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岩井食堂へようこそ

私は東京生まれ東京育ちの江戸っ子。でも東京を離れて生活するようになって6年になる。なので東京を訪れる時は、時間の隙間を生かして誰と何処で何を食べようかを考える。

先週東京に行った時、約10年ぶりに会う人生の先輩と行く店を何処にしようかと考えた。思い浮かんだのは四谷荒木町の岩井食堂だった。

もう15~16年くらい前になるだろうか、当時はまだ今ほどネット情報が主流ではなく、雑誌情報がまだまだ有力な時代だった。職場の仲間たちと食事に行くのに雑誌をめくりながら見つけたのが岩井食堂だった。予約をしようと電話をかけると、希望の日は満席だった。第二希望も満席だった。職場の仲間に相談すると、そんなに人気のお店ならますます行ってみたいという意見が大勢となり、もう一度電話をかけて席が空いている日を尋ね、我々がその都合に合わせて行くことになった。

岩井食堂はカウンターだけの小さなお店だった。オーナーシェフの岩井聖さんと、若い店員さん、そして岩井聖さんの妹の千佳ちゃんの3人で切り盛りしていた。初めての時にお奨め料理を訪ねると、いの一番に奨められたのが「玉葱の岩塩焼き」だった。そんなものを奨めるのか?とちょっと驚いたけれど、30分近くかけてゆっくり焼き上げる玉葱は、吟味された素材、そして塩も相まって、たしかに美味しかった。岩井聖さんはフランスやベルギーで料理修行の経験があり、その料理は当時の日本の標準的なフレンチやイタリアンよりどこか豪快で、それなのに繊細さも失わない印象のものが多かった。人気店になるのも納得できた。

岩井聖さんはカウンターの中で料理しながらお客さんとよく喋った。彼との会話を楽しめる客もいれば、そういうことも好まない客もいる。彼自身も客の好き嫌いが出てしまうことがしばしばあり、私は遭遇したことはないけれど、気に入らない客に「もう来るな」とやってしまうこともあったようだ。私は彼と同世代で、何度か行くうちに会話も弾むようになり、そうなるとメニューにない料理を出してくれたりして、ますます居心地よく過ごせるようになっていった。

その後も店の人気はどんどん高まって、有名芸能人がテレビで紹介するようになった。そして岩井聖さんのレシピ本も出版された。

「レシピを公開しちゃって大丈夫なの?」と私が訊くと、「あの本には書けることは全部正直に書いたけれど、それでもあの本通りに作っても俺の味にはならないですよ」と自信たっぷりに言っていた。

岩井食堂は人気の絶頂にあった。でもその頃から岩井聖さんはお客さんとのお喋りが些か過剰になり、料理をするスピードが遅れたり、店員さんや妹の千佳ちゃんが料理をする頻度が上がっていった。客と喋りながら飲むワインの量も増えていった。私は常連客としてある意味優遇されていたわけだが、それでもちょっと違和感を感じ始めていた。

そんな頃、私は20年勤めた職場を辞し、別の仕事に取り組むことになり、都内ではあるものの生活圏と交友関係が大きく変わって、岩井食堂に行く機会がなくなってしまった。

私が新しい仕事に取り組むようになって数年後、新しく開拓した得意先を訪問すると、帰路に岩井食堂があることを思い出した。予約無しではどうせ入れないだろうし、仮に席があってもクルマでの移動だったのでワインは飲めないけど、それでも久しぶりに顔を出してみようと一人で岩井食堂に寄ってみた。その頃の私はリーマンショックや東日本大地震に襲われて、新しい仕事が難航していて、華やかで楽しくやっていた頃の思い出の店を訪ねればちょっとは元気を取り戻せるかな、という思いもあった。

でも久しぶりに訪れた岩井食堂に、かつての賑わいがないことは、店に入る前から分かった。扉を開けると席は半分くらいしか埋まっていない。カウンターの中には千佳ちゃんが一人きりだった。

それでも千佳ちゃんは私の顔を見ると嬉しそうな笑顔で「わあ~、斎藤さん、久しぶり~」と喜んでくれた。メニューを見ると料理の半分くらいはかつてとは入れ替わっている。いくつかの料理を頼んで食べる。すべて千佳ちゃんが一人で料理していて、美味しさは変わってない。私が料理を食べ終えるころ、他のお客さんがすべて帰ってしまい、千佳ちゃんが話しかけてきた。

