銀行を退職して、信用組合で働くことにしました。

くめです。今夏に3年半ほどお世話になった銀行を退職して、来年から信用組合で働くことに決めました。

約半年の中で「退職する」、「無職期間を過ごす」、「転職活動する」、そして「転職先を決める」という経験をしました。この一連のプロセスの中で、結構な気持ちの揺らぎがあったように思えます。せっかくなので、思いつく限りを書き留めておきたいと思います。

新卒で銀行に入社した理由について

銀行といっても融資や為替をやるわけでもなく、システム開発を担うシステムエンジニア(社内SE)として入社しました。一応バンカーとして名乗れるわけですが、やや特殊ですね。

■なぜSEになったのか
大学でいろんな講義を聞いているうちにITやインターネットに興味を持つようになり、就職活動ではチームで働ける仕事に魅力を感じたのもあって、IT/Sierばかり見てました。チームプレーに魅力を感じたのは、サッカー部で10年間くらい活動していたのが大きかったのだと思います。

プログラマーではなく、SEを選んだ理由も、そこにあったのだと思われます。個人プレーではなく、チームプレー。

さてSEは世間的に誤解されがちですが、基本的には人とのコミュニケーションが全てです。常にパソコンを叩いているように思われますが(これは他業界の友人、家族、銀行内の同期とあらゆる人に誤解されます)、大半は会議です。

そんな話を聞いて大抵の人は好みを判別できるかと思いますが、私はそういう仕事のほうが良いかなと思ったわけであります。

■なぜ銀行を選んだか
で、就職活動中に都市銀行でもシステム部門採用していることを知り、エントリーして内定を頂きました。

いくつか他のSier企業にも内定を頂きましたが、結局は都市銀行にお世話になることに決めました。なぜ銀行に入社することを決めたのかというと、金融とITと語学を一気に学べる気がしたから。金融という専門性を磨きつつ、SEという汎用的なスキルも高められる気がしたから。

というのはもちろんそうなのですが、他企業に比べて給料が(年次を重ねると)高いことと、安定性と、親が喜んだことが一番の理由だと今は思っています。

今の日本の暗い感じがそうしているのかもしれませんが、やっぱり給料はたくさん欲しい。できれば自分は安定した環境で生きたい。究極的に言えば、「自分さえよければ良いや」なんて気持ちも持っていました。サイテーです。

これはひょっとすると多くの就活生に当てはまるかもしれませんが、邪な気持ちに駆られたような、わりと短絡的な選択だったかもしれません。まあ、22歳の判断能力なんてそんなもんですよね。賢いわけじゃあるまいし。

SEという仕事と、メガバンクという業態に対する違和感について

仕事が想像通りかと言うともちろんそうではないのですが、よく言えばダイナミックで、いろんな人と関われて、お金がたくさん動いて、大変やりがいのある仕事だったように思えます。給料も、(残業が多かったせいでもあるのですが)思った以上に多く貰えました。

しかしながら、「それが私に合うかどうか」という観点では、「違うな」という結論に至りました。なので、とりあえずスパッと辞めることにしました。だいぶ悩みましたけど。

違うなと思った観点は次の通りです。

■SEが、お客さんの役に立っているのかが分からない(実感できない)
じゃあSEになるなよ、という話ですけど、SEはお客さんの存在が絶望的に薄い世界です。例えばインターネットバンキングとか家計簿アプリとか、いわゆるBtoCなサービスだと話は違うのかもしれません。ですが私が担当していたのは、職場の人向けに提供する社内システムでした。

これの何が嫌かと言うと、達成感とか、感謝される機会とかが、絶望的に少ないわけです。「あれ、俺はなんのためにこの仕事をやっているんだっけ」と、いつも悩まされる。ユーザー側の社員さんには感謝される機会はあったのですが、その結果私に大きなプラスがあったかというと、そうではありませんでした。その人たちに感謝されて、はたしてエンドユーザーは喜ぶのかが、分からなかったからだと思われます。

もちろんリリースされた時は達成感がありましたが、どっちかというとホッとした気持ちの方が強かったかもしれません。この瞬間をどう感じるかは人それぞれですが、私はそういうタイプでした。

