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愛と憎しみ、その街

 わたしにとって、その街は憎しみの形をしていた。

 日本国の首都であって、一千万超の人口密度、ビルとマンションと狭小住宅がひしめき合るのを横目に、どんと門構えのいい屋敷が一部の区画に並んでいる土地。上から下までのありとあらゆる経済状況の人々を、手広く受け止めている土地といえば聞こえはいいが、ともすればその様相は給餌機を咥えさせられている鵞鳥を彷彿とさせる。
 東京生まれだというと、それだけで突き立てられる棘の数は増える。勝ち組、ガチャ成功、強者、等々、反論したこちらが劣勢になるような、繊細で複雑な感情によるジョーカーを切られていては、半笑いで「ああ、はい、色々ありますしね」と言うほかない。都市ならではの恩恵を受けていたことは事実としてあるかもしれないが、だからといって、その事実に基づいて全てを東京is良いと判断されては、たまったものではない。ということを言う機会すらない。
 自分の生まれた街は、常に誰かのものだった。県境をまたいだずいぶん遠くの始発駅から、さらにまた遠くの終点まで、ひっきりなしに訪れる長い列車を眺めていると、これはただ、植民という概念を縮めただけのように見える。四月にドッと流入する人口の気配に目眩を覚えて、花粉症を発症する前から春は大嫌いな季節だった。街を覆う喧噪と酸素が反比例して、なにもかも霞のように朧になる季節。なにも始まらなくていい。そうしていれば、終わらない。

 憎しみで身を焼ききる前に、わたしはこの街を出ることにした。すねかじりには立身出世の概念も欲望もなく、ただ趣味と興味のための引っ越しだったが、これ自体は良い判断だったといえる。なにより夜は静かで暗く、サイレンやクラクションが眠りを妨げることもない。冬はおそろしく寒いが、そのぶん美しい。遠い空には手触りがあり、雲と風は雄弁だった。はじめて、体の奥底から息をしたような心地がした。

 とまれ、故郷に親と墓があれば、帰省というものが発生する。
ある年頃特有の衝突はありこそすれ、親との関係はいたって平常のため、帰省自体を拒むものもない。しかしながら、飛行機が着陸空港の上空に到達するまで、わたしの心は重く沈んでいた。帰省直前までのあれこれでメンタルがごっそり痩せこけていたことも一つの理由だが、東京という地に半年ぶりに訪れることが、なにより恐ろしかった。ただでさえ眠れぬ夜が、さらに浸食されていく想像をするだけで、余計眠れなくなる。

 帰省の、その日はずいぶん風が強かった。気流の乱れに、機体ごと上下左右に揺さぶられながら、着陸軌道を滑り降りていく。雲は無かった。早起きのために、何度か座席で船を漕いだ脳は薄らぼんやりとしていたが、窓の外を見やった時の心ははっきりとしていた。

 なつかしい。

 それが、あれだけ憎んだ街との再会に際して湧き出た漠然とした感想だった。
 預け荷物を受けとり、在来線に乗車して帰宅する道々も、大半の感情は「この街は相変わらずごみごみとしているな」といったものだったが、なんともいえぬ懐かしさが、じわじわと心の奥底からしみ出してくる感覚に、身体は浸り、心は慣れはじめていた。
 実家の食事を食べ、布団で寝、起きて、窓を開けた先にある光景を眺れば、それは愛に近いと気づいた。絶句した。

 あれだけ憎んでいた街は、愛になっていた。その事実に、あまりにも寂しくて、悲しくて、涙も声もなく泣いた。愛の形になってしまった、かつて憎しみだった街を前に、わたしはなにを見つければ——見つけることができればよかったのだろう。

 二兎を追う者は一兎をも得ずというなら、愛も憎しみも、わたしのものにはなってくれない。なってくれないまま、ただそこに在って、「生きろ」と言って笑うだけなのだった。

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