「斎藤さん、元気だった?どうしてるかなって思ってたのよ」
「仕事を変わったんだけど、まあ覚悟はしていたけど甘かった。思ってた以上に大変でさあ」
「こっちもよ。地震のあとなんか、お客さんが街から消えちゃって」
「ところで、お兄さんは?」
「あいつは、追い出した」
「え?」
「調子に乗ってろくに仕事もしなくなっちゃったから、追い出した」

私はそれ以上のことは訊けなくなってしまい、よく覚えていないけれど、話題を逸らしたと思う。

調べてみると岩井聖さんは渋谷のほうで別のお店を開店したという情報がみつかった。私は一度だけその店の前まで行ったのだけれど、ドアを開ける気持ちにならずに帰ってきてしまった。

その後私はそちら方面のお客さんに営業に行った後には岩井食堂に一人で寄るようになった。酒を飲まずに食事だけ。当初は置いてなかったノンアルコールビールがメニューに載った時に千佳ちゃんに「どうして置くようになったの?」と訊いたら、「何言ってんの~。斎藤さんが置けって言ったからじゃない」と怒られた。

その後私は、取り組んでいた事業で揉めて、その仕事を追われ、再びサラリーマンになった。サラリーマンになってからも岩井食堂には何度か行ったけれど、ほどなくして転勤を命じられ千佳ちゃんに挨拶をする機会を逸したまま東京から離れてしまった。

先週、6年ぶりに店を訪れドアを開けると、まだお客さんのいない店内で千佳ちゃんが一人で開店の準備をしていた。私の顔を見ると以前と同じように「元気だった~?何年ぶり~?」と笑顔で迎えてくれた。「シンガポールに行く前だから、6年ぶりかな」。分かっていたことだけれど、岩井聖さんの姿はやっぱりそこにはなかった。

その日一緒だった私の人生の大先輩も岩井食堂の料理を美味しい美味しいと喜んでくれ、四方山話に花が咲いた。お店には常連さんらしき客が次々とやってきて、一時の狂ったような賑やかさとは違う落ち着いた空気が店の中に流れていた。千佳ちゃんの料理はお兄さんのかつての料理の流れをしっかり受け継ぎながらも、兄貴とは違うのよ、という思いも伝わってくる料理に進化しているように私には感じられた。でも先輩はそんなことは知らず、純粋に「美味しい」を連発していた。

食事を終えて帰り際、千佳ちゃんが扉の外まで見送りに出てきてくれた。

「訊いてもいい?」
「なんでも」
「お兄さんは今も渋谷で店やってるの?」
「兄は二年前に死んだわ」
「え?」
「渋谷の店は長く続かなかったのよ」
「・・・・・」
「好き放題やって、お酒の飲みすぎで、死んじゃったわよ」
「・・・・・・」
「また東京に来たら、顔見せてね」
「もちろん」

私が岩井聖さんの顔を最後に見たのはもう13~14年くらい前だと思う。それでも彼の記憶は鮮烈に残っている。まるで若くしてスター街道を上り詰めて命を削って輝いてあっという間に散ってしまったロックスターみたいな人生だ。彼が散った後の千佳ちゃんの料理にも、どうしようもなく大きい彼の存在が感じられる。それを一番知っているのはもちろん千佳ちゃんだ。他人には言えない実の兄貴との葛藤とともに。

でも今の岩井食堂のお客さんは、そんなことは思いもせずに、純粋に千佳ちゃんの料理を楽しんでいる。それでいいのだ。だから本当は私もこんな文章を書かないほうが良かったのかもしれない。千佳ちゃんがみつけたら怒るだろう。でもかつてのあのちょっと浮かれたような岩井食堂より、今の岩井食堂の落ち着いた空間の方が私は好きだ。

「その通りに作っても絶対に同じ味にはならない」と岩井聖さんが豪語したレシピ本は、今もAmazonで買うことが出来る。そして兄貴の言葉通り、千佳ちゃんの料理は、聖さんの料理とは違う世界を生み出している。だから今こそ、

岩井食堂へようこそ
岩井 聖 https://www.amazon.co.jp/dp/4889692215/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_nuIwEbQ3N9TNJ via @amazonJP

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