そこの気持ちがつくか、あるいは折り合いがつけばそれこそ最高な職場な訳ですが、私にはどうも無理でした。残念。

■メガバンクが、お客さんの真の役に立っているかが分からない
つきつめると、メガバンクそのものがお客さんの、真の役に立っているかが分からなくなりました。まあこれも若気の至りというやつで、自分の仕事に対する違和感が肥大化して、会社そのものに違和感を持つようになるという、あるあるなやつです。「やれやれ、青いな」と思って一応聞いてください。

当然ながらメガバンクは社会に大きな影響を与える素晴らしい会社ですし、人々の役に立っている、インフラのような企業です。が、一部の人を犠牲にするようなシステムだと思います。

メガバンクは地銀や信用金庫とは全く異なる金融機関です。

たくさんのお金をかっき集めて、とにかくグルグルとかき回すことを良しとする機関です。よくお金の巡りや経済は体内の血の巡りに例えられますが、メガバンクは心臓や大動脈に値する機関です。

規模感を例えるなら、自炊で作る小鍋を使った味噌汁ではなく、社員食堂で姿を表す巨大な味噌汁鍋がメガバンクですな。聞こえは悪いですが、とにかくたくさんのお金をブチ込む。そしてかき回す。巨大な鍋のように、多少雑でもいいからかき回す。ここに存在意義があるわけです。

じゃあどこを雑にするかというと、顧客との対話です。

メガバンクは個人を個人として見ません(※基本的には)。まあ、ほとんどの大企業は当てはまるかと思いますが、個人を属性データとして見ます。これを専門用語で「トランザクション・バンキング」と言いますが、良くも悪くも規模の経済を成立させるための手法です。

その人の志や理念、生き方や考え方を重視するのではなく、きちんと返済できる資産があるか、担保があるか、その返済能力を重視します。人を人として見ません。資本主義ですな。

そしてなるべくコストを削り、規模の経済から生まれてくる「大数の法則」に任せて利益を生み出します。

「大数の法則」とは、コイン投げを数多く繰り返すことによって表の出る回数が1/2に近くなど、数多くの試行を重ねることにより事象の出現回数が理論上の値に近づく定理のことをいう。
 - コトバンクより

サイコロを投げまくったら、出る目はだいたい一緒になっていく、という法則なんですけど、これが規模の経済のメリットなんですね。

融資しまくると、返済できない人が一定数出てくる。だけどひとまず融資しまくってその総数を増やせば、その確率はだんだん一定割合に収束していく。「一部は返済できなくてお互い困るけど、それ以上にたくさんのお金を回収して利益を得ることができるし、まあ仕方ない」的な考え方です。だいぶ軽い言い方ですけど。

数年前に「too big to fail(大きすぎて潰せない)」なんて言われたように、デカイからこそ効率化せねばならないわけで、もうこうするしか致し方ないのでしょう。デカイからこそ、潰れたらそれこそ経済に大打撃を与えてしまうからです。

ただし怖いのは、デカすぎると一部を見捨ててでも利益を上げ続けなくてはならなくなってしまう点にあります。潰すことができないので利益至上主義に陥りがちになりますし、不要になった従業員もあっさりと切り捨てられてしまいます。

保険や投資信託の販売、当座貸越などの小口融資は、もはやお客様のためというより、利益を上げるための邪悪な存在に見受けられます。営業部隊にノルマを課して、買いたくない人に買い付ける。本来なら長期投資を促すことが良いのに、買い替えを促して手数料を徴収する。これは、お客さんの役に立っているでしょうか。お客さんの利益を考えているでしょうか。

データに基づいた融資はお手軽で便利ですけど、返済能力の無い人を地獄に招くきっかけにも繋がりかねません。そこを判断するのが銀行員なんですけど、その規模の拡大に伴って、その機能が薄れてしまいました。

大鍋をかき回すのは大事ですけど、そのやり方はどうも違うんじゃないか。この違和感を、私はどうしても拭い切ることができませんでした。

必要悪と言ってしまえばそれまでなのですが、その姿勢に苦しむ人がたくさんいるんですね。私もそうですし、私の周りの人も苦しんでいました。で、それに折り合いをつけられるかどうかという話になるんですね。私はダメでした。

ちなみにこのトランザクション・バンキングによる融資手法に対する疑問点を小説化しているのが池井戸潤さんですね。彼が描く主人公たちは、だいたいこのやり方に真っ向から反対している。その姿に、きっと多くの人が共感するのだと思います。

