【洋画】ネイバー・イン・ザ・ウィンドウ – あらすじ
「愚行の原因は、似ても似つかぬものを
真似することにある」
文学者 サムエル・ジョンソン
25,000字ほど。
【感情のトリガー↓】
第一章:【怪】
第二章:【疑】
第三章:【悲】
第四章:【哀】
最終章:【晴】
第一章:あなたの服
「こんにちは」子づれの奥さんがやってきた。名前えはスージー(三十代)。その身長の高さと細いなりは、まるでモデルのようで——スパイラル・パーマがアフロのようにひろがっている——ひかえめそうな美しい女性だ。その愛くるしいほどの瞳やマユゲは、まるで思春期まえまでの “ジャスティン・ビーバー” にちかいと言ってもいいくらい。服装もタイトなライト・ブルーのデニムに、うすいリネンの Tシャツといった、わりと庶民的ないでだちで、どことなくヒッピー感をかもしだしている。「むかいに住んでるスージーよ」となりに立っている小さな息子が、えがおでインターホンを鳴らしだした。すでに、ドアは開いているのに。「あいさつに来たの」タッパーをカレンにわたしてあげた。「マフィンよ。念のため、ヴィーガンようのね」
ちいさな息子といっしょに買い物から帰宅したばかりのカレン(三十代)——アラビア系の血がはいっていそうな濃いマユゲに濃いマツゲをした、しとやかそうな女性——は、とつぜんの訪問にうれしい驚きをした。「ウチの家族はヴィーガンではないわ。でも、ありがとう。あ、初めまして、わたしはカレンよ。この子はマイルズ」右どなりにいるマイルズの肩に手をおいた。「こちらは?」アイボリー系のコットン・パンツに、あわいブルーのワイシャツを着たカレンが、スージーの息子を指してたずねた。
「この子はフィン。六さいよ」スージーがこたえた。
「ぼくの部屋であそぶ?」カレンの息子——マイルズが、フィンを誘いだすと、ふたりは躍然とした呈で、二階にあがっていった。そのあとカレンはスージーを家に招きいれ、ここ——シアトルの閑静な住宅街に、夫の転勤がきっかけで引っ越してきたことや、いまは専業主婦で、まえは不動産の営業をしていたことなど、かるい世間話を共有しあい、親睦をふかめようとお互い努力していたのだった。
その夜——。
「マイルズは?」帰宅してきたカレンの夫——スコット(四十代)が訊いてきた。まるで “ユアン・マクレガー” と “キーファー・サザーランド” をミックスさせたような小柄の男性だ。彼れは、リビングのソファでくつろぎながら、 i Pad をみていたカレンの隣りにすわりだす。
「もう寝たわ」i Pad をとじたカレンがこたえた。
「昇進したばかりだから、まだ早くには帰れそうにないな」右どなりで体をこちらにむけて聞いているカレンに、スコットは くちおしそうに言った。
「できた妻がいるから安心して」とカレン。すると、彼女はだまって、スコットのやさしいキスを受けいれた。おたがいの耳元に手をそえながら、愛おしそうにくちびるを重ねていく。すると、スコットよりもカレンのほうが積極手に彼れを押したおして……「スコット……待って」と中断したカレン。「……今、だれかが見てたわ」
スコットは首をめぐらし、リビングの薄めなリネン・カーテンの開いた窓からたしかめた。が、窓からうかがえる裏の家のカーテンは閉まったまま。そこのリビングの部屋は明かりがまだついており、のぞいていればすぐに影でわかってしまう。「きっと、ただの影だろ」と、こうべをもどした。「二階にいこう。窓から離れれば安心だろ」カレンの手をつなぐと、ふたりは寝室へとあがっていった。
翌日——。
——あれ!? 誰れかが家のまえにいる。
息子のマイルズをつれて、ドライブしていたカレンがもどってきた。敷地内にあるガレージのてまえに車を駐めて、彼女とマイルズが降りてくる。
「こんにちは」家のげんかん前にたっていた、四十代くらいの女性がやってきた。「お隣りさんよね? わたしはリサよ」迷彩柄のはいったスキニー・パンツに、インナーのタンクトップ、その上にフィットネス向きのパーカーを着た——『プラダを着た悪魔』のミランダ役がドハマりするような面持ちの——リサは、じぶんの家を指した。「裏に住んでいるわ。庭がつながってるの」
「わざわざ来てくれてありがとう」マイルズと手をつなぎながら、カレンは、プラチナ・ブロンドの華やかなリサのもとへと近づいた。そして、自己紹介を終えると、リサからピンクのロゼを「お近づきのしるしに」と言われてわたされた。「うれしいわ。ありがとう」レースのはいった白いラミー素材の半袖 Tシャツに、あわい空いろのダメージ・ジーンズと、ショルダー・バッグという、わりとフランクな格好をしているカレンは、むかいに住むスージーのようにリサを招きいれて、世間話というお互いの——ステータスもろもろなどの——探りあいをおこなうのであった。もちろん、親睦もかねていたとおもうが……。
「これはママたちのジュースよ」リサがスージーのグラスに注ぎながら言った。そして、カレンのグラスにも、このまえプレゼントしたピンクのロゼをそそいでいく。
「出会いにカンパイ」三人のなかで一番背のたかいスージーが言った。そして《カーン》という音をたてながら——カレンの自宅の庭でおこなわれている——ママ友の会がはじまるのである。彼女たちの見えるばしょでは、カレンの息子(マイルズ)、スージーの息子(フィン)、リサの息子(エリオット)が仲良くサッカーしてあそんでいた。
「私したちも新学期の買いものは必要よね」カレンとスージーに娘のアリー(一二)を紹介していたリサが言った。
「さっそく。子守りをたのむ?」そのアリーに子守りのバイトを持ちかけていたカレン。
「ええ」とリサ。「決まりね」とスージー。
ニコニコと幸せそうにカンパイをすると、三人はさっそく婦人服の売っているモールへと出かけたのだった。
