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11月20日のお話

今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界の、荒れ果てた大地の果てで暮らす人のお話。

4205年11月20日

新都心エリアから飛行機体に乗り、5時間。陸路だと数日かかる距離の辺境の地。旧王国デノーヴェと呼ばれる街の先には、「世界の終わり」と呼ばれる巨大な大地の裂け目が横たわっています。裂け目と言ってもこちら側から向こう側までは距離にして約4km。谷底には誰も到達したことがなく、裂け目は大陸の端の巨大な山脈まで続いているという大きさです。そのため、事実上、こちら側と向こう側は世界として分断されていました。

とはいえ、飛行機体も発達している時代です。その先にも行こうと思えばいけますし、帰ってくることも出来ます。しかし、あちら側は気象や地殻が不安定で人が住むには適しておらず、資源なども特に見つからなかったことから、都市が出来るほどの開発はここ数百年、なされていませんでした。

「世界の終わりの向こう側」
そう呼ばれる、あちら側にも、最近、変化が訪れました。
日常とかけ離れた状況の中で、危険に満ちた体験の中に身を置きたいと考えた人々による「冒険サービス」の誕生です。

太陽が昇らなかった日から4年。色々な騒動も落ち着きを取り戻し、旧王国デノーヴェの観光客の数もすっかり元に戻ったことが示すように、あの騒動の渇きを満たすかのごとく、人々は以前よりも活発に何かを求めて動き出しました。
ある者は人とのつながりを求め、ある者は新たな知識を求め、そしてある者は冒険を求めるようになり、冒険の舞台として人々の興味をかきたてたのが「世界の終わりの向こう側」だったのです。

冒険「サービス」と、観光商品のように銘打たれていますが、危険に満ちた体験が出来るという触れ込み通り、そこに提供されるのは快適な旅でもほどほどの刺激があるアトラクションでもありません。本当に危険が満ちています。
こちら側に帰れなくても、この世に留まれなくても文句は言わない。そういう誓約書にサインをした人しか、「世界の終わりの向こう側」への飛行機体には乗れません。

そんな冒険サービスにのめり込む人々は、それを究極の娯楽といいました。
特に人気なのが、世界の終わりの向こう側の最も奥地、飛行機体で海を丸1日飛び越えた先にある離島から出発するルートです。
離島にはビジターセンターがいくつもあり、人々はそこで適切な仲間をつくり、船で裂け目を有する大陸の港まで戻ってくるという海域を縦断する行程です。

向こう側の海は、海流が複雑なことに加え、霧も嵐も高頻度で発生する悪天候という環境のため、魔法使いや技術者が揃っていても、運が悪いとたどり着けないという条件です。それでも、一度参加した人は再びそれに挑戦し、そのリピーターの様子を見て新たな参加者もあとをたちません。

インタビューに答えた冒険者のひとりは、その理由について、こう述べました。

『灯台です。裂け目の大陸の先で僕らを待っている灯台の明かり。あれが見えた瞬間の、ほっとする気持ちと到達したという達成感。これは何度やっても良いものです。』

世界の終わりの向こう側では、人々が長い歴史の中で克服してきた危険を、今でもリアルに体験することができます。
冒険サービスは、今の人々が忘れてしまった、危険がなければ味わえない幸福を、実際に味わうことを可能にしたサービスです。

このサービスを昨年立ち上げた、旧王国デノーヴェの前市長ボア3世は言いました。
『街は、現市長の息子がしっかりと守ってくれている。私たちのような引退組は、次の世代に向けて、歴史的財産を保護し、残していかなければいけない。これまでの人は形のあるものばかり残そうとし、形を持たない、感情や感動、心の動きまではほとんど残っていない。文献から想像する事しかできず、それはいつしか我々の心を弱くした。』

ボア3世は、不登光症候群を長く患い、一時期は家族も巻き込んだ闘病生活に苦しんだ過去を涙を浮かべながら話した後、こう結びました。

『私は思ったのだ。世の中が便利になることで、忘れられた様々な感情は、心のトレーニングの役割をしていたのかもしれないと。それが必要だと思う人に、提供できる場が今の世界にあるべきだと。』

幸運なことに、郊外に世界の終わりの向こう側を持つ街の指導者だった彼は、私財を投じてサービスを立ち上げたのです。

まだ続きそうな演説の映像を、もういいわ、と言いたげな手つきで終了させたカリノは、大きなため息をついて言いました。

「いろいろなことが起こるわね」

カリノは以前から、先ほどの映像に出ていたボア3世を知っていました。家族ぐるみの上得意のお客様です。ヒイズとともに、その闘病生活も支えてきました。

「カリノは、冒険サービスは反対?」

となりで本を読みながらコーラを飲んでいるヒイズが問いかけます。
反対ではないけど…と、カリノは言葉を切りました。

「手法が短絡的だなと思うの。灯台を見た時の感情を再現するのに、その場を体験させるなんてそのまま過ぎて。」

同じような気持ちを、今を生きる人は、他でも体験しているのではないか。そんな仮説がカリノの頭に浮かびましたが、それを証明するのは、難しい気がして言葉を飲み込みました。

そんなカリノを見て、ヒイズは言いました。
「たとえば、同じ灯台を見た時の古き人の感情を表現するなら、こんなのはどうかな。
貴女にとっての、灯台になりたい。と、心から思う男性が愛する女性になる体験、とか。」

ヒイズの突拍子もない発言に、カリノは思わず手にしていたコーヒーカップを落としそうになりました。別に自分に対して、ヒイズが灯台になってくれると言っているわけではない、と慌てて自分に言い聞かせ、動揺する心を宥めます。

「たしかに。そういう方が、私は好きかも」

と、絞り出すようにリアクションをするカリノは、改めて思いました。
ある人の行動や言動が、自分にもやもやした思いをさせたとしても、それを和らげてくれる言葉をかけてくれる人がいる。そういう存在がいてくれることを、ヒイズのことを、本当にありがたいと。

広い世の中にはいろいろな人がいて、いろいろなことが起こります。
それでも、そういう世の中であってもいいと思えるのは、隣に誰がいるかで変わるのかもしれないと、カリノはこの日、思えたのでした。



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