ララランドと人生

超いまさらではありますが映画ララランドを観ました。もっとはやく観ておけばよかった、っていうか、劇場で観とけよ、バカか?と2016年の自分を罵りました。

ひとことでいうと泣けました。わたし自身の約30年間の人生において、恋愛に入れ込んでる時期ってそんなにないのですが(同い年の女の子と比べるとだいぶ恋愛に割いてる時間が少ないと思う)泣けました。普段ラブストーリーとか全然興味ないのに泣けました。相手のことをすごく大切に思っているのに、男と女の関係においての分かりやすい正解である結婚にたどり着けなかったふたり。もう会わないかもしれない、今後の人生に登場しないかもしれない、でもそれって間違っていたわけではないよね、ということを強く強く思って、泣けました。

やっぱり男女関係のハッピーエンドとされるのは結婚なんですよ。もう平成も終わりますけど、3組に1組が離婚する時代ではありますけど、今も結婚っていうのは幸せの象徴と見なされていると思います。結婚はゴールじゃなくてその後だって大変だというのも勿論みんなわかっているけど。
だから結婚せずにさよならした2人って、間違ってた、相性がよくなかった、結ばれない運命だった、というふうに言われてしまうけど、でもそれは悲しいことだと私は思うのです。結婚っていうかたちにはハマらなかったけど、その人たちそれぞれの関係性って間違いなくあると思う。人間が人間に好意を持って、共に過ごした時間はなくならない。それを肯定された気がしました。特にミュージカル映画など形式がお伽話に寄っているものは、”二人は結婚していつまでも幸せに暮らしましたとさ”で終わる作品も多いから、なおさら。

なんか、男女だから悲しいんでしょうね。男女だから恋仲になるし、男女だから結婚できないし。お互い恋愛対象じゃなかったら、親友としてなにもモヤモヤすることなくずっと付き合えていたかもしれないけど、でもそんなのタラレバだ。いや、男であるセブを好きになって、女であるミアを好きになったんだから、そんな話は無意味か。

多分ミアはジャズを好きにはなれなかったんだろうな。好きになる必要はないし、恋人と趣味が同じじゃなきゃいけない理由なんてない。でも好きになってほしいっていうきもちも、好きになったって嘘をつくきもちもすごく愛だよなあと思った(もし本当に好きになってたらごめん、ミア)。このシーン、とっても印象に残ってて、やたらと「うわ、人生。」という気持ちになりました。自分と同じものを好きでいてほしいっていう感情はなんなんだろう。愛って一体化したいと望むきもちなのかなあ。

結婚しなかった男女って、総じて元カレ・元カノとして均一化されてしまうのがいやですね。なんか、あっけなくないですか、その名称。もっとこう、情緒を感じる呼びかたはないんでしょうか。

この作品を、「結婚ではなく夢を選んだ人たちの話」とは評したくないな。なんだかそこを分断する必要はない気がする。

こんな感じで、泣きつつも結婚とか恋愛にいろいろ思いを馳せてしまう映画でした。

人生に正解なんかないんだ。
いや、むしろすべてが正解なのか。

#ララランド #映画 #映画感想 #日記 #結婚

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