見出し画像

#5 【教育格差に立ち向かう】 無償での自伝執筆を呼びかけている理由

 2021年に流行語になった言葉が「親ガチャ」。「生まれ」によって人生が大きく左右され、自分の能力や環境に対する諦め苛立ち、思い通りにうまくいかない原因を子ども側の視点から「親ガチャに外れた」と表現されたようだ。そして、この親ガチャ問題で議論の的として挙げられる課題が、子供の教育格差。
 
 この記事では、教育格差をテーマにわたしなり(自伝の執筆と保管を文化に|匿名性自伝サービス「アークカイブ」運営代表)の考えを紹介したい。あわせて、匿名性自伝サービス「アークカイブ」が無報酬での自伝の執筆を呼びかけている理由についても触れる。

<この記事とあわせて読みたいアークカイブの投稿>
他人の釜の飯を食うということ


親ガチャ問題|教育格差

 親ガチャ問題で取り上げられる課題として、子供の将来に影響を及ぼす教育格差。読者の方もご存じかもしれない。この日本を含め、主要先進国のどの国でも大卒の方が高収入になる傾向がある。つまり、学歴が重視される社会。そんな社会でありながら、以下のような傾向が見られる。
 
・父親が大卒だと、子供も大卒になる傾向がある
・両親が大卒だと、子供は旅行に行く機会や文化的なものに触れる機会が多くなる
・親の収入が高いほど、子供の塾への支出も高い傾向にある
・三大都市圏出身だと、そのほかの地域より4大卒になりやすい
 
 このように、親の社会経済的地位によって子供の教育格差が生じる構造となっている。また、この格差は世代間で受け継がれる傾向も指摘されている。この「生まれ」によって、その先の自分の人生が制約されてしまうという、不平等を目の当たりにし、「親ガチャ」という形で子供たちは不満を表現したのだろう。
 読者のみなさんはこの問題を耳にしたとき、どう思われただろうか。考えの中には「これからも教育格差が改善されることはないのか?」といった懸念も含まれていたかもしれない。そこでここからは、教育格差について深掘りし、改善の糸口を読者のみなさんと探求していきたい。
  「これからも教育格差が改善されることはないのか?」この問題を前に、まずは知識を揃えるため、いくつかの書籍に目を通す。やはり長いあいだ続く複雑な問題のようで、その全貌について整理を試みることに。すると、「とはいえ、教育格差にも大きな変化が生じるタイミングがあるのではないか?」と、直感的に感じた。この根拠として、教育格差が部分的に改善された話を聞いた実体験が挙げられる。

教育格差が解消された話

 この話について詳しく説明すると、わたしが随分前に、海外の工事現場で勤務していたときまで遡る。そこでは、出稼ぎに来ているインド人が同僚となり、一緒に働く機会があった。中には色々と指導して下さる、熟練の経験をもつ年配の方も。ただし、一緒に働く中で、あることに気が付く。その同僚は仕事に必要な計算(しかも算数の範囲)が苦手だった。子供のときに満足に学校で勉強する機会がなかったようだ。そういった経緯からか、「稼いだお金は自分の子供の教育に充てている」と話していたこと、また「(厳しい階級社会ではあったものの)今ではインド行政の働きによって教育環境も改善されつつある」と話していたことが印象に残っている。
 なお、海外で教育環境が改善された話を聞くと、日本でも似たような現象があったことを連想する。そう、日本が急速にグローバル化した明治時代だ。それ以前は教育格差がさらに極端な時代。江戸時代の幕末においても、5人に一人以上の割合で寺子屋で学べない子供がいた一方、藩士の子供はよりレベルの高い藩校や私塾で学ぶ機会が設けられていた。
  この状況を変えていく大きなきっかけの一つが、明治時代の義務教育の導入。国民全員の教育環境が底上げされる形で、教育格差の一部が改善された。ようするに、教育格差にも大きな変化が生じたタイミング。
 ここで仮説なのだが、この義務教育の導入の背景や考えに、既存の教育格差を解決する手がかりが隠されているのではないだろうか。少しでも理解を深めることができれば、既存の教育格差に関する解決策が見えてくるかもしれない。
 そんな思いが先走り、私の方で義務教育の礎を築いた人物について調べた。すると、日本で内閣制度が導入された1885年、このとき初代文部大臣を務めた森有礼という人物が目に入る。1886年に「学校令」を設け、日本の近代教育制度を創り上げることに大きく貢献した人物の一人だ。早速、伝記「森有礼」を手に取る。すると、教育環境を底上げする形で、国家のために献身的に尽くした一人の人生を目の当たりにすることになった。もちろん、義務教育導入までのイメージも深まる。

