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閉塞感-2度休学して-

二度の休学

 人生に追い風が吹いていたこと。ない訳ではないが確実に頻度としては少ない。それどころか追い風の方が多かった。気付けばピンチ。僕のことを簡単に紹介しておくと、進学校で勉強についていけなくなったのと友達が出来ず、ストレスで過敏性腸症候群と社交不安障害を発症、一度辞めかけたもののなんとか卒業したのだが、一回目はベッドから起き上がれず、二回目は倦怠感で大学を休学、1年生の時の必修科目を取れず、遂に留年に追い込まれたというような人間である。一度だけならまだしも、二度目となると旗色も少々悪い。一人暮らしも通いも失敗し、ピンチ。

最初の休学

 最初に大学を休学した時はベッドから起き上がるのと一人暮らしでの家事が出来なくなった。初めての一人暮らしだった。大学まで家から遠いので、通って行くのは現実的ではない。親からは健康状態を心配されたが、早く親元を離れたかったために不安もあったが大丈夫だと振り切った。高校時代散々苦しめられた腹痛も社交不安も、大分軽くなっていた。

 親にいろいろと指図されずに暮らせるのは良かったが、掃除や自炊も自らの手で行わねばならなかった。疲れが出てきた。最初こそ良かったが、大学での日々にだんだんと疲労が溜まり、大学が終わり家に帰るとしばらくの間布団に伏していた。起きると夜、やっていない炊事や課題等をやる気が起きず、全て終わった時には丑三つ時。そしてまた8時頃に起きる。普通の大学生であればよくあることかもしれないが、僕にとっての負担は大き過ぎたようだった。

 夏休みに入ると大学がないせいかその負担感がより増して、だんだんと生活が成り立たなくなっていった。そんな中でも後期の授業は始まる。なんとか力を振り絞ろうとするも、遅刻や欠席を繰り返し、遂に布団から起き上がることもかなわなくなった。冷蔵庫の牛乳は腐り、部屋の中もホコリだらけだった。休学という文字が頭をよぎった。まともに動かない身体を引きずるように動かし、学生課に辿り着き、先生と面談。休学の手続きを進めた。大変だったのが解約の手続きだった。まともに働かない身体と頭を酷使しながらガス会社や電力会社、大家さん、不動産屋に電話。ヘトヘトだった。

 休学していた期間はたまに友達や知り合いのところに遊びに行くか、教官にしごかれながら自動車学校に通うなどした。その後不安はやはりあったが、とりあえず復学。自分がなぜ調子を崩してしまったのか、次どうすればこのような事態に陥ることを回避できるのか───。やることがキャパを超えるのを恐れたあまりやりたいことをあまりやれていなかったから病んでしまったのではないか、などと考えた。そこでいくつかサークルに加入し、人間関係をつくることで対処しようとしたが、授業との兼ね合いで結局体力的には追いつかなかった。無事幽霊部員化したのだった。

復学と………

 問題は別の部分にあった。通学だった。一度体調を崩して一人暮らしが出来なくなった以上、通うべきだと言われた。確かにその通りだった。次、一人暮らしが上手くいく保証はない。賭けるしかなかった。だがしかし、実家がそもそも最寄り駅まで自転車で25分という大分辺鄙な場所にあり、そこから新幹線を利用しても大学の最寄りまでは1時間半。結局2時間ぐらいかかっていた。それ自体の大変さは勿論、途中混雑する電車では30分間席に座ることが叶わない。体力が落ちていたのか電車の中で立っていることも苦痛に感じるようになっていた。吊り革につかまると言うよりも、吊り革にしがみついていた、と言う方が表現として正確なほどだ。7月の中頃には集中力も落ち、身体が思うように動かなくなってきていた。

揺れる選択、歪む精神

 2度目に休学した時は身体に上手く力が入らず動かすことが出来なくなった。頭が回らず、授業に出ることが苦痛になった。当然課題も出来ず。高校の時は過敏性腸症候群だったから、ストレスの身体化が部位を変えて出続けているのだろうと今となっては考えている。

 それと同じ頃、通いに限界を感じていた僕は今度は寮に入るべく交渉をしていて、その入居日が10月の下旬頃だった。寮に入れば事態も多少は改善するのではないかということで、懇意にしていた先輩が家でぐったりしている僕を寮の入居日まで預かってくれると迎えに来た。わざわざ東京から、それも駅から遠く離れた家に来てくれたことは確かに嬉しかったが、それでもやはり身体は限界だった。
 休学を改めて主張する僕に対して先輩からは大学に行かないデメリット等を言われた。常識として考えればそうであり、上手く言い返せるわけではなかったが、事態への対処としては僕の思いとはややズレていた。逃げようとすると捕まるので道を阻まれ、恐怖すら感じていた。
 ある時、身を置いていた先輩の家から大学に行くよう言われて別れた直後を見計らって、実家に逃げ帰るのだった。先輩からの電話が鳴る度に罪悪感を感じながらも、全て気づかないふりをした。結局寮も入る前に解約した。
 そんな事件がありつつも、とにかくこの倦怠感を脱せねばならないということで、大学病院まで行ってレントゲンやら尿検査やら大分大掛かりな検査をしたが、身体のどこにも異常は見つからなかった。
 しかし、再びメンクリに向かい薬を追加してもらうと、今までの症状が嘘のように治った。結局適応障害らしかった。初めて倦怠感が出てから、約3ヶ月後経ってからのことだった。身体的な症状ということですっかり見落としていたが、精神的にもどうやら悪化していたらしい。適応障害、恐ろしい。

デバフ

 知人や友人の説得もあり、退学という最悪の事態こそ回避した(この選択が本当によかったのかはわからないところではあるが)が、2度目の休学をし、遂に留年という事態になった。仕方ないことだとは思いつつも、ショックもある程度あった。決して怠けているわけではないのだが…………。

 大学を2度休学したことで確実にまた体力の最大値が減ったような感覚がある。またいつ再発するのかという懸念があり、もしこの先復帰したとして卒業出来る気がしない。そもそも身体が言うことを聞かなくなった理由もはっきりとはわからないことが余計に不安を増幅させる。辞める、休むという選択肢を容易に取るなという意見も理解出来なくはないが、それでも休学した時は布団から起き上がれなくなるか、身体が動かなくなるかのどちらかであって、決して安易な選択肢として取ったつもりはない。

 友達は3年生となり、就活を始めることになりそうだ。面接で3回ほど落とされ、バイトすら始めることが出来ていない。幸い今年同じ学年となる同じ学科の子や、知り合いはある程度いるが、いくら頼ると言えども結局行くのは自分。

生き抜くため

 しかし、行く先が八方塞がりと言うにはまだ早い。目的はあくまで大卒資格の取得である。再び体調を崩すなどして今の大学にいられなくなる日が来るかもしれないが、だからといって大卒資格への道が閉ざされる訳でもなかろう。通信制大学という選択肢もある。ここから先、同じ年代の人と比べると遅れるであろうが、だからと言って物怖じする必要はまだ、ないだろう。少なくとも、今は。新しい環境に身を置くことで、症状が改善することもあるかもしれない。まだやり直しは効く。そう必死に自分に言い聞かせながら、不安を覆い隠しながら、今日もなんとかもがいてみることにする。

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