ついに新学期がはじまり、六さいのマイルズをつれたカレンは、学校にたどりつく。校舎の入り口まえには、雲霞のごとく、入学まえの親子づれたちが集まっていた。手続きを済ますと、さっそく二人は教室のなかに入っていく。
「おはよう」若そうなアジア系の女性教師が明るくむかえた。
「どうも、カレン・モーガンです。この子はマイルズ」
「A組へようこそ」腰を低くくし、女性教師がやさしくマイルズに言った。
「こんには」と、バックパックを背負っているマイルズ。
女性教師は新学期のパンフレットをわたした後、カレンのその服に目が留まった。「凄くステキな服ですね」
それは、このまえ三人で買いものに出かけたときに一目惚れして買った——赤いワンピース。七部丈の袖と、膝丈ぐらいのチュニックで、装飾性のきいたエレガントなデザインとなっている。腰紐のしぼりでウエストのラインがくっきりと目立っており、そのぶん、クルーネックで控えめさも忘れないといったかんじだ。
「ありがとう」気づいてくれたことに ご満悦のカレンはつづける。「この子が学校に慣れるために、なにかしたいの。ボランティアとかあるかしら?」
「“本の読み聞かせ” なら空きがございますよ」と女性教師。
「ぜひ、やらせてください」とカレン。
「わかりました」
「午後にむかえに来るからね」となりのマイルズにそう言うと、ぎゅうぅっと抱きしめ、カレンは教室をあとにしようとした。「あっ! ……」普段でも大きいカレンのひとみが、さらに大きくなりだした。「リサ」
「カレン……ウソみたい」息子のエリオットを連れて教室に入ってきたリサ。
おもわず、リサの衣装に食い入るような眼をそそいだカレンは、唖然としていた。
「ごめんなさい、はずかしいわ」リサが言った。「ステキだったから、つい私しも……まさか同じ日に着てくるなんて」
「……考えることが同じなのね」ひきつった笑顔をみせながら、カレンが言った。「とてもお似合いよ」リサとハグを交わした。そのあと、リサの向ける背中に苛立ちを覚えながら、カレンは教室をあとにした。
——新学期に着ていく服を買いにいきましょうって言ってきたのは、たしか、あなたよね? 今日、わたしがこの服を着ていくことも知ってるはずなのに、重なるなんてありえない……。
「それ、指定の服なんですか?」車に乗りこもうとしていたカレンの後ろから、三十代くらいの女性がきいてきた。
「あら、ただの恥ずかしい偶然よ」振りかえったカレン。
「どうも」ブロンドの少しぽっちゃりした女性は、カレンと握手を交わした。「娘がおなじクラスなの」
「ごめんなさい。服のショックで気がつかなくて」とカレン。
「わたしがママ友を避ける理由よ。きっと、来週には全員がおなじ服を着るようになる」
「ふふ……それは困るわ。またね」
すると、話しかけてきたブロンドの女性は、すぐとなりに駐めてあった自分の車で帰っていった。
カレンも車に乗って帰るのだが、
どうも釈然としなかったのである。
——あれはきっと、わざとよね?
——自分のほうが似合っているという……
——私しには似合ってないという……
「カレン、会えてよかった」スポーティーな服装にもどしたリサが、普段着にもどしたカレンのところ——買い物からいま、車でもどってきたばかり——にやってきた。「服のこと、ほんとうにごめんなさい。わたしより似合っていたわ」
「いいのよ」身振りもくわえて、カレンが言った。
「じつは、新学期祝いのパーティーをやろうと思うの」とリサ。「あなたも参加してくれる?」
「いいわね」とカレン。「ぜひ行きたいわ」心にもないことを。
「よかったぁ」リサが言った。「学校がはじまって助かる。じゃあ、またね。楽しんで」
「またね」足が弾むようにもどっていったリサを、つくろった笑顔で見おくるカレン。うだうだ考えてもしょうがいないと思った彼女は、とりあえず、服の件はわすれることにしたのだった。
納得はしていないけど……。
第二章:自己顕示欲
「ひと口いかがですか?」アラビア海よりの血が混ざっていそうな——ヒジャブの服装が似合いそうな——カレン(三十代)が、よりどりみどりに並べられた フルーツをもってきた。裏に住んでいるリサの発案で、自分家とつながっている庭には、おなじく新学期をむかえた近所の家族たちが集まっているのだ。とはいえ、そこまで豪邸じみてはいないため、呼べる家族も六組ぐらいと限られている。もちろん、そのなかにはカレン家ちのむかいに住んでいるスージー家族も含まれていた。
「この旗、かわいいわねぇ」スパイラル・パーマがアフロのように広がっている——目元が少年のころの “ジャスティン・ビーバー” にちかい——スージー(三十代)が、一つ手にとった。ひと口サイズにカットされていたフルーツには、赤旗のついた爪楊枝がささっていたのだ。つぎは、スージーの右どなりに立っている奥さんへと大皿がわたされていく。
「飾りのためなら、どこへでも探しにいくよ」スージーの左どなりに立っているスコット(四十代)が、じぶんの左にいる妻——カレンに、ジョークをとばした。彼れらはみんな、うしろの大きなエア遊具——バウンス・ハウス——でポヨン…ポヨン…とはしゃぎながら遊んでいる子どもたち以外、赤いブラッディ・マリーらしき飲みものを手にしている。リサの企画した新学期パーティーは、なんとも華やかなものであった。
「ダン(夫)のリブ・ステーキも食べていって」このパーティーの参加者で一番めだっている リサが言った。襟ぐりの大きく開いた——ナイト・ドレスのような——黒いワンピースに、雅やかなアクセサリーなどなどを身につけ、プラチナ・ブロンドにその濃いメイクは、まさに『プラダを着た悪魔』のミランダ役を演じていた——“メリル・ストリープ” そのもの。彼女はダンの肩に手をまわし、カレンたちの対面がわに立っている。
