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外套、毛並み、かつてあるもの

 コートは重いものにしなさい。それが祖父の、そして母の、防寒着についての指針だった。
 祖父は秋田生まれの満州育ちで、そんな人が防寒着についてそう言うのだから、至極もっともだと頷ける。しかしながら、安穏と暮らすボンクラにとっては、重いものは悪いものだし、コートは最低限しのぐものでありながらファッションの一部でもあり、衣服に興味のない私にとってはさほど重要なものでもなかった。防寒着が心底必要だと実感したのは、それ相応の環境に居住を移してからだ。
 新しく腰を据えた地域は、寒冷地だった。車両のレギュレーションが違う。ウォッシャー液はマイナス40度まで対応のものを選ぶ。コンビニに当たり前のように不凍液が販売されている。真冬に数日家を空けるときには、ありとあらゆる水道をすっからかんにした上に、先述の不凍液なるブルーな液体(メーカーによってちがうとは思う)をたらりとしておかねばならない。内陸で、山と山に挟まれていて、天気予報では曇りでも小雪ちらつくのが常。当然雪は降るし、道は凍り、車は霜降り、目にも白。そんなものだから人間も相応に備えなければ絶命の危機がある。ダウン——羽毛、というものがこんなに日常で必要不可欠だと思ったことはない。真冬でも、薄いウールのコートとマフラーがあればなんとかなるような地域ではないのだ。手袋帽子ネックウォーマー(全部厚手だ!)、それに足には防寒ブーツ。普通のスニーカーでは三分で足が冷えて歩くのがつらくなる。冷たさの規模が異なるので、寒い寒いと騒げないくらい寒い。それに、寒すぎると、痛い。
 とにかく寒い、そんなことが身にしみ始めたころ(と同時に、冬期燃料費のかさみぐあいに目がくらみはじめたのもこのころ)、大きな包みが届いた。中身は、祖父が遺した毛皮のコートだった。あちらは寒いだろうから、と引越前に(真夏だ)クローゼットの奥から引っ張り出され、いくつか選んでおけと言われていた。体の良い荷物整理だ。新しい倉庫が増えたとでも思っている母親にせっつかれ、真夏に物色する毛並み。にじむ汗で毛皮に触るのも億劫だったそれは、寒冷地の真冬に飛びこんできたその毛並みは、かさつく手のひらと指先をひどくくすぐった。
 結局、そのまま数着のコートはハンガーにつるされて、単身のクローゼットの一角を占拠することになった。猛吹雪の夜に「ものは試しだ」とそのうちの一着を羽織って繰り出してみただけで、おおよそ日の目を見ることはなかった。
 ある日。その昼間はひどく寒くて、厚手の毛布一枚だけでは足りず、昼寝をしようにも凍えるばかりだった。仕方なく、部屋の隅にかけていた毛皮のコートを南無三とばかりに被ってみたのだった。毛皮は独特の匂いがする。過分にクローゼットの防虫剤の匂いだろうが、じゅうぶんに鞣された被毛のそのむこうに、不思議に生物の息遣いを思わせるような生臭さがある。わたしは寝つきが悪く、眠りが浅い。くさい、うるさい、眩しいと感じると寝つけない。しかし、このときは、気づけばストンと眠りに落ちていて、目覚めたときには不思議な充足感があった。しかるべき量の糧を食らい、しかるべき量の水を含み、しかるべき長さの眠りを得たあとの獣のように、心と体がしなやかになっていた。
 不思議なものだ。人間は既にうっすらとした体毛しか持たないくせに、脱毛だ、剃毛だ、と騒いでいるのに、毛皮に包まれて眠るとなにかを取り戻したような心地になる。いまはなき、身を覆う毛並みに恋焦がれながら、わたしの肌の上には剃刀の刃が滑るのに。

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