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小さく、細かく、具体的に──『もしもし、あわいゆくころ<試演会>』座談会

2020年より、かもめマシーンが取り組んでいる「電話演劇」の最終章としてつくられた『もしもし、あわいゆくころ』。この作品は、瀬尾夏美による『あわいゆくころ』(晶文社)と、吉田恭大による『光と私語』をテキストとして、電話回線上で上演されます。

2022年4月、6月に予定された本公演に先駆けて、この作品の試演会を実施。携帯電話と携帯電話をつなぐという環境は、特設の電話ボックスを使用するという本番の環境とは異なるものの、本公演を前にしたトライアルとして、12名の観客に、いち早く本作に触れていただきました。

そして終演後に開催された本作をめぐる座談会には、5名の観客が参加。『もしもし、あわいゆくころ』という作品を通じて得られた自身の体験を語りました。


作品に入り込めた「うん」

参加者K:今回、僕は稽古場にお邪魔をして聞いていました。これまで「わたしじゃないし」「シモーヌさん」を聞いていますが、今回、前2作と異なっていたのが、冒頭に上演時の注意事項や、上演時間などをアナウンスする前説があったこと。俳優自身による前説は、今までなかったですよね。

萩原雄太:これまで『もしもし、わたしじゃないし』(2020年)『もしもし、シモーヌさん』(2021年)を上演してきて、3作目となるのがあわいゆくころです。僕らも「電話演劇」という形式で試行錯誤をしながらつくってきて、ようやく3作目にして「普通に喋る」ということが可能になった。これまでは、機械音声でつくった前説を入れていましたが、今回、ようやく俳優が普通に喋って前説を言えるようになったんです。

作品の上で、どうしても演出家は「演技」を求めてしまうし、俳優は演技をしてしまう。その意味で、この2年間の試行錯誤は新しい演技体を生み出していく過程だったとも言えます。ただ、ここで言う演技体とは、決して、「変な声を出す」「強い声を出す」ということではありません。それは、演技を脱ぎ、演技をなくしていく過程だったんです。


参加者Y:私は、電話演劇に参加するのは初めてでした。電話に出たときに、清水さんの話していることが演技なのかどうなのかがわからず、戸惑いました。いざ、電話に出るとしどろもどろになってしまったんです。

劇中で、4〜5回くらい「もしもし」という言葉が使われていましたね。それに対して「はい」と、よそよそしく答えることはできたのですが、「うん」とは言えなかった。しかし、一度だけ「〜だよね」という語尾の言葉があって、そこで思わず「うん」と言ってしまったんです。そうすると、どこか、作品の中に入り込めた感じがしました。そんなこと言っていいのかな……と思ったのですが。

清水穂奈美:話している側としては、返事がもらえるとすごく嬉しいんです。嬉しさと同時に、そこにいるという感じが強く伝わります。

参加者Y:途中、ずっと「うん」って言いたい気持ちがあるのに、なかなか言えない。どこで言ったらいいんだろう? と考え続けていたんです。すると、自分が耳を傾けていることを意識させられました。それは、清水さんの声を通じて、登場人物たちの声に耳を傾けているんだと実感したんです。

また、短歌をゆっくりと読んでいる部分で、ぞわぞわっと来ました。その言葉が、まるで海からの声のように感じられたんです。海からの声であり、それが電話を通して聞こえてくる、また、清水さんが発している声でもある。いくつもの意味が重なって、心の奥底に響く感じがありました。


「共感すること」に共感する

参加者H:これまで、電話演劇はずっと気になっていたのですが、ずっと聞く機会がありませんでした。今年、ようやく吉祥寺シアターで行われた『ベンチのためのPLAYlist』を聞けたのですが、1対1でリアルタイムで行われる電話演劇は初めて。時間になり、電話がかかってくるとびっくりしました。電話を受け取るか、かけるのか、それだけで全く違う体験になりました。

萩原:『ベンチのためのPLAYlist』では、観客が電話をかけるという形でしたが、今回の試演会では、観客は自身の携帯電話にかかってきた電話を受ける形にしています。

参加者H:『ベンチのためのPLAYlist』で電話をかけるときには、聞き手である自分がある種の「演技」をしているように感じたのですが、今回は、自分で劇場に足を運んだような感覚に近いものがありましたね。

萩原:Hさんは、以前、僕らの公演を手伝ってくれた関係もあり、知り合いという間柄です。そこで、電話をかけた清水は、「お久しぶりです」という挨拶から始まりました。

清水:今回、お互い知り合いという人は、その関係性を無理に隠さずにやろうと思いました。自分として試みたことは、パフォーマンスを聞いてもらうのではなく「普通に電話をする」ということ。それを通じて、何かを伝えたり、共有したりしたかったんです。だから、知り合いだったHさんには初めの挨拶で「お久しぶりです」と言いました。

参加者N:昨年の豊岡演劇祭でぜひ聞きたいと思っていたんですが、演劇祭が中止になってしまったので、今回、初めて電話を体験することができました。今回、開けた所で聞きたいと思い、近所の古墳公園で聞いていたんです。そこには石のベンチがあって、溜池があります。ベンチに座り、池を眺めながら聞いていたんです。

いざ始まると、田舎に引っ越してから音が気になるようになった私に「聴覚」という言葉はすごく刺さったし、池を眺めていると、テキストの中で語られる「お茶碗、食器棚、車、漫画、調味料、靴」などが、プカプカとそこに浮かんでいるように見えた気がした。