「ああ、わたしが凝らした極秘レシピだ」妻よりも背のひくい温厚そうな——尻に敷かれていそうな——ダン(五十代)が言った。髪みは数ミリくらいしかない短さで、ハゲあがっている頭頂部は、リサの目線からでも確認ができるくらい。なんだかんだで、バランスがうまくとれているのだろう。気強いおんなに、気弱いおとこ。
その後、カンパイした彼らのまえで、カレンは職場復帰することを報告した。何百万とかかるだろう不動産免許をとったあとに、その仲介業に就くのだと。すると、まわりのみんなから称賛されたのだった。
「カレン、すごいわ」スージーとカレンのいるところに、あのリサがやってきた。「じつは私しも仕事にもどろうかと思ってたの。不動産業をはじようかと」
「いっしょに働けるじゃない」スージーが左どなりにいるカレンをみやって言った。愛くるしいほどの視線をむけて。
「ええ」と、半笑いのカレン。
「カレンが内装すれば、たちまち売れるわよ」と、カレンの肩をぽんぽん押したスージー。
いっぽうで、じぶんより持て囃されているカレンに、恨めしい視線をむけているリサ。もちろん、スージーもカレンも気づいてはいない。「わたしの家の内装もおねがいしたいわ」デコルテを強調させている黒いワンピースから、リサはそれを見せつけるように表にだした。
そのネックレスは、またたくまにカレンの目に留まりだす。それもそのはず、自分のつけているネックレスと、まったく同じものを身につけているのだから……。さいしょの赤ん坊を突然死症候群で亡くしたときに、夫のスコットから形見のようにプレゼントされた——カレンにとっては、とくべつな意味をもつネックレス。これは、初めてリサをまねいたときに、カレンが涙ながらに打ちあけていたことだった。さっそく、とらぬ狸の皮算用のようにぺらぺらと語られているが、今のカレンには、リサの言葉はとどかない。彼女のあたまの中はまっ白になっているので、予定がどうこうと言われても、呆然と立ちつくすことしかできないのだ。
「カレン?」とリサ。
「……!? ええ」となりのスージーにポンと手をやったカレン。「ポテトサラダをとってくるわね」と、この場に居たたまれなくなった彼女は、リサの夫が準備しているキッチンへと、足をはこぶのであった。
「おいそうですね」リサの自宅のダイニング・テーブルで、ポテトサラダを盛っているカレンが言った。彼女の右がわには——御影石のキッチンに焼きあがったリブ・ステーキをのせた——ダンがいる。
「ありがとう」焼きぐあいを確認しながらダンは言った。「リサと仲良くやってくれて嬉しいよ。ママどうしの関係はむずかしいから」
「……アナベルのことですか?」カレンは手をおいて訊いてみた。はじめて家にまねいたとき、リサからも最初の娘を亡くしていると告白をうけていたのだ。それを聞いて、つらいのは自分だけじゃないのだと、ほんの少しのやすらぎを得ていたのだが……。
「……アナベル?」いぶかしそうにダン。
「さいしょの娘さんを、わたしたちと同じように亡くしたと聞いてます」とカレン。
「……なにか誤解されてるようだ」ダンは言った。「亡くなったのは兄夫婦のむすめだよ。オレとリサの子どもは、アリーとエリオットだけだ」
それを聞いたカレンは、おもわず手の力をゆるめてしまった。両手にもっていた——ポテトサラダを盛ったばかりの——お皿を。目をおおきく剥きながらダンを見つめているあいだにも、床に《パリンッ…》と割れる音が、ゆっくりと脳裡に木霊してくる。
パリンッ……パリンッ……パリンッ……と。
カレンは自分の耳をうたがっていた。そんなデタラメなウソを平然と、それも涙しながら話せる人なんているのだろうか、と。その夜、寝室のヘッドボード・クッションにもたれながら、夫のスコットに話しをきいてもらい、心を寛容におちつかせるのであった。
「ママ——ッ!!」学校に行こうと玄関をあけたカレンの息子——マイルズ(六)がさけんだ。
「どうしたの?」家のなかからカレン。「なんだ?」おなじくスコット。ふたりが玄関のところにやってくる。
「スコット! これ……!?」唖然とするカレン。
「ウソだろ……」おなじくスコット。「誰れがこんなことを……」
敷地内に置かれていたダスト・ボックスが荒らされており、家の前がゴミで散乱していたのだ。
「なぜこんなことするの?」ダスト・ボックスのほうへ歩いて行ったカレン。「ウチだけをねらってやってるわ」
「なにがあったの?」心配してカレン家にやってきた、スージーがたずねた。
「私しにもわからないわ」リビングで、そわそわしながらカレンがこたえた。「警察は、いたずらだろうって。たまたま被害にあっただけだ、と言ってたわ」
「物騒ねぇ、犯人を捕まえてほしいわ」まゆをひそめたスージー。
「ほんとうに腹がたつ」なにか飲みたくなったカレンは、キャビネットからグラスを取りだそうとした。
「そうだ、リサの病気のこと聞いた?」とスージー。
「“パーキンソン病” ですってね」グラスは出さずに戸棚をしめたカレン。それは、このまえ問い詰めたときに、リサが打ちあけた病名である。主に運動機能がままならないといった病気なのだが、リサの場合、かるい認知症も ともなっているらしいのだ。だから、アナベルの件も、記憶が混同してしまったのだと……。「かわいそうに、なにか手伝えることが——」
「ちょっと待って。“パーキンソン病”?」怪訝そうにスージーがさえぎった。「わたしには “全身性エリテマトーデス” だと言ってたわ」
Systemic Lupus Erythematosus——の頭文字からとった “S L E” 。これは、全身のさまざまな症状が一度にあらわれてしまうという、いまだ原因がつかめていない病気である。そして、あっとうてきに妊娠可能な女性が発症しやすい難病でもあるのだ。
カレンは目眩をかんじた。あのときのアレは何だったんだろうと、過去をふりかえりながら。
——見せられた手帳には付箋がたくさんつけれられていたし、肘の内がわには、注射をしたような止血テープも貼られていた。
——え!? それも全部、ウソなの?