森有礼

森有礼 image from wikipedia

 書籍を簡単に見ていくと、まず1847年、江戸時代のに薩摩藩士の家で森有礼は生まれる。ちなみに、この時期は日本にとってもターニングポイント。直後の1853年、黒船がやってくる。そしてこれを機に、外国との圧倒的な軍事力の差が浮き彫りに。最終的に、不平等な約束を国家間で取り付けられていく。つまり、藩校に通いながら成長していく森有礼の背景には、海外への恐怖から、政治体制が混乱していく日本社会があった。それまで200年以上、鎖国していた日本社会。軍事力や科学技術で歴然の差がある世界に、急に取り込まれていったことによる混乱だ。
 あまりにも急激な変化が迫られ、なかなか想像がつかない時代。その中、急いで世界に追いつこうとする動きが出てくる。薩摩藩によるイギリス留学チームの計画だ。見事、17歳の森有礼もメンバーに選ばれ、ロンドン大学で勉強する機会を得る。さらにその後は、教祖のトーマス・レイク・ハリスが指導するキリスト教系の教団に入るため、アメリカに渡る。そしてそこでも1年ほど献身的な精神活動を学んだようだ。
 ここで読者からすると、「アメリカで宗教に没頭して何をしているのか?」と混乱を招いたかもしれない。だが、意外にもこの教団での学びが後の教育ビジョンに大きな影響を及ぼすことになる。それについては、また後ほど述べたい。
 ひとまず、海外で3年ほど過ごした後、1868年に日本に戻り、先進諸国に追いつくために奔走する。主に外交官として、米国、中国(当時は清)、イギリスで勤務しつつ、日本で最初の学会「六明社」を結成。そして1885年、伊藤博文(当時45歳)によって、当時最年少の38歳で初代文部大臣に抜擢される。このときの日本は、国としてのまとまりに欠け、諸外国との緊張状態が続く厳しい情勢下。「国際競争を戦い抜く国民へと、どのようにに教育するか?」という大仕事が、若手の森有礼に任されたということだろう。
 そしてようやく、ここからが本題となる。伝記や「森有礼における国民的主体の創出」から、「義務教育がどのような考えで導入されたか?」私なりの理解と解釈で紹介したい。

森有礼が掲げた教育ビジョン

 森有礼の教育ビジョンを一言で説明するなら、「国家のために献身的に尽くす国民を養成するため、全ての国民に高いレベルの規律を求める教育」だろう。最初のイギリス留学から、その後の外交官としてのキャリアを通じて、練りに練り上げた教育ビジョン。これを、ステップ1.「義務教育が日本で導入されることになった理由」、ステップ2.「義務教育の内容と成り立ち」、ステップ3.「義務教育を日本へ導入するにあたっての変更点」という3つのステップで説明する。
 では、ステップ1.義務教育が日本で導入されることになった理由を見ていく。まず、森有礼は、最初のイギリス留学から文明の差に危機感を抱いている。くわえて、その差は軍事や科学技術だけでなく、国民一人一人の能力や気質にもあると感じたようだ。日本がこの危険な事態を打開するためには、国民全員が能力を底上げすること。そして、近代国家として一丸となることが重要になるとの見方が固まった時期といえる。
 また、外交官として働く傍ら、欧米の有識者との相談を含めて、教育についての最先端の勉強を重ねる。特に、イギリスで1867年に導入されたばかりの義務教育に注目。イギリスで青少年の犯罪が減少し、国家を支える人材が形成されていると分析した。
 ここまでが、世界でもまだ新しい義務教育が日本で導入されることになった背景だ。次にステップ2.で、「義務教育の内容と成り立ち」を見ていく。そして結論から言えば、高いレベルの規律にこだわった教育となる。師範学校の「兵式体操」を含め、軍隊式の規律を持って全国の青年を養成しようとしている。もちろん、学校を軍隊のような規律のある場所へと試みたことにも理由がある。無知な人々を軍隊式の規律や訓練を通じて身体的に服従させることで、国家権力に従う国民の養成しようとしたのだ。まさに戦前の軍国主義の思想を思いっきり感じさせる内容であり、それだけ日本という国が追い込まれていたことも伝わってくる。

社会の幸福と規律のメカニズム

 また、重要なポイントとして、この強制される環境によって人を育成する教育思想には、森有礼の実体験が基づいていること。この実体験を積んだ場所こそ、教祖トーマス・レイク・ハリスが指導していたキリスト教系の教団だ。森有礼が教団で実践していたこととは、教祖ハリスへの服従し、また厳しい規律に従い、さらに激しい肉体労働に励むこと。この日々を通して、私利私欲の考えを捨て去っていたそうだ。
 ただし、「なぜこの強制の日々によって、私利私欲の考えが捨て去さられることに繋がるのか?」読者にとっては、分かりにくかったと思う。そこでより具体的に説明する。
 まず、人がほかの誰か(親、先生、上司)に命令されたときを想像してみる。そのとき人は、「命令通りに進めなければ」、「サボらずに進めなければ」と自分自身を観察し、命令に服従しようとする。もちろん一方で、「従いたくない」、「サボりたい」という、私利私欲に基づく考えや欲望も抱く。ようするに、私たちはこの二つの「自分」の間で葛藤や内省を経験している。

