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復学・レポート(2nd)-精神疾患と大学生活

万物は流転する。

2回の休学、そして留年を経て、僕は再び大学2年生をやっている。休学や留年をしたことによるメリット・デメリットや現在の実感、将来への思い・不安などについて、ありのままを語っていきたいと思う。

現在の所感

意外と楽な今期

前期の今のところは授業のコマ数も減らし、留年し演習系の授業は去年までで取ってしまったため特になく、今までで一番時間も余裕もあるし、初めて全休を作ることに成功、抽選登録にも勝利し、必修1限を消滅させることに成功した。

体調崩壊への恐怖、劣等感

しかし、とにかくこれである。僕が2回休学したのは結局のところ2回とも体調を崩したことが原因である。

 休学の経緯については下記事を参照されたい。

 今年は結局家事や授業の負担をなるべく減らしつつ、一人暮らしをするという方向性に落ち着いたが、やはり状況は一昨年とは異なる。第一に、体力が相当に削られているというところである。授業を一通り受けたらもう疲れ果ててしまう。何か動作をする(シャワーを浴びる、ご飯を炊く、課題をする)のにも体力や時間を人一倍(一倍どころではないかもしれない)使う。疲れを取ろうにも今年は睡眠の質もあまり良くない。寝付くのに1時間ぐらいかかるし、日常の行動を終えたら夜中ということも。

 一昨年は高校での生活も復調し調子も回復してきたこともありかなり元気だったが、やはり2回連続で調子を崩したこと、そして休学の期間、合わせて1年間何もしていない(勿論何もしていないわけではない)期間が生まれたこともあり、相当体力の最大値が減少しているのだな、というような実感が正直なところだ。
 普通の人と同じ生活ができる気がしないということ。そこにある種の劣等感のようなものがあることも否定出来ない。皆から一歩遅れている。授業も受けてサークルや部活にも参加して、更にはバイトをするというような生活は僕にとっては到底考えられない。周りにそれを平然とこなしている人達ばかりであることで、取り残されたような感覚も覚える。僕には不安障害があるのでそれが余計にそう思わせるのかもしれない。3年生になるとそこに就活やインターンなども加わるらしい。とはいえ今の僕のキャパを考えると、どれか一つだけやるのが精一杯である。とはいえ、何もしない期間があるとその分またいろいろ考えて悩む時間が増えてしまう、反対にいろいろやるとすぐ疲れてキャパオーバーになってしまうというジレンマを抱えている。
 また、大学生活での思い出の地を巡るために過去の苦い記憶が蘇り、
「ああ、あの頃は期待に胸を膨らませていたな…」
「でもあの後調子崩して休学しちゃうんだよな…………」
というネガティブなフラッシュバックのようなものがふと出てくるのである。
「今年もそうなってしまうのかな……」
「しかし大学をやめて友達に会えなくなるのは寂しい…」(今年無理だったら大学をやめろと言われている)
 後期には再再履修が複数待っているし、それらの科目はとにかく難しいか重いらしいので気が重いし、その負担と今の状況を踏まえると、秋ごろまた体調を崩してしまうのではないか、また去年までと同じようになってしまうのではないかと悩む日々である。そんな未来のことに関して悩み続けても、仕方ないはずなのに…………

留年したことへの実感、逃避感

1日に3回ぐらい、
「あれ?おれって今何年生なんだっけ?」
「○○が3年生でおれは2年生だから…そうか、おれは留年したのか」
というようなことを自問自答することがある。
 もしかすると学年に関する記憶を吹き飛ばしていくことによって、心理的に安心しようとするなんらかの防衛機制なのかもしれない。

 ちなみにイジられる。
「そういえばお前2年だったわw」
「一緒に卒業しましょうね〜」by1個下の代の知り合い(これは普通に応援メッセージでは?)
まあもういいや。p.s.留年したのに今年から同級生の子にまだ先輩呼びや丁寧語を使われるのは複雑な気分になる。少し苦しい。助けて欲しい。

 親からはそもそも1回目の休学の時点で「もう休学などはなしだ」と言われており、更に去年無理を言って再び休学したのである。要は今年がラストチャンス。そして何より、来年再再再履では普通に自分の気が狂ってしまうこと、来年は入学同期が4年生となり、更に会えなくなってしまう。そうした時に、大学に行くというのは状況的にも心理的にも相当しんどくなる。僕個人としても大学へと行くモチベーションが相当落ちてきている(またパーになってしまうかもしれないし…………)ことから、今年が無理ならもう退学して、通信制大学でも行こうと思っている。

未来への思い

 僕の今のスタンスとしては、極力選択肢を狭めない、というつもりでいる。大学に通って卒業することができるのが一番良い。しかし、僕は通うことに2度失敗している。もしかすると全日制の、それも実家から距離が離れている大学との相性が悪かった可能性もある。僕も大学に対しては複雑な思いを抱いている。将来やりたいことを考えると今学んでいることとは少しズレがあることもあるかもしれない。しかし、大学で得た恵まれた人間関係をリセットすることを躊躇している僕がいることも確かだ。そう簡単に捨てられるものでもない。とはいえそこに相変わらずの自分の優柔不断さも感じる。

選択肢を捨てない

 もちろん、通うのに失敗して大学をやめて、通信制大学に行くとしても、今の大学で得た単位が無駄になるわけではない。単位を引き継ぐことができる。ここでの経験はきっと未来に活きるはずだ。例えば大学に行くことが全てだと思って、思い詰めてしまわないよう、通信制という選択肢もあるのだと考えるようにしている。これまでの経験、苦しいことは多かった。だが、そのたびにいろいろな人に助けられた。恩返しできるまでは、「死にたい」とか言っている場合ではないのだな、と。

悪足掻き

 とある友達の言葉が印象に残っている。よく僕は前述した不安からよく大学をやめたいなどと口走ることがあるのだが、やめるなと止められる。その理由として大卒資格とか学歴についてのものが多く、「別にそれなら通信でもいいじゃないか」と思っていたのだが、その言葉だけは違った。
「友達が1人いなくなるのは寂しい───」
 本当に刺さる言葉だった。同時に、まだ僕は人生を諦めてはならないのだと感じた。僕が友達の存在にいつも助けられたりするように、僕の存在もまた、誰かの助けになっているのかもしれない。ちょっと嬉しかった。退学という言葉を僕は軽く使っていたかもしれないという反省の気持ちすら覚えた。

 不安なのは確かだ。先のことはわからない。だが、もう決断したからにはやるしかない。もう少し、足掻いてみようと思う。それもまた、人生だ。

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