「ごめん、ちょっと、混乱してきたわ……」
その夜、スコットにすべてを話したカレンは、裏に住んでいるリサと距離をおくことにしたのだった。その後、職場の先輩——不動産の事務所で一緒にはたらいている女性——とランチをしてるあいだにもリサからの着信が鳴りつづけたが、彼女がその電話に出ることはなかった。
これが、リサの——異常なまでの嫉妬心に火をつけとも知らずに……。実はカレンと職場の人がランチをしているとき、その店の駐車場から リサが観察していたとも知らずに……。
そして、仲間ではなく——
敵として認識されたとも……。
第三章:匿名の通告
「はい、先生」息子のマイルズと手をつなぎながら、クリスマス用の装飾で きらびやかな教室にはいってきたカレンが言った。「ボランティアの件ですか?」にこやかと。
が、すこし芳しくない表情で近づいてくる、アジア系の若そうな女性教師。「……じつは保護者から連絡が入りまして……“あなたが育児放棄をしてる” と……」
いまの事情をまったく理解することもできないマイルズが、じぶんの席に着いたぐらいでカレンは言った。「……誰れがそんなことを? 信じられないわ」顔がけわしくなってくる。
「申し訳ないですけど、情報元はあかせません……」目をそらした女性教師。「ただ……マイルズ君にあたたかい服や、ちゃんとした食事を与えていないと……」カレンの目をみやって。
「お弁当なら持たせているわ。知ってるでしょ?」
「それで……」また、目をそらした女性教師。「この件が解決するまで、読み聞かせは、いったん保留にしたいんです」
「……解決って、なに?」あきれ顔のカレン。
「明日、園長先生もいっしょに、今後の対応について検討したいと思います」
カレンはひどく打ちのめされた気分に侵されていた。じぶんよりも若そうな女性から、“福祉課” というワードをちらつかされてしまったのだ。つまり、息子のマイルズをあなたから奪いますと言っているのと同義である。あまりのショックで、ついカッときてしまったカレンは、女性教師に怒鳴りつけて帰るのであった。そして、翌日——。
「すべて事実ではありません」カレンが言った。園長先生の自室で今、カレンと夫のスコットは事情聴取をされているのだ。「名前えも言えない人のほうを、実の母親よりも信用するんですか?」
「もちろん、息子さんへの愛情があることは知ってるわ」部屋の隅みの斜めに置かれた横ながのデスクにすわる、五十代くらいの園長先生が言った。「でも、どんな訴たえも深刻にあつかう必要があるの」
「……通報したのリサでしょう?」対面にすわる園長先生と、その左側のキャビネットにお尻をもたれている——ブラインドが調整された窓をバックにしている——マイルズの先生をみやってカレンは言った。すると、その名前えを出したとたん、となりの女性教師は、わかりやすく顔をうつむかせていた。「これって不公平です」
「犯人さがしは置いといて——」カレンの右どなりに座っている夫のスコットが言った。「わたしたちは何をすれば?」
「現状、福祉課に連絡する じゅうぶんな証拠はないわ」園長先生が言った。「でも、その保護者が通報する可能性はあります」
「第三者が?」呆然とするカレンをよこに、スコットがきいた。
「こどもを守るためなら、だれでもできるわ」と園長先生。
とりあえず、学校側は連絡しないと言ってくれたが、思いあたる保護者との話しあいを勧められたのだった。これが解決しないと、ボランティアの参加にはもどれないと匂わされて……。
「彼女はただ注目されたいだけだから、通報はしないさ」カレンといっしょに校舎から出てきたスコットが言った。
「私しはそんなふうに思えない」俯きながらカレン。
「もう行かないと。なるべくはやく帰るよ」カレンとハグを交わしたあと、スコットは仕事にむかっていくのだった。
カレンも自分の駐めてある車に乗りこもうとした——そのとき。「ウソでしょ……」おもわず言葉をもらしてしまう。校舎の駐車場に、娘のアニー(一二)と息子のエリオット(六)を乗せた——自分家の裏に住んでいるリサがやってきたのだ。それも、自分とまったく同じ色でおなじ車種の——セダンのベンツに乗って……。カレンは運転席のドアをしめて、リサの車のほうへと歩いていった。憎しみの情をにじませながら。じぶんのまえで車を止めたリサに近づいていく。「車から出なさいよ」サイドミラー側のピラーに左手を据えながら。
「どうしたの? 怒ってるわね」運転席の開いていた窓から、リサが言った。
「あなたが電話したのは、わかってるのよ!」子どもたちが乗っているにもかかわらず、怒号をあびせるカレン。自分のようすに、リサは窓をしめてしまったが、カレンは《コココンッ!》と窓をたたきながら続けた。「お金がないって言ってたのに、どうして私しとおなじ車が買えるのよ!」さらに、《バン! バン!》とドアをたたいた。「あなたは、とんでもない嘘つき人間ね」校舎のげんかんで呆然と見物している父母たちなど、おかまいなしに。
「子どもたちがいるのよ……」カレンをみあげながら、リサが言った。
「もう、わたしたちに構わないでッ!」すると、カレンの後ろから「こっちへ」と、四十代くらいの女性に止められた。
「印象がわるくなるわ」その女性が言った。リサの車が走りさると、いったん、じぶんの車にカレンを乗せてあげた。彼女は、新学期のときにカレンの赤いワンピースについて、“揃えてきたんですか?” と話しかけてきた人物である。