また、短歌の中にサギの歌がありましたよね。実は、まさに目の前の溜池にはサギがいてドキッとしながら聞いてしまいました。それに、土や、埋められるという話も、古墳という盛り土の傍らで聞いていたこと、その下に人が埋葬されていること、むかしの人々の生活が埋もれていることがオーバーラップしてぐっと来ました。

上演が終わって電話が切れると、まるで、親しい知り合いから電話がかかってきたような感触が残っていました。気づくと、電話の間、視界の端で動いていたサギが一匹残らず飛び去っていた。どこかもの寂しい感じがしましたね。

萩原:理想的な聴取環境ですよね(笑)。あわいゆくいころ、震災の話だけど、それだけではない。震災ではあるけど、それにとどまっているのではなく広い世界のことになる。自然災害でなくても、空襲であったり、ウクライナで起こっているようなこと、破壊復興再生の比喩として機能する。その意味で、どんな時代、どんな国でも聞けるのではないかと思います。

参加者N:ただ、少し戸惑ったのが、「もしもし」という言葉に返事をしたくなること。「もしもし」という言葉が使われることによって、現実に引き戻される感じがしました。

萩原:「もしもし」という言葉を投げかけられると、作品世界のことであるにも関わらず、「もしもし」と返したくなる。自分の身体がここにあるという感覚を強く感じ、聞いている自分が照らされるんです。

Nさんの「現実に引き戻される」という感じは、この形式にとって、本質的なことではないかと思います。

参加者N:だからこそ、周りの景色に重ねやすくなったかもしれないですね。

「違うもの」「でもつながっている」

参加者T:僕は、瀬尾さんの活動は、かつて水戸芸術館で3.11に関連した展示をしていたときから追いかけてきました。僕自身、16年〜18年まで、宮城県の山元町で復興支援の仕事をしていたために、彼女たちの活動が他人事とは思えなかったんです。

よそ者として被災地に入り、現地の声や意見を聞き、まとめたりアクションをしたりする。その活動は、とてもユニークであると思う一方で、少し素朴すぎるのではないかと感じることもありました。

彼女が拾い上げる言葉は素朴で弱いものばかりですよね。それで防潮堤を始めとする復興工事の強さに対抗できるのだろうか? 今回『もしもし、あわいゆくころ』に参加しながら、最初、そのようなマッチョな反応をしたのですが、聞いていくうちに頭でっかちに「復興はこうあるべき」「こうしなければならない」と考えるのではなく「共感することに共感する」ということが、とても大切なのではないかと感じました。

萩原:被災地に暮らす人々に対して共感する瀬尾さんのテキストに共感するというような、共感の連鎖というイメージですね。

参加者T:はい。また、清水さんの演技がとても自然だったのも印象的でした。大きな連帯を上から示すのではなく、ひとつひとつのことを実感を込めて行うことの大切さを思いました。

清水:瀬尾さんが記録してきた言葉たちは、ささやかでとても具体的なものです。そういう言葉を仲介するときに「パフォーマンス然」としてやりたくなかった。人の身体って普段、瞬間的にいろんな細かいやりとりをしている。今回のテキストの言葉もそういう身体から生まれてきたものだし、聞き手のそういう身体にアプローチしたかったんです。

人が生み出しているはずの大きな流れが、いつの間にか手に負えなくなって、誰もが流されてしまうことってたくさんありますよね。その流れに対して、同じ土俵に乗るのではなく、その中にある個別具体的なものを見て、受け渡していくこと。人間が変わるにはそっちの方が強いんじゃないかな、と信じています




参加者T:
ひとつ、質問があります。Nさんのように「もしもし」と返そうとするような個人的な身体感覚が想起されるのは、とても大切なことだと思います。ただ、その場合、個人的な身体感覚から、どのようにして大きな問題に接続することができるでしょうか?

清水:今回、演技をするにあたって、これまで多用してきた「イメージ」を出来るだけ使わず「あるもの」だけでやろうとしました。電話であること、『あわいゆくころ』の上演であることなどの「事実」を受け入れながら、小さく、細かく、具体的にあるものを見ていく。テキストの言葉も上演も、それが何によって成立しているのかを素直に捉えたかった。そういう態度が必要だと思ったんです。

復興工事のような大きな流れに、個人的な身体感覚から直に接続することはできないと思います。それは階層が違うから。ただ、直接にではないけれど繋がってはいるはず。

そこで必要なのは、「違うものである」「でもつながっている」というあり方を同時に見ながら、大きな流れを生み出している無数の個別具体的なものを的確に捉えようとすることじゃないでしょうか。そうしないと、災禍や戦争といったものをちゃんと語れないんじゃないか。「新しい語り方」ができないのは、新しい発見がないからで、だから同じことを繰り返してしまう。今回『あわいゆくころ』を上演し、強烈にそんな考え方を教わりました。

萩原:個別的な小さなものと、大きな流れが、「違うものである」「でもつながっている」という感覚は僕も同意します。一見すると、それらが接続する場所は全く存在しないように思える。けれども、例えば時間軸を「1000年」と取ったら、その見え方が少し変わってくるように思います。

被災地に関わる多くの人が、11年を経てもいまだに「復興は終わっていない」と話します。では、復興とはどのような状態なのだろうか? 『あわいゆくころ』を丹念に読んでいくと、復興とは「暮らしというシステムを営んでいくこと」なのではないかと感じました。その小さなシステムを継続していくことが、1000年後の大きな流れへとつながっていくのではないか。

その意味で、このテキストは、次の大津波まで時間を繋げようとしている射程の長いものであるように感じました。


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