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翻訳家は偉大なんだなあ。

くめです。
翻訳家の偉大さに感化される日々が続いております。

Paramoreの"Last hope"って曲が好きなんですよ。

基本どんなに好きな歌手でもMVとか見ないのですが(映像より楽曲派なんです)、試しに検索してみると、Paramoreさん再生回数1億回超えを連発してますね。そんな人気なバンドだったんだ(失礼)。

で、この方の和訳が、とても好きです。最高です。

Last Hopeと言えばサビの

It's just a spark but it's enough to keep me going

が、とても良いんですよね。これほど美しい"spark"に、私は今まで出会ったことはありませんでした。

これを試しにグーグル翻訳にかけてみましょうか。

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見事クソ翻訳オブザイヤーに入選したわけなんですけど、冒頭の方の翻訳は本当に良いんです。

It's just a spark but it's enough to keep me going
たった少しの光だったけど、前に進むには十分だわ

And when it's dark out and no one's around it keeps glowing
周りは暗闇で誰もそばにいないけど、輝き続けてる

It's just a spark but it's enough to keep me going
ほんの少しの輝きだったけど、私には十分、前を見てやっていける

And when it's dark out and no one's around it keeps glowing
周りは暗闇で誰もいないけど、輝き続けてる

繰り返し部分で訳を変えられるのも、翻訳の魅力なのかもしれません。(孔子はよく言葉を繰り返していたらしいですが、それを「悲しいかな悲しいかな」等と直訳されると、若干違和感があったりします)

こうやって比較するだけで、いやあ翻訳家というのは偉大なんだなあと思うわけです。とてつもなくセンスの問われる、創造的なお仕事なんですね。

例えば有名な『月と六ペンス』なんかも、翻訳によって全く異なった作品に生まれ変わってくれます。

正直いって、はじめて会ったときは、チャールズ・ストリックランドが特別な人間だなどとは思いもしなかった。いまでは、ストリックランドの価値を認めない人間はいない。
 - 金原瑞人『月と六ペンス
いまでは、チャールズ・ストリックランドの偉大さを否定する人などまずいない。だが、白状すると、私はストリックランドと初めて出会ったとき、この男にどこか普通人と違うところがあるとは少しも思わなかった。
 - 土屋政雄『月と六ペンス

どちらも同じ文章の和訳なんですけど、まるで別の作品のような印象がありますよね。雰囲気ががらっと変わってきます。古典や有名な著作はいろんな人が翻訳しているので、それだけで何作品も楽しめたりしますよね。

あとは”Sleeping Beauty”が『眠れる森の美女』の原題だと知ったときは、感動しました。美しい英語に、これまた美しい日本語。歌詞や小説の訳とはまた異なる手法になりますが、訳した人のセンスが凄いなあと。

機械的な翻訳はAIが代替してくれるでしょうけど、クリエイティブさが問われる翻訳は、今後も求められ続けるんでしょうね。これからも楽しみです。

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