「あんなふうに怒鳴るべきじゃなかった」助手席で目をとじながらカレンが言った。「見苦しいとこをみせてごめんなさい」
「まあ、良くはないわね」ブロンドの少しぽっちゃりした女性は言った。「でも、マネされたら私しも怒るわ」財布から名刺をとりだすと、となりのカレンに手わたした。
「弁護士?」とカレン。
「いい人よ。従業員の身辺調査を頼んだことがあるの。用心のためにね」
“何かあったら彼れに相談してみるといいわ” と言われたカレンは、それを心にうけとめ、校舎を後にするのであった。
この街ちに雪らしい雪はひとつも見られないが、マイルズ(六)の通っている校舎のまえには、イルミネーションがチカチカと光るツリーが置かれており、屋根につけられているダウン・ライトの照明が、入校してくる家族たちをあたたかく歓迎していた。今まさに、その教室のなかでは、子供たちによるクリスマス・コンサートが開かれているのだ。教室の前がわには列をなした子どもたちがおり、その父母たちは後ろがわにならんでいる。肘かけのない凭れイスにすわって。教室のなかは、けっこう、きつきつ状態になっているが、その歌を聞いている父母たちはみんな顔がほころんでいた。なにせ、小さな天使たちがサンタさんの帽子をかぶりながら、『ジングル・ベル』を唄っているのだから。が、そこにはエリオットの母親——あのリサもとうぜん参加していた。あいかわらず、派手なイヤリングに豹柄のジャケットを羽織りながら……。そして、ときたま見遣るのだ。うしろの少しはなれたカレンのほうを……。すると、目が合ってしまったカレンの表情がくもりだす。この人さえ、いなければ——と思いながら……。しかし、カレンをみやっていたのはリサだけではなかったのだ。なぜか、ほかの奥さんたちからも白い目がカレンに向けられていたのである。そんなストレスにさらされているカレンの姿をみて、リサはたいへんご満悦そうであった。
クリスマスの催しがおわると、カレン親子はそうそうと駐車場にもどってきた。夫のスコットは鈍感で気づいてはいなかったが、共感スキルのいじょうに高い女性の脳は気づいてしまう。あそこには誰れひとり、自分を信じてくれる人など いないということに……。
「だいじょうぶか?」マイルズを車にのせると、立ち止まっているカレンにスコットがちかづいた。
「リサがわたしと同じ車にのってきたの」腕をくみながらカレンが言った。「だから、学校まえで どなった」
「それは、まずいな」とスコット。
「わかってるわ」いらだちが滲みでているカレン。
「きっと、それもリサの策略だよ」
「ごめんなさい。でも、つねに何かたくらんでいると思うと、気が滅入ってしまうわ」
スコットはカレンの両うでをささえて言った。「だからこそ、ぼくたちは団結しないとダメだ。人まえで怒鳴らないようにね」と、やさしくたしなめ、そして、カレンをあたたかく抱きしめた。
暗いよみちをとおって帰宅してきたカレン親子。
「っ!? なんだ?」徐行運転をしながらスコットが言った。家のまえには、側面に『POLICE 911』と書かれてあるパトカーが停まっていたのだ。
「冗談でしょ?」眉をひそめたカレン。なぜか玄関のまえに警官が二名たっている。背の高い男性と、その横についている女性。おそらく、ついさっきやってきたのだろう。ドアをノックしていたから……。帰宅してきたことに気づいた警官たちが、こちら側に歩いてやってくる。
「モーガン夫妻ですね?」男性警官が言った。
「ええ、いったいなにがあったんです?」眠たそうにしているマイルズを抱きかかえながら、スコットがきいた。
「奥さまに接近禁止命令がくだされました」と男性警官。「ビーズリー(リサ)さんや 彼女の家に接近すると、逮捕状が発行されます」決定書をカレンに手わたした。
「庭には出られるの?」スコットのとなりに立っているカレンがたずねた。
「三〇メートル以内に彼女がいたら無理よ」女性警官が言った。
カレンは、また打ちのめされてしまった。学校では息子の育児放棄をうたがわれてしまい、あげくには、自分家の庭ですら自由につかえなくなるという……。それもこれも、ぜんぶ、裏に住んでいるあの女のせいだ……。リビングのカーテンからチラッとコチラを覗き見しているあの女。なんでもかんでもカレンのマネをしてくる目立ちたがり屋で、病的なほどの虚言癖をもっている忌々しい女——リサ・ビーズリー。
嫌がらせがどんどんエスカレートしてくるリサに対して、ついにカレンとスコットは動きだす。あのとき、カレンに紹介してくれた女性のアドバイスを思いだし、その名刺をとりだした相手の事務所へと——
弁護士に助けを求めて——。
第四章:埒外な隣人
「どのようなご相談ですか?」質素な個人事務所をかまえている五十代くらいの弁護士が言った。アットホームのような自室にはカレン(三十代)とスコット(四十代)が訪ねてきており、木造の小さなデスクをへだてて、今、彼れらの対応をおこなっている。
「どうしたらいいか分からなくて」スコットの左どなりに座っているカレンが言った。「隣人とのトラブルをかかえてるんです」カレンは警察から渡された決定書を手わたした。
「ん……なるほど」と、チェックのはいったブルーのワイシャツに、ダーク・ブラウンのベストを着た、男性弁護士。「車を襲ったんですね?」