ちなみに、このトラバンと対となる手法として、2000年代初頭に金融庁から通達されているのがリレバン(リレーションシップ・バンキング)です。

金融機関が融資を行う際、一般的には、債務を保証し弁済を確保する手段として、不動産や有価証券などの物件を担保として用意する必要がある。
リレバンでは、必ずしもこうした担保を伴わず、したがって融資分を回収できるかどうか不確実といえる状況ながらも、事業者の経営状態や経営計画、信用情報、あるいは組織のあり方といった情報を総合的に判断して、存続していける企業かどうかを見極め、融資を行う。
 - Weblioより

リレバンは地域密着型の金融手法として注目されていますが、残念ながらあまりうまくいってないように思えます。

■仕事のわりに給料が高い
前述した違和感は、私が受け取る給料に対しても違和感を持たせました。

毎日信じられないくらいお金をかき回すわけですから、毎日大変なコストがかかる一方で、それを上回る莫大な利益を得るわけです。チャリンチャリンと、これが組織版大富豪って感じですかね。

当然ながら我々従業員はその恩恵を受けられます。もうほんとに、給料という側面だけを考えれば、これほど良い会社は日本にあんまり無いでしょう。メガバンクは仕事のわりにたくさんの給料をもらえる会社だと思います。

さらに言うと、その最たる例が社内SEかもしれません。
銀行といえども社内システムはその他のSierと構造は同じです。委託・委託・委託、です。一部内製化もしていますが、利益至上主義をつきつめるなら、今後も委託中心の方が合理的でしょう。

私の仕事も、基本的には委託先会社さんの進捗・課題・QA管理が主体です。それに伴ってお金の管理とか、他部署との調整とか、いろいろ担うようになります。プロジェクト・マネージャーというやつです。

大変意義ある仕事ですが、悪くいうと「最悪横流しすればなんとかなる世界」でもあるわけです。そうすると委託先の方々が苦しんでしまうのですが、それに甘んじてしまう人も結構いたりします。で、それなりの給料を貰えてしまう。

もんのすごい有難い話なのですが、どうも自分の能力に見合っている気がしません。まあ若手なんて誰だってそうなんですけど、ある程度よくやれるようになっても、やっぱり納得いかない気がしたのです。

さらに言うと、冒頭で話したように、お客さんの役に立っているかどうかが分からないのに、直接感謝されるわけでもないのに、良い給料を貰えてしまう。ここに疑問を感じてしまいました。

で、これが段々と罪悪感に変わってくるんですな。なんだかお客さんから搾取しているように思えてきてしまう。自分がしっかりとした価値提供をして、その対価としてお給料を貰う。この実感が全くないわけです。結構応えました。

今の時代なんてそれこそ「仕事の割に給料が安い」という仕事が大半だったりするわけで。なので私は大変良い仕事に就いたわけなんですが、それに納得できるかと言うと全く話が違うのです。就職前は「自分の給料さえ高けりゃ良い」なんてヘッポコな考えを持っていた癖に、あっさり変わってしまいました。自分でもびっくりしてます。

■コストカットの矛先が委託先の会社
さらに申し上げるならば、今は絶賛コスト削減社会なわけです。不況なんでしゃーない話なんでしょうけど、じゃあ何のコストを下げるのが一番効果的かと言いますと、人件費になっちゃうわけですね。

つまり、私たちがお願いしてシステム構築していただく方が、まっさきに切られる。私の上司たちはコスト管理にそれなりに苦しんでいたに違いないでしょうけど、それより辛いのは、切られる人たちでしょう。上司たちの「高い、なんとかせい」という圧力は、お互いが疲弊することに繋がってしまいますね。

で、私がもしこのまま出世したら、今度は私が委託先の方々に「高い、なんとかせい」と言わねばなりません。そんな未来は御免でした。

もちろん他のやり方だってあるでしょうし、何かしら改善の余地はあるでしょう。しかしながら、それはマネージャーという単位で解決できる問題では無い気がしました。少なくとも利益至上主義に従う限りは、抗えない気がするのです。

とりあえず仕事を辞める

じゃあもうこの会社は違うなと思って、退職する準備に取り掛かりました。この時点で、転職先は決めていません。ひとまず部長や人事部には、他にやりたいことができたと言って押し通しました。

