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『お花柄の恐竜』

「この街のね、ずうっと西の先に行ったら、お花でできた街があるんだ。ずうっと西日が射しててね、それはきれいな、金色の街。それで、お日様が沈まないと、お花は眠らないでしょ?だから、その街はね、ずうっと起きてるの。」 
 私、「へえ!」と思ってリョウちゃんを見た。リョウちゃんは、ほっぺたをパッと輝かせた。そして言った。
「ほんとうを言うとね、リョウちゃんの恐竜は、たまごのとき、そこからやってきたんだよ。」
 私、もう一回「へえ」ってなった。リョウちゃんは、笑っていた。
 そう。リョウちゃんはあの頃、恐竜を飼っていると言っていた。おおきなおおきな、草食恐竜。
「恐竜の部屋のお掃除でしょ、日光浴させてあげてあげなきゃいけないでしょ、お水を飲ませて、窓も開けて、こうもり傘のお手入れをして。それからね、おやつにほら、お花もあげなきゃいけないでしょ。」
 宿題を持たずにやってきた朝、「一緒に帰ろう」と友達が誘った夕方、リョウちゃんはよく、こういうことをさらさらと喋った。恐竜のためなら、どんな苦労も惜しまない子だった。放課後にみんなと遊んでいる時間なんて、ほとんどなかったけれど、「恐竜のためだからね」って、いつも晴れやかに笑っていた。
 なかでも大切だったのはこうもり傘のお手入れだった。リョウちゃんはどんなときでも、この仕事だけ欠かさなかった。
「こうもり傘は恐竜のためだしこうもり傘以外は使いたくない!」リョウちゃんはよく、そう言った。学校になんて、一度も持ってこなかった。
 放課後、一番乗りで教室を飛び出し、爽やかに雨を切るリョウちゃんの姿は、雨の日の、風物詩だった。

***

 そんなリョウちゃんが、こうもり傘について話さなくなった。代わりになのか何なのか、同じころからリョウちゃんは、お花柄の傘がいるんだって、どうしても必要なんだって、探し回るようになっていた。 
 日々が過ぎて、ちょっとしたことが変わっていった。
 例えば雨の放課後。学校帰りの坂の上から、教室の窓を振り返ったらリョウちゃんがひとり、こっちを眺めていたことがあった。あとになってから気づいた。私と、一緒に帰っていた友達はみんな、お花柄の傘をさしていた。   

 ある放課後のことだった。リョウちゃんは、校舎の裏側に私を呼びだした。秘密だから、私にしか言わないと前置きして教えてくれた。リョウちゃんの恐竜が、病気なのだそうだ。それもリョウちゃんがなかなか、お花柄の傘を見つけられていないせいで。
「ねえかなちゃん。かなちゃんの傘、リョウちゃんに貸してくれない?」 
 一瞬、答えに詰まった。次の日が大雨になるって、天気予報で知っていたから。
いいけど。 
 言いかけてやめた。毎日見ているはずの、リョウちゃんの顔がよくわからなくなった。リョウちゃんの目は黒かった。ちょっとびっくりするくらい。

 リョウちゃんは、踵を返した。私、ばかみたいに突っ立っていた。リョウちゃんの後ろ姿、よれよれのジャージ、寝ぐせのたくさんついた髪。ゆらゆら揺れるその背中に、いつかお花でできた街のことを教えてくれた時の、まぶしいような笑顔が重なった。
「ねえ。」
 呼びかけていることに自分でもびっくりした。リョウちゃんはこちらに向き直った。その両目は打って変わって光ってみえた。
 「一緒に帰ろう。」私は言った。リョウちゃんはパッと両手を差し出した。そして私たちは、握手を交わした。リョウちゃんの手はかさかさとしていた。

「ごめん」「ごめんじゃない」
 そんなことを言いながら歩いた。二人とも、笑っていた。笑いながらするごめんの言い合いっこは、とても楽しかった。リョウちゃんは道端の石ころを器用にけり続けていた。何か話すのかなとか思っていたけれど、ごめん以外なにも話さなかった。ひらひら舞い飛ぶコウモリに、薄青い夕暮れが重なった。           
 静かだった。あまりに静かだから私、一人でいろいろ考えた。今日の夕飯のこととか、やり残している宿題のこと。それからあとはお花柄の傘のこと。明日の天気。ちょっと願ってみたりもしていた。リョウちゃんがどうか、お花柄の傘を、一番素敵なお花の傘を、見つけることができますようにって。