「あ……リサに どなったわ」黒のタートルネック・セーターを着ている——アラビア海よりの濃い顔をした——しとやかそうな美人のカレン。「でも、手はだしていません」その間、弁護士はコーヒーをすすっていたが、カレンはつづけた。「マネばかりされて、追い詰められてたんです」右どなりで少し緊張している——黒いスーツすがたの——スコットにチラッと一瞥をやった。
「家族ぜんいん、所有地へは立ち入り禁止……息子さんがいるんですね?」と、“サイモン・ベイカー” のような金髪の髪型をしている弁護士。
「“マイルズ” です。ときどき、リサの娘に子守りを……」とカレン。
「それはやめないと」すぐに頭を起こした弁護士。「家には立ち入り禁止だからね。とくにカレンさんは彼女に接近できない」
「こちらもリサを接近禁止にできませんか?」“ユアン・マクレガー” ふうの面持ちをしたスコットが言った。「嫌がらせを受けてるのはこっちなんですから」
「ん……」じぶんの後頭部を掻きだした弁護士。「接近禁止命令を申したてれば、意見のくいちがいの記録になる。……状況は変わらないでしょう……」
「あんな嫌がらせを受けたのにですか?」不安げな顔のカレン。「アクセサリーや服装や車まで、マネされたんですよ!」
「ですが、違法じゃありません」と冷静に弁護士。
「何もできないってことですか?」スコットがきいた。が、弁護士に“ 現状は命令にしたがって生活するしかない ”と言われるのであった。でなければ、そうそうに引っ越してしまうという手もあると……。ただ、どうしても離れたくないというならば、リサの嫌がらせ行為をこまかく記録しとくこと。行動がエスカレートしたら手をかすと言われて、カレンとスコットは悔しいおもいで事務所を後にするのだった。
その後、送迎バスの停留場でカレンは申し訳なさそうに息子の子守りをことわると、リサの娘のアリー(一二)——“ジェニファー・ローレンス” ふうのブロンドの子——は、ざんねんそうに弟のエリオット(六)をつれて帰っていった。そのすぐ近くにいた息子——あったかそうなダウンジャケットに、ニット帽をかぶっているマイルズは、なんだか寂しそうにアニーとエリオットの背中を見おくっていた。そして、理由をたずねるこもなく、モコモコのボアのコートを着たカレンの手をにぎって帰っていくのであった。
それからというもの、カレンは自宅で仕事をするようになっている。いまだ学校のクラスでは、育児放棄をうたがうような空気が張りつめていたため、リモート・ワークに切りかえざるをえなかったのだ。それに、子守りだってもう頼めない……。
《コンコンコンコンコン》カレン家の玄関ドアがたたかれた。ノート・パソコンとコーヒーと資料の置かれたダイニング・テーブルで仕事をしていたカレンは、席をたってドアのほうへと向かっていく。今度は《ココココココ コン》と、急かすようにノックをされた。いったい誰れだろうと思いつつ、白いロング丈のカーディガンを着たカレンは、ドアをあけた。目の前に立っているのはスージー(三十代)だった。ニコニコと愛嬌のある——子どものころの “ジャスティン・ビーバー” に近いような目をしながら、カレンをみつめている。そして、ブラウンのスパイラル・パーマをふわふわさせながら、左手にもっていた携帯をみせてきた。
「おはよう。どうしたの?」カレンがきいた。が、スージーは黙ったまま携帯の画像を指ししめす。それは、ガレージの設けられた、立派な住宅だった。ただ……その黒いシャッターには赤い文字で、それも大きく目立つように “B i t c h” と描かれてある。「……それはなに?」訝しげにたずねたカレン。
「リサの家よ……」とスージー。
「え、わたしの仕業だと思ってるの?」と怪訝なカレン。「昨日はスコットと家にいたわよ」
「リサが予想してた反応ね」タイトなブルーのデニムに、ピンクの半袖 Tシャツ、その上にオフホワイトのミリタリー・シャツを羽織った——カジュアルな格好をしているスージー。カレン家のむかいに住んでいて、リサの虚言癖についても知っているはずなのに——カレンの味方だと思っていた彼女が、まるで態度を翻しているではないか。「わたしは巻き込まれたくないの! こういうこと、止めてくれない?」
「わたしが落書きするはずないでしょ! どうせ自分でやったに決まってるわ」とカレン。
すると、吐き捨てるようにスージーは言った。「そんなの信じられないわ。はやく謝るべきよ」そして彼女はもどっていった。
《——ッバンッ!——》カレンはつよく、ドアをしめた。これで心をゆるせる身近なママ友は、もう一人もいない……。
あ の 埒 外 な オ ン ナ の せ い で ……。
給料の入ったカレンは今、不動産業の事務所から帰宅するところである。が、そのまえに、彼女はドライブ・スルーに立ち寄っていった。めずらしく、チーズ・バーガーが食べたくなったカレンは、家族の分までドリンクも追加して購入すると、それを溢さないように助手席においた。そして、香ばしく旨そうなにおいが車のなかに瀰漫するなか、自宅へとシルバーのベンツを走らせていく。……ん!? みどりの生垣が両サイドにある細い T 字道路まで走ってくると、三〇メートル先には、あのリサがいるではないか。娘のアニーとならんで、左から右へと歩いてわたっているのだ。それを目撃したカレンは、徐行運転でゆっくりと進んでいく。どうやら、道をわたりきってくれたようだ——と、そのときだったっ!! なんと、生垣の死角からリサがとつぜん飛びだしてきたのだ! ハッ!——と目をおおきく剥きだすカレン。《——ゴンッ!——》という、にぶい音をひびかせて、右から現れたリサが倒れだす。