余談ですが、人事部の引き止め方が「給料の高さ」とか「ブランド」とか「福利厚生」とか、そういったものばかりを挙げてきたので、なんだかなあという感じでした。

で、辞めると宣言してから、自身が進むべき道について本格的に探り始めました。もはや転職という選択肢に限らず、いろんな道を検討することにしました。

そのためにある程度の時間が必要と考えていました。心身ともに落ち着いて、じっくり考えようと思ったのです。そう思えた要因は以下のようなものが挙げられますが、とりあえず焦りはまったくありませんでした。

・2年くらいは無職でいられるくらいの貯金があったし、失業手当も貰える
・他人と比較して進路を決めるのではなく、自分の冷静な判断を以って決断を下したかった。自分自身が納得のいく決断を下したかった
・若い(やり直しが効くし、転職先もいくらでもある)
・独身(自分の生活が守れればとりあえず大丈夫)
・親が健康で安泰
・収入がないことを味わって、無駄な支出を極限まで下げたかった
・収入がないことを味わって、お金を稼ぐことの意味を探りたかった

ただ、退職時にはぼんやりとですが、こんな風になりたいなあという思いは芽生えていました。それは、以下のようなものです。

・自分の人生をしっかりと生き、かつ、人の為に生きたい
・海外より、日本をよくしたい
・貧困とか非正規雇用とか、そういう問題を解消したい。もう少し明るい国にしたい
・図書館界の非正規雇用問題をなんとかしたい(図書館が好きだから)

思えば大変なきれいごとで、書いてる自分が少しだけ恥ずかしくなります。しかしながらせっかくこういう思いが芽生えたわけだから、じゃあそういった方向性でいこうと決めました。その決心を退職時に職場の皆さんに打ち明けて、暖かく見送って頂けました。みんな良い人だったなあ。

さて結果的に、無職期間は約5ヶ月間にまで及びました。うち4ヶ月間は一切転職活動をせず、いろんな人に会って話したり、ちょっとだけ旅行に行ったり、たくさん本を読んだりしました。

以後はその期間で考えたこと、行動したことを書いていきます。

生き方について

無職期間中、自分に言い聞かせようと思ったことがいくつかあるので、ここに書き留めておきます。

■人と比較せず、自分の人生を生きる
就活中の自分にこそ改めて言い聞かせたいものですが、人と比較するほど自身を不幸にすることはありませんな。給料・ブランド・ステータス、そんなことを気にしても疲弊するだけですし、一番良く無いのが嫉妬することでしょう。

で、私自身がそんな選び方をしてギャップを感じたわけなので、もうそういう選び方はやめようと思いました。

実際、私は自分の会社に対して誇りを感じた瞬間は一度もありませんでした。大事なのは自分が納得しているか、自分が心の底から良いと思えるか。これに尽きます。これができれば、自分の人生を生きることができると思います。

同時に「自分は凡人である」ことも自覚しておきたいです。不覚にも自分はひょっとしてそれなりにデキる奴なんじゃないか、なんて有能感に浸ってしまった時期がありました。でも働けば働くほど普通の人間であることを実感しました。むしろ、出来が悪い方かもしれません。

できるならとびきり優秀で、誰しもに認められる人間になりたいですけど、無理ですな。でもその方が謙虚に生きていけますし、下手に敵を作ることもないのかもしれません。

■欲望には制限をつける
行き過ぎた欲望は、必ず自分を不幸にします。そして、周りをも不幸にしてしまいます。欲望には一定の制限をつけるべきで、それを忠実に守れるように慎みたいです。

大企業ともなると、いろんな人のいろんな一面を伺えることができます。ほとんどの人は良い人で真っ当な人で、いろんな場面で助けていただけましたが、一方で明らかに毒されてるなと思える人もいました。そういう人にはなるまいと思ったわけです。

これは行き過ぎた考えかもしれませんが、私はまだ若いので、あまりに多い給料を貰うのは良くないのではと思うようになりました。身の丈にあった給料が、おそらく一番その人を幸せにすると思います。

もちろんいずれは昇給したいのですが、今貰いすぎると、ろくな人間に成りかねんなと思っちゃうわけです。例えば偉大な人であれば貰いすぎたお金を私欲に費やすのではなく、寄付や投資に回すと思います。残念ながらこの4年間、私にそのような自制心はありませんでした。

