最高の人生の送り方~運命決定論的な視点に立つと見えるものとは?~
“全ての動きが常に
相互に結びついているのなら
すなわち決まった順序で
古い物から新しいものが生じ
原子は決して
因果関係という運命の絆による
永遠の結びつきを断ち切る
逸脱した動きを
新たに開始しないのなら
地球上に存在する生命が持つ
自由意志の源泉は
いったいどこに求められるのか?”
-Lucretius-
私は質問をされるのも、あるいは質問を考えるのも大好きだ。
実は最も能力の高いトレーナーの条件は、クライアントにどれだけ質の高い質問をできるかに、大きく掛かっていると私は考えている。
(でなければクライアントの質の高い気づきや思考を促すことはできず、結果的にその人の身体を根本的に改善することは不可能だろう)
ちなみに、今まで出会ってきた質問の中で最も胸を躍らされる最高の質問が、冒頭に引用したルクレティウスのものである。
驚くべきことに、ルクレティウスがこの質問を思いついたのは紀元前一世紀頃。
日本には科学の科の字もなかった弥生時代に、この領域にたどり着いたことにさらなる感銘を受けずにはいられないだろう。
そして現代科学をもってしても、この質問の正確な答えの根拠を未だに証明できていないから驚きだ。
さて今回の記事では約7,8年前には行き着いていた、私の人生観について綴っていく。
(専門学校時代の23,4歳の時期に、当時の同級生たちとの飲みの席でこの説を熱くプレゼンしたのを覚えている)
ルクレティウスが言うように、もし本当に自由意志など存在せず私たちの運命が決定しているという視点に立てたとすると、人生はよりおもしろくなる!
というのがここでの私の主張だ。
受け入れられない運命決定論
「あなたの未来は決まっている」
これが事実だとしたら、あなたはどう感じるだろうか?
「あなたが明日の朝どの靴を選択するのかは、宇宙が誕生したその瞬間からわかっている」
こんなことを聞いて、真に受ける人などいるのだろうか?
だがルクレティウスが言っているのは、そういうことだ。
それに多くの物理学者は、この考えに賛成している。
先日亡くなったホーキング博士も、そのうちの一人である。
しかし運命が決まっているという考えは、私たちの直観とは合いなれない。
受け入れるのなんてほぼ不可能だと思えるだろう。
私たちは誰もが、昨日選んだ夕飯のメニューも、今日コーヒーではなく紅茶にしたのも、明日返信する予定のメールの内容も全て自分の意志で選んでいるという認識に、確固たるものを持っているはずだ。
ではそもそも自由意志とは何なのだろうか?
自由意志の定義|非決定性VS自律性
運命が決定しているという視点に立つと、私たちには自由な意志などないのか?と、考える人がほとんどだろう。
つまり、自由意志=非決定性ということ。
この方程式に囚われると、自由意志に関する議論はなかなか先に進めなくなる。
だがここで自由意志について、別の解釈をしてみよう。
そもそも意思決定とは、遺伝子に組み込まれた情報と五感から得られるあらゆる情報、これに過去の記憶と未来への予測を織り込み、脳内のニューロンやシナプスや化学物質が凄まじい相互作用を繰り返した結果成される、一連の連鎖反応の帰結である。
そしてこの一連の反応の全てを、誰にも何にも邪魔されずに自律的に実行することができれば、それは純粋に自由意志と呼べるのではないだろうか。
たとえこのことが、究極的には物理法則から逃れられないとしても。
さらに言えば、人間には志向姿勢が生得的に組み込まれているとされる。
志向姿勢とは、外界の現象に意図を見出す能力のこと。
(地震や雷雨を誰かが犯した過ちの天罰だと考えた文明時代の人や、靴紐が突然切れたら何か嫌なことが起きるのではないかと考えてしまうあなたのように)
高度な社会的階層を形成し、さらにそれを維持していくには、相手の意図を予想して行動するのが進化的にみれば有用なのは明白だろう。
だから自分の起こした行動を、自分の意志で選択したと考えるよう初めからインプットされていると考えることもできる。
(このことは実験によって証明されていて、脳内のインタープリター・システムという)
以上のことをまとめると、『自由意志=非決定性』ではなく、『自由意志=自律性』という、正しい方程式が見えてくる。
すると、私たちの運命は決まっているという事実を完璧に受け入れながらも、自由意思は存在すると表現することに何の違和感は感じなくなるのだ。
最高の人生の法則|運命決定論的な視点より
といっても、納得できない人がほとんどのは十分承知している。
(これまでの世界的な科学者ですら満足のいく説明ができていないのに、私がみなさんを納得させられるはずがない。w)
だが今回の記事の主題はそこではないから安心してくれていい。
なぜなら、もし仮に、運命が本当に決定しているという視点に立つことができれば、人生をもっと楽しめるのではないか?という提案をしたいだけなので。
説明しよう。
あなたには、過去に起きたことを後悔したことはあるだろうか?