  森有礼も、教祖ハリスに服従し、自分の中で葛藤や内省を重ねていた。そして規律や肉体労働を繰り返すことで、自らの行動をコントロールしていく術(思考法、潜在意識の変更といったものではないか)を身につけたのだろう。その結果、元々あった私利私欲の考えは、社会全体のために献身的に行動する考えへと移行していく。
 結局、これの何が良いのか。たとえば、社会の全員が実践できるようになったとしよう。すると、人々は私利私欲より、社会全体のために献身的に行動するようになる。そして生活に必要なものは、社会から受け取るという、循環のある社会が形成される。つまるところ、森有礼は教団で、「社会の幸福と規律のメカニズム」を学んだのではないだろうか。また、この経験を基に、国民に軍隊式の規律を通して国家に献身的に尽くす考えの養成を試みたと解釈できる。
 現代でたとえるなら、サラリーマンが挙げられる。会社の企業理念や目標を受け入れ、日々自分をコントロールすることで会社の業績向上に貢献。また、それが会社の存続、自己実現、給料にもつながるという仕組みだ。森有礼の場合、よりシビアに取り組んだイメージではないだろうか。

自他並立の道徳観

 以上、ステップ2.で義務教育の内容とその成り立ちを見てきた。読者の中には、キリスト教が源流にある教育ビジョンということで、驚いた方もいるかもしれない。しかし、最後に一つ重要な補足がある。それがステップ3.の「義務教育を日本へ導入するにあたっての変更点」。森有礼は教団で学んだ「社会の幸福と規律のメカニズム」を単純にそのまま日本の教育へ輸入しようと試みたわけではない。その背景には、日本の宗教や伝統、国民の幸福を思う深い考えが含まれていたと理解できる。
 もともと、「社会の幸福と規律のメカニズム」を日本の義務教育で導入するにあたって、大きな問題が残ったと推測している。それが、個人の思想や信仰。もともと、森有礼は自ら選んで教団に入っている(森有礼は自身を)。そのため、ハリスのもとで規律の日々を求められ、自分の中の葛藤や内省を繰り返す際に、自分を納得させる方法として神の意志であるという、信仰の力を用いることができた。そして、この信仰や思想は、人間の自由、幸福、原動力に関わる最も大切な個人の究極的な権利。

 では次に、高いレベルの規律を義務教育に取り入れたときの状況を考えてみる。国民に選択権はなく、軍隊式の規律の日々は義務となる。身体的な服従を教育で強要されることは、国家の存続ために仕方がない時代。ただし、規律の日々の中、葛藤や内省を繰り返す際に、自分を納得させる方法として個人の思想や信仰まで教育で強要しては、人間の思想や信仰そのものが危機にさらされる。これでは、個人の幸福そのものが脅かされてしまう。
 そして森有礼は、あくまで思想や信仰は個人に委ねられるべきだと考えていた。そこで、道徳教育に「自他並立」の道徳観を取り入れる。簡単にいうと、「自分の利益や幸福だけでなく、他人の幸福も考慮した行動を取ることが求められる」という論理的な思考で導く道徳観(イギリスの哲学者ハーバート・スペンサーに影響を受ける)。規律の日々の中、葛藤や内省を繰り返す際には、道徳教育で指導する「自他並立」の道徳観を土台としつつ、教育では強要されない個人の思想や信仰をもって、献身的に国のために尽くして欲しいと願っていたのではないだろうか。

 ここまで森有礼の教育ビジョンの説明が長くなってしまった。まとめると、国家のために献身的に尽くす国民を養成するため、全ての国民に軍隊式の規律を求めたことが特徴といえる。ただし、国家のために個人の幸福を犠牲にしたわけではない。教育が個人の思想や信仰まで強要しないように、国民の権利を尊重しながら教育内容を慎重に練り上げている。これがわたしなりの解釈だ。

森有礼の最期

 そして1886年、森有礼はこの教育ビジョンの実現に向け、まずは義務教育の文言を含んだ「学校令」を制定。その後も、実現に向けて順調に進めていく・・・と思われた。しかし、3年後の1889年、国粋主義者によって暗殺される。「森有礼は国の制度や文化を極端に西欧化しようとするキリスト教信者だ」との憶測が世間で飛び交っていたようだ。思い描いた教育ビジョンは道半ば。42歳の若さで人生を終える。