ならば、仕事を通してお金を稼ぐことの大切さを知る。きちんと感謝された対価としてお金をもらう仕事をする。自身が持つお金を大切に使う。こうすれば、私も少しは成長するかもしれません。

■幸せは日常の中にある
生活費を切り詰める過程であったり、家族や友人などいろんな人と会ったりして思ったんですけど、お金がなくても楽しいし、自身が心身ともに健康であれば、なんでもかんでも楽しいものです。

今まで結構バリバリと働いてきた方ですけど、やっぱり朝起きるのが辛かったり、仕事以外に集中できなくなって家族や友人とのコミュニケーションに支障をきたしたりと、いろいろ弊害があったのは事実です。私は疲れが顔に出やすいタイプなので、周りの人に無駄に気を遣わさせていました。

その反動もあってか、ゆったりとした日常生活を送れていることに大きな幸せを感じるんですね。散歩して美味しい空気を吸って、図書館やカフェで本を読んで、自分で作った味噌汁をすすって(めちゃくちゃ美味しい)、ゆったりと風呂に浸かる。たまに家族と連絡を取ったり、旅行にいったり、久しく会ってない友人と再開する。これは最高でした。

幸せとは身近にあるもので、それを見つけられるかどうかは自分の心次第なんだと思います。そう思ってれば気持ちはかなり落ち着きます。これくらい気楽に生きられたら良いですね。それでは聞いてください、橋本奈々未さんで、「ないものねだり」。

さて私は渋沢栄一とか晏嬰とかを尊敬する一方で、鴨長明や兼好法師の生き方にも憧れていたりします。社会を良くするために一生懸命働きたいけど、何かに縛られることなくゆったりと過ごしたい、その両方の気持ちを持っていることに気付かされました。

両方を追求し実現させる。これが真の意味でいうワークライフバランスなのかもしれません。相反しそうなんですけど、どっちも追求できたらいいなあ。ただ今のところ、よっぽどのスーパーマンじゃないと両者を追求することなんで出来ないんじゃないかなあと思っちゃいますね。まあ誠に理想とする幸福とは、それくらいの境地にあるものなのかもしれません。

お金を稼ぐことについて

貯金はあるし、節約精神に努めたいという気持ちがあったものの、退職前はやっぱり収入がなくなることに対して多少の恐怖感を持っていました。

さて退職フェーズで考えていたことは、自分で事業を興すことでした。事業といっても大したことではなく、ひとまず自分が穏やかになって生きていけるくらいの、最低限の収入が得られればいいなと。

それで大学生の時に少しだけかじっていたウェブサイト制作とか、広告収入とかの事業を構築して生活費を立てようと思いました。

一度構築してしまえば時間に余裕ができるので、その時間を活用して学問に打ち込んだり、もっと色んな事業にチャレンジして収益を拡大していけば良いかなと考えていたりしました。

それでたくさん稼いで基金なんか作って、NPOとか司書さんとか、応援したい人や組織に寄付したり支援したりできれば、これほど嬉しいことはないですね。あとは自分の図書館を作って、そこでのんびりと働く。これが私にとっての理想の働き方かもしれません。

で、退職前に(最後は定時帰りになり、それなりに時間が空いたので)70万円くらいブッこんでウェブサイトを作って、広告を貼ってみました。いわゆるGoogleアドセンスとか、アフィリエイトというやつですね。で、退職する頃には成果報酬が出るようになりました。

成果報酬が1件出るということは、あとはちょっと工夫して拡大していけばいいわけなんですね。そうすればあっという間に投資額以上の利益を回収できます。上質なウェブサイトって放置してもアクセスが安定するので、なかなか利回りの良い投資になったりします。

これを拡大していけばとりあえず生活には困らないかなと思っていたのですが、やっぱりここで立ちはだかったのが、お金を稼ぐことに対する私の納得感です。

誰が買ってくれたのか分からず、しかもそれで喜んでくれたのかも分からず、私が価値提供できたのかも分からず、ひょっとしたら損させているのかもしれない。Googleアドセンスに至っては、場合によってはクソみたいな広告が貼られる。これで稼いでも大して嬉しくありませんでしたし、どうにも納得できない。