「やっぱりね、怖いんだ。」
 分かれ道のT字路、リョウちゃんが言った。
「もう絶対に、…うまく言えないけどね、あのね、」
「うん」
 とたん、とりわけ大きなコウモリが、目の前の塀にはりついた。私、「うわっ」って叫んでいた。同時にリョウちゃんが何か言っていたけれど、聞き取れなかった。
「え?」
「なに?」
 私が聞くとリョウちゃんも聞き返した。
「今、なんて言った?」
「なんにも」なぜか二人とも大声だった。
「うそ。怖いって、言ってた。何が怖いの?」
 灯ったばかりの街灯の下で、リョウちゃんは笑っていた。とても恥ずかしそうだった。
「でもかなちゃんもそうでしょ?」
 わけが分からなかった。
「だからなにが?」私、すこしだけいらだっていた。
「コウモリのこと。怖かった。」リョウちゃんは、付け足した。
「わかった。恐竜くん、お大事に。」
 私は言って、そこで別れた。リョウちゃんは、さいごに大きく手を振った。リョウちゃんの背中は夕やみに深く、吸い込まれていった。
 次の朝、私はお花柄の傘をリョウちゃんに渡した。学校からはびしょぬれで帰った。
 それからあと、私とリョウちゃんとのかかわりは、ぱったりと途絶えた。リョウちゃんからお花柄の傘が、返ってくることはなかった。
 
 リョウちゃんの恐竜がこの街のどこかに脱走したと、からかうようにうわさが流れたのはあれからどれくらいたった頃だったか。
 ちょうどおなじ頃、公園の近くでリョウちゃんを見かけた。放課後だった。
「違う違う。違うんだよ。」リョウちゃんは、両腕を動かして説明していた。リョウちゃんのまわりには、男の子たちが三人くらい。
「昔はお城に住んでるとか、飛行機持ってるとか、嘘ばっか。」
 最後の一言だけ聞こえた。なんとなく状況が分かった。
 男の子たちは、ぴょんぴょんしながら立ち去った。取り残されたリョウちゃんは相変わらず、憎らしいくらいに透明な空気をまとっていた。すこしだけ、かっこいいと思った。よれよれに着古したジャージ姿が、とてもさわやかに見えた。
 私がいることに気づくとリョウちゃんは言った。
「おれは家の手伝いで忙しいって、いつも言ってるのにさ。」私はうなずいた。私が知っているのより、ほんのすこし掠れていて、低い声だった。
「傘が要りようなんだよ。リュックのなかが濡れちゃうからさ、また怒られる。先生に。」
 もう一度、私はうなずいた。
「お願いだからさ、いっぱい集めてきてくれない?」
 うなずいた。
「じゃあ、今度の昼休み、教室に取りに行く。」
 リョウちゃんは、立ち去った。私、背中を見送った。
 願っていた。ただリョウちゃんの恐竜が、今も元気でいることを。あまり望みはなかった。だけど強く願った。

***

 私は傘を集めた。家じゅうから集めた。ついでに学校の傘立てからも、持てるだけ持ってきた。一人では持ちきれない量になったので、校舎の裏側に隠しておいた。リョウちゃんはその傘の山を見て一言、「すくない」と言った。
「おれも集めるから、もっといっぱい持ってきて。」
 その日からリョウちゃんと私は、街中の傘を集めて回った。レストランの傘立て、図書館の傘立て、スーパーの、雑貨屋の、もちろん学校の。色んな所から、色んな人の傘を運んできた。傘の山は大きくなった。色とりどりになった。
 そしてある放課後、リョウちゃんはうなずいた。「よし。いっぱいになった。」私もうなずいた。なんだかうれしかった。
 私たちは傘の山を公園に運んだ。なにをするのかは分からなかった。だけどすごく大事なことであるのは分かった。
 移動が終わった。公園には、人っ子一人いなかった。リョウちゃんはサッと辺りを見回すと、リュックの中からまず麻糸を取り出した。そして私に、用意した傘をすべて広げるよう指示した。私が広げていった傘の一つ一つに、リョウちゃんは麻糸をくくりつけた。気づいたら、私たちが集めた傘はほとんど、一本の麻糸に連ねられていた。
 一か所、お花柄の傘ばかりがいくつも連なっているところを私は見つけた。思わずリョウちゃんのほうを見た。リョウちゃんもちょうど、同じ個所を見ていた。にこにことしていた。「お花柄の傘だね」と言ったら「お花柄の傘だよ」と返してきた。私も一緒ににこにこした。
 リョウちゃんはそのあとも作業を続けた。連ねた傘をまっすぐに並べて、数を数えて、ちょうど真ん中のところでその列をまっぷたつに切った。片方の列の端を、公園のまん中にあるぶらんこにくくりつけた。もう片方の端は私に持たせて、指示を出す。
「そっちの鉄棒に、そう、くくりつけて。ピンって張って」
 私が言われたとおりにすると、傘の列は持ち上がった。ぶらんこから鉄棒にかけて、とてもきれいな弧が描かれた。二本目の列でも、同じことをやった。ぶらんこの、反対側に片端をくくりつけ、もう片端を隅っこに立つ木まで伸ばした。
 作業が終わった。私はリョウちゃんに言われるまま、公園の入り口まで走った。振り返って、真正面から眺めてみると、それはちょうど、ぶらんこを中心にして大きな羽を広げているみたいに見えた。