イエス。
あるいは、未来のことを不安に思ったことはあるだろうか?
イエス。
どちらもうまく生きていくためには必要な反応だ。
しかし、過去への後悔と未来への不安ばかりで先に進めなくなっている人を私は何人も見てきた。
「あの時、この人ではなくあの人を選んでおけば私の人生はもっと幸せだったはずなのに!」
「どうせ私の人生なんてお先真っ暗よ。。」
さてここで、運命決定論的な視点に立っている人はどう考えるのか見てみよう。
「あの時、この人ではなくあの人を選んでおけば多分違った人生だったはずだけど、そんなこと考えても仕方がない。
今の現状に完璧に満足はできていないけれど、未来の私は必ず幸せな人生を歩んでいるはずよ。
そうに決まってる!
だから今できることを最大限頑張るわ!!」
そう、未来が決まっているのなら、後悔と不安は無駄以外の何物でもない。
そして、“今”に最善のエネルギーを注げるではないか!
これが運命決定論的な視点に立った人が、到達できる真髄だ。
しかしここで一つコツがある。
未来が決まっているのなら何をしても無駄ではないか!?と無力感を決して持たないことだ。
今にベストを尽くしたその先に、自分が望む未来が待っていると自分自身を信じ抜く力。
これを持てるかがどうかが、勝負の分かれ目となる。
したがって、未来が決まっているという証拠がこの先研究によって、証明されるかどうかもわからないが(私はされると確信している)、運命は決まってる!という視点で自分の人生を解釈していくことは、上手に生きるための何よりの要素だと、私は考えている。
エピローグ~後悔と不安がない人生~
こうやって振り返ってみると、この考えにたどり着いた7,8年前から私は後悔をしたことがない。
(その当時は運命が決まっているという根拠の部分は全く薄いものだったが)
本当に。
もちろん短期的に落ち込むことはある。
しかし短期的な落ち込みは、脳の扁桃体から闘争-逃走反応、HPAシステムに続くホルモン応答の結果がもたらす、いたって正常で必要な学習機能だ。
(このことを理解しておくことも、ストレスマネジメントにとっては重要だろう)
だから2,3日で正常モードに復帰する。
そして私には、自分の未来が素晴らしいもので満ち溢れているという、全く根拠のない確信もある。
(現状でも人生幸せ度ランキングなるものがあれば、世界ランクで100位以内に入ってる自信もあるw)
だがその幸せな未来は、待っていれば勝手にやってくるものではなく、今できる最善の努力をした結果の先にあるという認識だ。
つまり私は今、誰よりも努力している自負があるし、やりたいようにしかやっていない。
そうなれば人生は最高に面白い!
、、のでは??
まあ何にしても、この世の全ての現象に意味はないし、自然や宇宙は私たちに完全に無関心だし、どう解釈するかはあなた次第である。
この記事だって所詮、若干31歳の未熟者の戯言だ。
自由に、そして気楽に生きよう!
どうせ最高の運命が待ち受けているのだから。
この記事を書いた神尾健太という人物➤https://wp.me/P9oEaZ-41
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