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「劇作家」になった日。           還暦デビュー!?

「戯曲デジタルアーカイブ上演申請フォームに上演希望の問い合わせがありました。」
心臓が早鐘を打つ。ってこういうことか。
メールを何度も読み返す。

誰かが、ワタシの戯曲を最後まで読んでくれた。
しかも、上演してくれる?
あれを。あの戯曲を誰かが演じるのを観ることができる。
こんな、幸運なことがあろうか。
芝居は幕があいてみないとわからない。
そう思いながら、なんだろう。
涙がとめどなくあふれていた。

2018年3月。
観劇で手渡された山ほどのフライヤーの中に「戯曲セミナー」の文字。
劇作家協会主催。講師は若い頃から見知った劇作家たち。
場所は高円寺。週一で5月から翌年3月まで。長丁場の講座。
仕事も、子供との関係もこじらせて、現状を変えないと。何かやらないと。
だからって、なんで戯曲なのかは自分でもわからなかった。
それでも、週一回、仕事の定時あがりを自分に課すことが必要なように思えた。
今まで、長時間働くことが当たり前だったから、
しかし、定時退社するのに勇気がいるとは思いもよらなかった。

2018年5月30日 
小さな一歩を踏み出す。
19時高円寺。戯曲セミナー開講。
20代の頃憧れた小劇場の作家たちが先生となって眼前で話している。
同年代の先生方とは同じ映画、芝居、音楽を観てきた。
嬉しくて、嬉しくて、お話に頷き、大きく反応する。
「知ってるって顔してる方もいるねえ。」
最前席でうなづくおばさんに目もくれず、講義は進む。
時にはワークショップで、つっこまれたり、褒められたり。
時には悔しかった話や、自慢話、笑える話があったり。
あっという間の十カ月だった。

2019年3月
最終提出戯曲を書き上げる。
添削指導をお願いしたのは長田郁恵先生。
するどい、的確な指摘は素人には勿体ないくらいだった。
コテンパン(-_-;)。そりゃそうだ。でも、ありがたかった。
隅々まで読んでくださり丁寧に赤を入れてくださっていた。
書き込みの入った原稿は今でも宝物だ。

2019年8月
長野県上田で劇作家協会大会が開催された。
どっぷり戯曲につかる四日間。
舞台上で台詞を読んだり、声を届かせるワークショップ。
リーディングに講演。上田の街が大好きになった。

あとは講座三昧
丸尾聡先生のラジオ脚本講座。故林広志先生のコントシナリオ講座を受講。書くことの大変さと楽しさをちょっとだけ体験。
戯曲セミナー同期の芝居やリーディングを見に行く機会も増え、演劇の幅の広さを再確認し始めた頃。
コロナ禍急襲。

2021年。
エンタメ業界はボロボロになっていた。
そんな時「書きなさいよ」と、丸尾師匠から励ましの直電。
自分の戯曲を公開することなど考えたことはなかった。
ましてや、上演してくれる団体があるなど思いもしなかった。
それでも、考えに考えた。
その時の精一杯で書き上げた戯曲は、ネット公開サイト締め切り日の時間ギリギリに完成した。

劇作家協会デジタルアーカイブ公開。
無料で500本以上の戯曲が読めるサイトがネット上に構築された。
別役実、鴻上尚史、野田秀樹、平田オリザ、渡辺えりなどなど。
読みたい劇作家が綺羅星のごとく名を連ねている。
そんなところに、自分の名前が載っている。
恥ずかしいやら、嬉しいやら。
とにかく、一歩進んだ

そして

2023年12月。この日のことを生涯忘れない。
たった一通のメールに書かれた一行が体中の血液を頭に集めた気がした。
そう
「戯曲デジタルアーカイブ上演申請フォームに上演希望の問い合わせがありました。」だ。
何度でも書いてしまう。

ほんとうにありがとうございます。
専門学校ESPエンタテインメント福岡 進級公演
選んでもらえたことが奇跡。神様からのご褒美。
観に行くことを許してもらい。
いざ、初福岡へ。

2024年2月
専門学校ESPエンタテインメント福岡 進級公演
選んでくれたのは演出家先生。
出演者は1年から2年に進級する声優科の4人。
学校併設のホールはライブ空間のように舞台が高く、照明も本格的。
先輩たちの見守る中、40分弱の堂々たる演技だった。
思い描いたような4人の姿が嬉しくて、嬉しくて。

感動しすぎて聴きたいことも、言いたいことも十分とは言えなかった。
ただひたすら、感謝しか口にできなかった。
「このお話は好きです。」そう言ってもらえた。
書いてよかった。心の底から思った。 
それと同時に、もっとこう書ける。
この台詞は言いにくそうだった。これは省ける。
これは、もっと書いていい。
欲が出てきたのも確かだった。

そうか、こんな瞬間が、まだ、私にも訪れるんだ。

あのとき、戯曲セミナー受講に挑戦して本当に良かったと思っている。



次回:
さらに、2024年 2作目が2度上演されるという奇跡が起こった。
ほんと、生きててよかった。


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