というか、やってることが本質的にはメガバンクと一緒じゃないか、人を人として見ずに属性データとして見てるじゃん、なんて思っちゃったわけですね。

いや、たくさん稼いでたくさん寄付なり投資なりすればお金も回って経済が回って、自分なりに社会貢献ができるじゃんか。って自分に言い聞かせようとしたのですが、やっぱりどうしてか、完璧に納得できるわけでもない。

なので結局止めることにしました。大金をドブに捨ててしまいました。

■お客さんが感謝して、そしてお金を払う
じゃあ私がどうすれば納得できるかというと、やっぱりお客さんに直に喜んでもらって、敬意を払ってもらって、それで対価としてお金を得る。それでいて、自身の価値提供能力に見合った給料が貰える。これが理想だなあと思ったわけです。

商品に心を込め、少しも粗雑にせず売り渡せば、買う人もはじめは「お金が惜しい」と思うにしても、商品が良質であることから、その惜しむ気持ちがなくなっていくはずである。惜しむ気持ちをなくすことは、人々を善導することを意味するものだ。
 - 『都鄙問答』より

これは江戸時代に石田梅岩が遺した言葉ですが、これこそがお金を稼ぐということでありましょうな。私は、できることならこうした仕事がしたいなあと思いました。

ということで広告ビジネスは停止して、お客さんが真に喜んでくれるような事業をやろうと思いました。

ただ、Amazonアフィリエイトでおすすめの本とかを紹介することは続けようと思っています。これは、良い本を読むことは誰にとっても良いことだっていう気持ちがあるからなのかもしれません。誰にでも本気でお勧めできる本を紹介する。少なくともこの形態は自分で納得がいく気がしています。

これが梅岩の言う、「人々を善導する」ということなのかもしれません。ということで、月3千円くらいは稼げています。

ショボい金額ですし、手にとってくれた人の感想が聞けないところにまだ違和感はあります。ただ、その人にとって本1冊分の損失にしかなりませんし、「二度とコイツの紹介する本は読まねえ」となってくれれば、双方にとって理があります。それなら良いかもしれません。で、稼いだお金を受け取った時は素直に嬉しかったので、とりあえずは腑に落ちたのかもしれません。

社会的銀行という存在

じゃあどんな事業が良いかなと考えていた中で、私が特にピンときたのは『ソーシャル・ファイナンス』です。

ソーシャル・ファイナンスとは、金銭的リターンだけでなく社会的(非金銭的)リターンを生み出すことを目的としたファイナンス手法のことを言います。

メガバンクのシステムには疑問を持ったものの、”金融”の力については、むしろ惹かれていっていました。社会を良くするにはやっぱりお金が必要です。また、お金をきちんと巡らせることで社会をもっと良くすることができるんじゃないか。そういう思いが芽生えていました。

そして単にお金を回すだけでなく、社会的課題に対して事業を取り組む人や組織にお金を提供する機関やビジネスを持つ会社があったら良いなあと思ったわけです。

で、金融という力を最大限に活用してソーシャルインパクトを生み出している金融機関は無いのかなあと思って、探してみました。

なんと、意外とあるものなんですね。総括して『社会的銀行(Social Bank)』などと呼ばれているのですが、恥ずかしながら、銀行に勤めておきながら全く初耳でした。

社会的銀行とは、社会的企業やプロジェクトなどに融資や投資をする銀行のことを言います。言い換えると、ソーシャル・ファイナンスを駆使する銀行です。

代表格が、ドイツにあるGLS銀行です。日本では信じられないくらい、個性のある金融機関です。

彼らは「教育と文化」や「社会と健康」、「持続的経済」などと言った「社会的事業」に対してしか融資を行いません。「武器」や「原子力発電」などといった、社会性に反すると思われる企業には一切貸し出しをしません。そして融資先を預金者に全て公開しているという、極めて高い透明性を持っているのです。

こうした理念や融資モデルに共感した人々が銀行を信頼してお金を預け、利子も受け取っていません(預金者は利子を受け取るか否かを選択することができます)。

他にもオランダのトリオドス銀行とか、バングラデシュのグラミン銀行など、社会的融資に徹した金融機関はいくつか存在します。

※ご参考:『社会的銀行(Social Bank)の展開と、労働金庫にとっての意味

これこそ今の時代に求められる金融機関なんじゃないだろうかと思ったわけです。そんな銀行を日本にも創りたいなあって考えたんですけど、さすがに厳しいですわ。自己資金が100億円くらいあったら創りますけど。

