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『毒親』という言葉が頭から離れない


なぜだか分からないが、『毒親』という言葉が気になって仕方ない。

自分自身は、毒親を持っている訳でもないが気になって仕方ない。
前世でなにか因果でもあったのかと思うほどに。


ちなみにwikiによる『毒親』の意味は以下。

毒になる親(どくになるおや、英: toxic parents)は、毒親(どくおや)と略し、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である


日本でいうと、ここ10年くらいでよくメディアなどで耳にする機会が増えたように感じる。

実際、もっと昔から存在していて…代表的なところでは、
『白雪姫』の継母が代表的な毒親だ。
娘の美しさを恨み認めることが出来ずに殺そうとする。

いやはや、とんでもない毒親っぷり…。


本屋に立ち寄った時に目に入った…
脳科学者である中野信子さんの書かれた『毒親』を購入。

実例や研究を元に『毒親』について書かれていて、今まで漠然と毒親が気になっていた気持ちに少し答えが出た。

自分の記録として読書感想文を残したいと思う。


様々な毒親

毒親と言っても、父親が息子に・母親が息子のパターンも考えられる。
ただし、一番注目されているのは母親と娘

その理由として、息子は娘よりも親を毒と言いにくい・認知しにくい可能性があるらしい。
男女の価値観の違いもあると思うが、息子(男性)が母親(女性)に毒されているのは認めたくない気持ちが出るのは想像出来ると思った。


毒親と言っても、様々な種類が存在する。これがまた面白い。

【妬む母(白雪姫コンプレックス)】

母親が娘にもつ憎悪。
娘の美しやを妬む、テストで100点をとっても認めない、彼氏が出来ても悪口を言い認めない。

『中学生になっても女性下着を買ってもらえない』『女性とは思えない髪型にされる』なども妬む気持ちから起こる事なのだろう。少しでも娘を自分より格下にしたい気持ちで意地悪をする、完全なる憎悪。


【子と競う母】

子供と競い合う気持ちが強い。
娘が高く評価される事を嫌い、他者から褒められても『そんなことはない。自分の方が優秀だ』と自慢話をする。年齢に見合わない若い服装をする母。

娘の彼氏を寝取ったり、色目を使う母親もこれに該当するだろう。
母親本人はその気がなくても…、若い娘に負けたくない気持ちから、年相応でない服装・振る舞いをする知り合いのお母さんいたなぁ。一見して毒親には見えないケースもある。


【コントロールする母】

子供になんでもやってあげる母。過保護。どこに行くにも送り迎え、先回りして欲しいものを買う。愛が濃すぎる故に、娘をコントロールしたい。

一番イメージが湧く身近にも多くいたケースだと思った。
毒親という言葉がなければ…ただの過保護とも見えなくもない。
『女の子なんだから短大で良いのよ』とか、『女の子なんだから料理は出来ないと』もコントロールの一種だ。

過保護な毒親で代表的な漫画『血の轍 (押見 修造 著)
愛する息子の為なら殺人すら犯す母親と…完全にマインドコントロールされている息子。本当に愛しているのか、いないのかが分からない…毒キツめの物語ですが…おすすめです。目を離せない。


【類似性が高いと憎悪をもつ】

『私だってあれくらいの男と結婚出来た』『今の時代なら学校に行けたのに』という嫉妬心。母なら娘に、父なら息子に抱く事が多い。

毒親の中には祖父母も含まれると思う。
孫の学校や状況を羨ましがり、いびるような事をする祖父母が世の中には存在するらしい。そのあたりは、エッセイマンガの『毒親サバイバル(菊池 真理子 著)』に描かれてて鳥肌が立った。

実在する毒親をオムニバス形式でコミカルに描かれて、とても読みやすい&驚きのある一冊。


我が家に毒親は存在したのか

はじめにも書いた通り、私自身は毒親育ちだとは微塵も思ってはいない。
しかし、毒親に関する内容は非常に気になり…頭の片隅から離れない感覚がある。

なぜなのか。

思い返してみると…
私は母が卒業した母校の私立に中学校入学しているのが、これも一種のコントロールだったのかもしれない。


ただ、私の記憶の中では『自分で決めて入学した』とハッキリ思っている。それは今も、昔も考えは変わってない。受験する学校を色々見学に行き、結果的に母と同じ学校を受験したいと自ら決めたのだ。
中学校入試だったので…12歳ながらハッキリと自我があった。


同様に、母は姉も母校を受験させていた。

結果として、別の私立に入学している。そして、私とは違い小学校受験だ。6歳の子供に意思があったのか…なかったのか。

姉が30歳を越えて、子供を持ったタイミングで母に長文メールを送った事がある。
小学生の頃、○○が嫌だった。その時の気持ちが今でも忘れられない』といった内容だ。実際に内容を見せてもらったが、詳細なエピソードまで書かれていたので…姉の中では、はっきりと嫌な記憶として残ってるのだと思った。

私からみると、そんな事を大人になってから母に伝えて何の意味があるのか疑問で仕方なかった。
母を困らせ、謝らせたいのか…理解できなかった。

姉にとって、小学校受験はコントロールさせられた認識(意思を持って入学した訳でない)で、その恨みのような気持ちが30歳を越えても残っていたのだと思った。

中学校受験を自分の意志でしたと思ってる私と、小学校受験を親の意志でさせられたと思ってる姉。

同じ家庭で育っても『親』に対する感情は違う


本の最後に、『毒親は親だけでうまれるのではなく、子がどう感じるかで決まる』と書かれていて、とても納得感があった。

私にとって母は毒ではない、姉にとっては毒と感じたのかもしれないと。

姉は自分の子供を、小学校受験させている。
私からみると、甥っ子は顔色を窺ってるようにも見える。なぜ、同じことを繰り返すのか。
そういう意味で、姉にとって母は毒ではなかったのかもしれない。


なぜなのか

なぜ、『毒親』が頭にこびりつくのか。
意識はしてなかったが、意外と身近にいたからかもしれない。

noteに書こうと思ったのは、この気持ちや想いを発散したかった。
誰に見られたい訳でもなく、感じた事を発散させてることで浄化させたいような気待ち。

こういう人もいるんだ、こういう家庭もあるんだと知れる事で心が軽くなる気がした。

そういう意味でも本を購入して良かった。

毒親で悩んでるひとや、気になるひとにはオススメの一冊です。

#読書感想文

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