「ウソでしょ……」と呟き、すぐに車を止めたカレンは、リサのところへと駆けよった。「リサ、だいじょうぶ?」
「カレン! おねがい、来ないでッ!」芝生にたおれているリサが、オーバーリアクションで叫びだした。どうやら、その声はカレン家のむかいに住む、スージーにも届いていたようだ。十字の桟がついたフィクス窓のカーテンから、チラッと彼女がのぞいている。
「足をみせて! 立てる?」リサを心配するカレン。
「あなたがわざと轢いたのよ——!」近所じゅうに聞こえる声でリサは言った。「アニー、警察をいますぐ呼んでっ!」
「待って! だめよ」アニーにストップの合図をだすカレン。しかし、アニーは泣きべそをかくような表情でスマホをとりだした。
「アニィィ——ッ! よこしなさいッ!」娘からスマホを奪ったリサ。「ぜんぶ、警察に話してやるわ。もしもし——」
カレンは憮然とした表情で小さくつぶやいた。「……ウソでしょう……」と。こちらのようすを窓から覗いていたスージーをみやると、彼女はすぐにカーテンを閉じてしまった。まるで “わたしは何もみてません” とでも、言っているかのように……。
そして、その夜——。
《——ココ コン!——》
「よかった。これで話しがすすむ」玄関のドアをあけたスコットが言った。
「ちょっと入らせてもらいますよ」と男性警官。その横には女性警官も同行していた。
「ええ、どうぞ」と、家にまねくスコット。
「カレン・モーガンさんですね?」と男性警官。
「ええ」スコットのとなりにいるカレン。
「あなたに逮捕状がでています。うしろを向いてください」涙目になっているカレンの腕に、男性警官は手錠をかけた。
「あなたには黙秘権がある……」女性警官がミランダ警告をつげると、呆然としているカレンを連行していくのであった……。
「カレン——! 弁護士に連絡して釈放させてやるから心配するな! オレも署にいくから!」
————————
最終章:頑強な真実
「はーい、来たのね」ついさっき釈放されたカレンが言った。あれから勾留所で一夜を過ごすはめになったため、勝手のちがう環境のせいで、たいそう彼女の表情は疲れきっていた。「どうして、マイルズも連れてきたの?」
「子守りがいなくて……」カレンの腕に片手を添えながら、夫のスコットが言った。その左どなりにマイルズがいる。
警察署のフロアにいる家族のまえに、フォーマルなスーツを着た背のたかいアラン弁護士(五十代)がやってきた。以前、接近禁止命令を受けたときに相談していた弁護士である。
「どんな状況ですか?」カレンがたずねた。
「相手側は殺人未遂を主張してきてる」とアラン弁護士。
「そんな……どうかしてるわ。わたしは何も……」ひどく残念そうなカレン。「これから、どうなるんですか?」
「……」家族を順番にみやってアラン弁護士は言った。「最悪、懲役一〇年の実刑も考えられます」
ショックのあまり、カレンもスコットも動揺をかくしきれないでいた。「目撃者がいるわ」とカレン。「むかいに住んでるスージーが見てたの。きっと、証言してくれる」
が、アラン弁護士はすでに近所の目撃者がいないか連絡をとっていた。その結果が……「“証言できない” と言われましたよ」
カレン親子の味方をしてくれる近隣の住民は、だれひとり、現れなかったのだった……。近所じゅうに聞こえるくらい、リサの芝居じみた咆哮の叫び声がひびいていたのに……だ。
《ドドド ドン!》カレンは玄関をノックした。「スージー! 話しをさせて!」ドア越しから大声でよびかけた。《ドドド ドン!》
すると、スージーの姉がドアを開けた。その諸相をみるかぎり、彼女もカレンの身に起こったことを周知しているといったかんじだ。「スージーはいないわ」
「そこに車があるわ」とカレン。
「……彼女は話したくないのよ」とスージーの姉。「ごめんなさい」
「理由をおしえてくれる? リサがイカれた女だって証言できないから?」声をあげて言った。「刑務所に入るのよ? 証言してくれれば私しは助かるわ」カレンは左がわのフィクス窓から覗いてるスージーをみやった。「いるんでしょ?! せめて話しを聞いてよ!」
すると、玄関からスージーが現れた。「ごめんなさい。証言はできないわ」
「一〇年も刑務所で暮らすことになるのよ?」情にうったえるようにカレンは言った。「マイルズの成長を近くで見れなくなる……おねがい、真実を言って」
「……リサが何をしたかはわかってる」スージーはつづけた。「でも、彼女の標的になりたくない。家族をまもらなきゃ」良心よりも家族をえらんだスージーは、悲しげな顔をしているカレンを憐れむようにドアを閉めたのだった……。
「精神疾患のひとつです」アラン弁護士の事務所を訪ねていたカレンが言った。「“演技性パーソナリティー障害” とよばれてる」味方が近所にいないとわかったカレンは、リサの特徴にあてはまる疾患をしらべていたのだ。「“彼れらは自分に注意を惹きつけようとして、虚言をおこなう傾向がある。ときには被害者をよそおって、芝居がかった表現もみられる”」じぶんの i Pad に表示されている公式文章を読みあげていくカレン。「“そのために話しをつくり出したり、騒動を起こすこともある”」i Pad をとじた。「まさにリサの特徴とおなじだわ」