「うわあ、すごい」

私が言ったら、リョウちゃんは物凄く恥ずかしそうに笑っていた。

「傘飛行機だよ。空まで飛べるの。」小さな声で教えてくれた。

 そして最後に、持ってきていた紙袋からたくさんのお花を取り出した。

「リョウちゃんが育てたの。羽をきれいに飾ってあげよう。」リョウちゃんは、半分を私に手渡した。私は受け取った。

 二人で飾り付けをした。お花をいっぱい、麻糸の結び目のところに挿していった。ただでさえ色とりどりの傘飛行機は、これ以上ない晴れ姿になった。

「完成!」

 最後にリョウちゃんは言い放った。そしてぶらんこに走った。

「こうやって、ぶらんこを漕いで、そうしたら、飛べるからね。」

足をぶらぶらさせながら、私のことを、手招いた。

「かなちゃんもはやく。リョウちゃんが、操縦席。かなちゃんが、副操縦席だよ。」

 私は隣のぶらんこに座った。ゆっくり漕ぎはじめた。

「ねえかなちゃん。楽しみだねえ」リョウちゃんは言った。

「うん。楽しみだね」

みしっみしっ。音がした。

「もうすぐだねえ」

「楽しいね」

「うん、ここはねえ、滑走路だよ」

ぶらんこの揺れはすこしずつ、大きくなった。私とリョウちゃんの操縦は、奇跡みたいにぴったりだった。

リョウちゃんは黙って漕ぎ続けた。私も隣で漕ぎ続けた。みっしみっしとぶらんこは揺れて、傘飛行機も揺れていて。私も、リョウちゃんも揺れていた。

「もうすぐだねえ」

「もうすぐだね!」

今にも沈みそうなお日様も、ぶらんこに合わせて揺れていた。リョウちゃんと私が後ろに漕ぐと、ちいさくなって、前までのぼると、大きくなった。ちいさくなって、大きくなって、大きくなって、ちいさくなって。軽いリズムを繰り返すたび、お日様は静かに、沈み始めた。ぶらんこはみしみし、昇り始めた。

一番高いところまで漕いだ時、お日様はちょうど、山の向うに落ちていった。

「ねえリョウちゃん。」

 私は、どうしても聞きたくて、それなのにずっと、聞けないままでいたことを、このときふっと思い出した。リョウちゃんは、ぶらんこをぐんぐん漕ぎながら、くるっとこっちに振り向いた。

「恐竜くん、元気?」

「恐竜はねえ、脱走したよ。」

リョウちゃんは、さらさらと答えた。私、「へえ!」と思った。

「こっちの、西のかなたにね、恐竜たちの天国があるんだ。お花でできた、天国の街。」

 私、黙って聞いていた。みっしみっしと音は続いた。傘飛行機はどんどん揺れた。辺りは暗くなってきた。

「ねえかなちゃん。」

「うんどうしたの?」

「これ、意味わかる?」

「多分わかるよ。」

「リョウちゃんの恐竜はさ、死んだんだよ。」

「へえ」

「皮とか爪とか、ぜんぶ干乾びちゃったんだけどね、だけど、あそこにいるんだよ。」

リョウちゃんは、にじむ宵空を指さした。

私、「へえ!」と思った。それで、強く願った。リョウちゃんの恐竜が、お花の街でずっと、幸せに、幸せに暮らしていくことを。そして私がこの日々を、忘れていったりしないことを。願わずに終わってしまうことだけが、とても怖かった。だから強く、強く願った。たくさん風が吹き上げた。

みっしみっしと音は続いた。ぶらんこはどんどん、どんどん揺れた。

飛び交いはじめたコウモリに、ひらひら片手を振りながら、リョウちゃんはぶらんこを漕ぎ続けた。私も一緒に漕ぎ続けた。傘飛行機は浮かび上がった。麻糸でできた結び目から、お花がたくさん舞い散った。

「もっとたかく。もっとたかく。」

 リョウちゃんは、嬉しそうだった。                

                                   (終)

        



 

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