大きな流れに身を任せて生きている
わたしってとっても怠け者です。
仕事に対しては「お金を貰うからには一生懸命やらねばならない」と思っているので、ちょっと開いた時間も掃除したり備品の補充や作成、何かやることはないか〜!?と、なにかしら探して動いているのですが。
自分のコンテンツを作るとか、やりたいことを実現させるという「自分のこと」に対しては、誰に強制されているわけでもないので、つい手が止まりがちです。
自分を追い詰めすぎて病気になったので、それ以来
やってもやらなくてもいい。行っても行かなくてもいい。
嫌なら断る。無理に人間関係を続けない。
をコンセプトに生きています。
そんな風に生きるようになってから、ものすっごく幸せなんですよ、本当に。
生きていたら頑張るって当然のことじゃないですか。
スーパー嫌いだけど食欲は無くならないし、掃除が面倒でもハウスダストアレルギーがあるし、何にもやりたくないけどツマラナイのはつらいし。
トイレに行くのも面倒だったりして、普通に生活するイコールすこぶる頑張って生きているわけです。みんなはどうなんだろう。
こんなわたしでも「一見ふつう」に生きているわけで。
きっと慎ましい生活をしていたら、子なしの専業主婦で日がな一日ゴロゴロしていられると思うのですが、暇は人生最大の敵といわれるように、暇すぎてもシンドイんですよね。
おまけに『タイミングがきたな、動き出さなくちゃ』という直感が降りてきます。
フッと降りてくるこの感覚。
「こうなるな」「こうした方がいいな」というのが、良くも悪くも直感どおりになるから不思議です。
昔は、ダメだと分かっている(知らせてくれている?)のに、そのまま突き進んで最悪な目にあっていましたが、素直に受け入れるようになってからチャンスを掴めるようになりました。
でも、誰しも、そういうことってあると思うんです。
虫の知らせとか、感覚的に嫌だなと思ったり、死期をさとるとか。
そういえば祖母がなくなる10日ほど前、「じいさんと妹と亡くした長女が足元に立つようになったから、ばあちゃんそろそろ死ぬと思うよ。先に挨拶しとくわ、今までありがとな〜!」と笑いながら話していたのを思い出します。
幼くして亡くなった娘が成人してキレイになっているとも言っていました。めちゃくちゃ元気な人で、霊的なことなんて全く信じていなかったのに。
人も自然の一部だし、波動を送受信しながら生きているのだから、頭で考えるよりも感覚的に感じるというのは当然のことなのかもしれません。
だから、悩んだときには頭であれこれ考えるより、心のおもむくまま流れに身を任せるようにしています。
考えすぎると相手との関係性や損得や余計な感情に流されて、「自分はこうしたい」という純粋な気持ちからはズレていることがよくあって。
自己犠牲したところで、最終的には誰の得にもならない。と気づいてから、無理やりムリするのをやめています。
それに、必要なことは自然とやらざるを得ない状況になってしまうものです。
楽しいことだけに流されていても、人生の課題みたいなものは、人それぞれに手を替え品を替え、さまざまな形で「乗り越えるまで」やってくる気がします。
学校の追試みたいにね。
大きな流れに身を任せるというのは、頭で考えるより、自分の心と感覚を大切するということ。
自分はどうしたいのか?それが分からなかったら、自分はどうなったら嬉しいのか?と心に問いかけると、自然と答えに導かれるものです。
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