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【連載エッセー第17回】米と野菜を食べる

 丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日に更新予定)**********************************************************************************

 クルマなしでやっていけるのも、冷蔵庫なしで特に困らないのも、我が家の食生活があってこそだと思う。

ある日の朝食

 日常的にスーパーで食品を購入するようなら、クルマがないと大変かもしれない(家の近くにスーパーはない)。毎日のように缶ビールを飲もうと思うと、クルマで運びたくなるだろうし、冷蔵庫も欲しくなるだろう。冷凍食品を保存するためには、冷蔵庫が欠かせない。

 そして、家で肉を食べるようだと、特に夏場は、冷蔵庫がないとつらい気がする。朝食のときに牛乳が飲みたかったり、ヨーグルトを食べたかったりすると、冷蔵庫があったほうがよさそうだ。でも、我が家では、肉も乳製品も食べない。卵はときどき買っているけれど、私は基本的に食べない。

 気候変動をはじめとする環境問題を考えると、牛肉や豚肉や鶏肉を食べるわけにはいかない。畜産は、温室効果ガスの巨大な排出源になっている。

 また、現代の畜産のもとで家畜が置かれている過酷な状況を考えても、肉を食べるのが正しいことだとは思えない。牛乳や卵も、牛や鶏の虐待や殺害と結びついている。

 そういうわけで、牛肉や豚肉や鶏肉を買うことはない。もちろん、ハムやソーセージやベーコンも買わない。牛乳もチーズもバターもヨーグルトも買わない(アイスクリームは買っても保存できない)。

 我慢している、という表現はしっくりこない。肉を食べようと思うと、罪悪感を我慢しなければならない。肉を食べないほうが、気持ちが軽い。

春から秋にはロケットストーブで米を炊く

 もっとも、少し前まで、私は肉を食べていた。息子が小学校に入ったときには、近所の養鶏場直売店で鶏(の遺体)を1羽まるまる買ってきて、煮込んで食べた。誕生日だからということで、牛の肉の塊を焼いて食べたのも、遠い昔のことではない。なんとなく元気を出したいときには、卵かけ御飯を食べていた。振り返ると、恥ずかしいような、後悔するような思いがする。

 もう後悔を重ねたくないので、肉や乳や卵は食べないことにした。

 小学生の息子は、「お父さんはビーガンだから卵を食べられない」などと言うようになった。卵の入った洋菓子を人にもらって、自分がたくさん食べたいときに、息子はそんなことを言う。

 そんな会話を聞いていて、同じく小学生の娘(妹)は、父は病気かもしれないと思ったらしい。「Aがん、Bがん、Cがん…」とあるうちの「Bがん(癌)」になってしまったと心配したようだ。不安な気持ちを母にこぼしていた。—―安心してください。父は(たぶん)癌ではありません。

 それに、私はビーガン生活を実現できていない。正直に言うと、まったく肉や魚を食べないわけではない。知人の家で出してもらったものは、“久しぶりに肉を食べるなあ”などと思いながら、いただいている。泊りがけで出かけるときなども、魚を食べることがある。妻が運営に携わっている週1回の朝市に魚屋さん(漁師さん)がもってくる魚は、買って食べている。

 いろいろ考えて、葛藤を抱えながらも、養殖ではなさそうな魚はときどき食べている。ビーガン生活をめざしてはいるものの、ゴールにたどりつくのは難しい。

『気候変動と子どもたち 懐かしい未来をつくる大人の役割』

#里山 #里山暮らし #山里