じゃあ似たような金融機関が日本にはないのかなあと思って探してみました。

で、明示的に名乗っている金融機関はありませんでしたが、似たような事業を展開しているところが、3社だけ存在しました。「おお〜良いなあ」と、純粋に思いました。ということで、この3社のいずれかで働くことに決めました。

2週間で終わった転職活動

方針が立ったらあっという間で、転職活動はわずか2週間足らずで終了しました。振り返ると、日が経つごとに思いが固まってくるのが実感できたので、とても良い期間だったと思います。

さてこれまでを振り返って志望条件を整理してみると、以下のようになりました。

・日本をよくしようという経営理念やビジョン、ビジネスモデルを持つ会社
・貧困とか非正規雇用とか、そういう問題に関してもアプローチできる会社
・金融を本業とした会社
→社会的銀行がふさわしい。
・金融の力で図書館界を助けられる会社
→見つかりませんでした。個人的に何かできないかを考えたい。
・お客さんと対話できる職種
→バックオフィスで働くより、営業の方が良いかもしれない。
・給料は現状から下がっても良いが、頑張ったら昇給できる
・副業を認めてくれる、いろんな人と知り合える

これらの要件を鑑みて、本命3社の志望順位は以下のようになりました。

①信用組合A
②投資信託会社B
③ベンチャーフィランソロピー組織C

③以外は自己応募枠があったのでエントリー。③はエージェント経由で応募。

また、第2志望群として金融の流れを変えようとしている会社(クラウドファンディング会社、Fintech系の会社など)にもいくつか応募。

その他、転職エージェント数名にお会いして、要件に合った企業が他にないかを探してもらいました。残念なことにそのような求人の提案はありませんでしたが、第3希望群(滑り止めとスキルアップが目的)として金融コンサルなどを専門とする企業の求人などにも15社ほどエントリーしました。

信用組合Aはレスポンスが極めて早く、結局1週間で内定を頂きました。この時点で第2・3志望群は辞退、少し迷ってた投資信託会社Bからは一次面接後にちょうどお祈りメールが飛んできたので、③を辞退して信用組合Aに決めました。意外にもあっさりと転職活動は終了しました。とりあえず一安心です。

今後について

来年度からお世話になる会社は、志望条件を全て満たした、私自身が納得できる会社です。なので、後悔は一切ないのが嬉しいところです。

給料は100万単位でダウンしてしまいます。生涯年収もかなり落ちると思われます。ただ欲望を強制的に制限できるという点で、悪く無いのかもしれません。まあ、1年後には薄給にブーブー文句をたらしているかもしれませんし、あっさりと後悔する羽目になったりするかもしれません。

仮にそうなったら、自分はそれほどにショボい人間なんだということでしょうな。ということで、1年後か3年後かにもまた心境の変化を書き記せればなと思ってます。今から楽しみですね。

また、副業が可能ですので、自分で納得のいく何らかの事業は構築していけたら良いですね。で、やっぱり最後は基金とかファンドを作って、寄付や投資を通じて応援したい人や会社の成長に貢献することができるようになったら最高ですね。で、オフィスを図書館にしてゆったりと働きつつ、次の世代に繋げる。う〜ん理想かもしれません。

そんなことを考えると、これから一人のバンカーとして働けるのは、まあまあ良い選択をしたのかなとも思います。お客さんに向き合いつつ、金融の本質を学べる気がするので。まずはこれから一生懸命頑張らねばなりませんなあ。

■おわりに
さてエントリーから内定まではたったの2週間でしたが、退職を決めてから現在に至るまでの、広義でいうところの1年に渡る転職活動は、総じて良い期間でした。自分のいろんな気持ちに気付けて、それなりに定まって、前に進める気がします。

間違ったり違和感を感じたらまた方向転換すればいいことで、少なくとも健康であればいつでもやり直しが効くでしょう。今思ってる理想像はひょっとするとこの先あっさりと変わるかもしれません。だって数年前は一切考えつかなかったですしね。ただ、変わったら変わったでまた頑張ればいい。

それくらいポジティブに考えたいですし、それが人生ってものでしょうな。囚われずにゆったりと、川の流れのように過ごしていければ最高です。とりあえず、また一から頑張ります。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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