明治以降の日本の教育環境

 読者の皆さんは森有礼が実現しようとした教育についてどう思われただろうか。列強国に脅かされ、緊張と混乱が続いた時代。その中、義務教育、自由な思想や信仰、そして論理的に議論できる道徳教育を設けようとした試み。これらは、結果的に現代の教育制度と近いものになっている。
 読者もご存知のように、森有礼の死後も日本の教育制度の改革が進む。そして戦後の高度経済成長を支える国民を育成することに成功。また、90%以上の人が高校を卒業する大衆教育社会が1970年代に完成。さらに、2000年からの国際学習到達度調査(OECD PISA)の結果において、日本は常に上位を維持。森有礼が日本の教育の底上げを計画してから今にかけて、一定の成功が見られるように思う。
 一方で、2008年頃から子供の貧困問題がメディアで取り上げられるようになる。最近では「親ガチャ」という言葉で親の社会経済的地位による教育格差が話題になった。これらは行政での対処が難しい、家庭間の教育格差だ。根も深い。どうやら、子供の貧困自体、少なくとも1970年代から存在。また、明治・大正時代から入学選考が盛んになり、1930年代には有名校への競争率が数十倍にも達している。受験ビジネスはこの当時からはじまっていたようだ。さらにさかのぼると、藩校や私塾に通い、勉強に専念できた家庭が江戸時代からある。見方によっては、教育格差の世代間の連鎖は数百年以上にわたって続いているのかもしれない。
 なお、不平等な状況は他国でも指摘されている。1960年代のアメリカでは、学校教育の機会が平等化されれば社会的、経済的な不平等が是正されると信じられていた。そして教育改革が実施されるものの、不平等を解決する方向に働いたわけではなかったようだ。

まとめ|無報酬での自伝の執筆を呼びかけている理由

 流行語になった言葉「親ガチャ」には、教育格差の問題も含まれる。そこでこの記事では、子供の教育格差について理解を深めることになる。まずは、教育格差の一部を改善させた義務教育に注目。その導入の背景にこそ、既存の教育格差を解決する手がかりが隠されていると考え、初代文部大臣、森有礼の生涯を追ってみた。そして厳しい時代のなか、国家や国民のために献身的に教育制度を作り上げた様子を目の当たりにする。ただし、そんな行政による教育を以ってしても、家庭間の教育格差は解決できていない。
 「文化経済学」において「無償財」という考え方が提案されている。世の中、人が提供するモノやサービスは、市場財や公共財だけではなく、この「無償財」もあるようだ。たとえば家族間で提供されるモノやサービス。愛情といった心や精神性がモノやサービスの原動力となっているそうだ。家庭間の教育格差には、この「無償財」の分析が求められているのではないか。わたしはそんな推測をしている。
 特に、「稼いだお金は自分の子供の教育に充てている」と話していた同僚や、森有礼の献身的な働きかけを見ていくと、「人を育てる」教育には、無償の精神性が必要に見える。この無償の精神性こそ、次世代の人間を育て、末長い社会や個人の存続を実現しているような気がしている。
 実は匿名性自伝サービス「アークカイブ」が無報酬での執筆を呼びかけている理由も、この無償の精神性にある。未来を築く自伝には(当然ながら運営する人間にも)、ある程度の無償な心意気が必要だと考えている。そうでなければ、恐らく遠い未来まで残らない。そう確信している(詳しくは「無償財」の説明を含めて、#9の記事で触れたい)。

【参考文献】

・小針誠(2015) 「<お受験>の歴史学」 講談社
・橘木俊詔(2017)「子ども格差の経済学」 東洋経済新報社
・松岡亮二(2019)「教育格差 -階層・地域・学歴」 筑摩書房
・犬塚孝明(1986)「森有礼」 吉川弘文館
・長谷川精一(2007)「森有礼における国民的主体の創出」 思文閣出版
・貝塚茂樹(2018)「戦後日本教育史」 放送大学教育振興会
・TISA
・池上惇・植木浩・福原義春[編](1998) 「文化経済学」 有斐閣

【ご協力のお願い】

 また、アークカイブ運営では、以下のような人材を探しておりますので、ご興味のある方は、ぜひご連絡いただけますと幸いです。

ご協力いただきたい方
・Rails開発・運用実績のあるエンジニア
・広報ができる方(記事執筆・動画企画・動画撮影・編集まで)
・その他ご協力いただける方

 活動に共感してくださる方、お手伝いいただける方、ご支援いただける方は、ぜひご連絡ください。

 どうぞ宜しくお願いします!

募金していただいたお金は、自伝を未来に届けるために使わせていただきます。この度は心よりお礼申し上げます。