、またあの言葉が聴こえる気がして…

剛君、本当に頑張ったね。でもね、もしかして、もっともっと、あなたの想像を超えた奇跡が起きるような気がして…

            【おわり】

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