「これを武器にたたかえませんか?」と隣りのスコット。
「調べてみましょう」メモをとっていたアラン弁護士。
「わたしたちの前に住んでいた家族に話しをきいてください」とカレン。
「しかし、法廷でリサがその疾患をかかえていると証明するのは難しいでしょう」とアラン弁護士。
「彼女はあきらかに異常だ」まゆを眉間に寄らせながらスコット。
すると、まえのめりになってアラン弁護士は言った。「陪審員に、それを訴たえればいい」と——。
《——ガチャ——》裁判所の開き戸がひらかれた。入ってきたのはフォーマルな身なりに整えているビーズリー親子である。むすめのアニー(一二)に、夫のダン(五十代)、そして、あのリサ(四十代)。ゆっくりと徐行運転していたカレンの車に、みずから体当たりをしときながら、被害者づらを平然と演じている埒外の女である。というのも、あきらかに無傷でしょうと思えた状況だったのにもかかわらず、リサの左足には膝ちかくまであるギプス・シューズが嵌められているのだ。……んな、まさか……である。その三人の親子はまっすぐ歩いていき、傍聴人たちが両サイドに座っているエリアをすすんでいく。とちゅう、夫のダンとアニーは、右がわの傍聴席にすわりだし、リサはさらに進んで右にまがると原告側のほうに着席した。空間をへだてて、その左どなりにある被告側のほうには、すでにカレンとアラン弁護士もすわっている。夫のスコットは後ろの傍聴席に。カレンと弁護士が座っている被告側のななめまえには、一二人の陪審員たちが横むきで座っており、いちばん奥の正面には、ガベルが置かれたデスクにすわる裁判官がいるのだ。とても厳かなおももちで。
そして、ついに始まる。
リサへの殺人未遂を問う—— 裁 判 が。
「陪審員のみなさま」左の壁ぎわにすわっている陪審員たちの前で、“サイモン・ベイカー” ふうの髪型をしてるアラン弁護士が言った。「ほんじつの争点は、こちらのカレンさんが原告を殺そうとしたかです」カレンのほうを指したあと、アラン弁護士はつづけた。「カレンさんは否定していますが、原告は殺人未遂を主張しており、水掛け論になっています。ですが、カレンさんは殺人を企ててはいません。それどころか、あれは事故でもないのです。彼女は信頼できる誠実な人物です。以上です」カレンのとなりの席にもどっていく。
「いまの発言からわかるように——」今度はリサがわの弁護士がしゃべりだした。歳はまだ三十代くらいだが、その顔はこれまでの実績からくる自信で満ちていた。「——彼れらは単なる水掛け論だとかんがえています」陪審員たちのところで立ち止まる。「しかし、これは罪のない人への一方てきな攻撃なのです」リサのほうを指して言った。「ビーズリーさんは、あたらしい隣人を温かく歓迎していました。ご近所に彼れらをしょうかいし、娘さんは被告のために子守りをしていたのです。リサさんが示したのは友情と信頼です」カレンの視線は弁護士に留まっているいっぽうで、リサはカレンのほうをみやっていた。リサの弁護士はつづける。「しかし、被告はそれに暴力でこたえたのです。カレン・モーガンは」と彼女を指した。「以上です」
「ビーズリーさんがわざと車にぶつかってきたということですね?」裁判官のよこに設けられている証言台にすわったカレンに、アラン弁護士が言った。カレン側からみて、右ななめまえに陪審員たちが聞いている形である。
「そうです」カレンがこたえた。「わたしは飲みものを 溢さないように徐行運転していました。加速などしていません」
「質問は以上です」とアラン弁護士。すると、リサの弁護士が立ちがる。
「カレンさんには原告にたいする攻撃的な行動パターンがあるようです」カレンの前まで来て、弁護士は言った。「幼稚園の駐車場で、原告の車をおそいましたよね? それも、子どもたちが車内にいる状況で」
「おなじ車を買われたので腹をたてました」弁護士の目をみてカレンは言った。「一度しかありません」
「あなたの育児について、学校に電話がはいったそうですね。それを証拠もなく、ビーズリーさんだと うたがっていた。つまり、車をぶつける動機があったということです」
「電話は問題視されませんでした」
「そうですか。でも、だれかが息子さんのことを心配して電話を入れたのは確かです。しかし、あなたはご自身の育児を省みるどころか——」リサのほうを指して弁護士はつづけた。「証拠もないのに決めつけた。彼女の標的にされてるとね」
「あなたも勝手に決めつけてます。わたしは息子を愛しているわ。隣人のスージーに——」
「スージー・マリーノさんですね?」弁護士がさえぎった。「しかし、彼女は証言しないそうです。質問は以上です」裁判官をみやって弁護士はもどっていった。
カレンもじぶんの席につくと、つぎはリサの番である。映画『永遠に美しく』に出ていた “メリル・ストリープ” のような風体で、我が強そうなのが全然かくしきれていないのだ。そんな女が立ちあがると、テクテク…と歩いたところで座りだす。さきほどまでカレンが座っていた——証言台に。
「あなたとモーガンさん(カレン)の——以前の関係性はどうでしたか?」アラン弁護士がリサにたずねた。
「数ヶ月まえから嫌がらせを受けていました——」とリサ。
彼女がまだ証言しているなか、スーツ・ジャケットを羽織っているアラン弁護士が立ちあがると、開いていた二ボタンの一つを閉じだした。そして、リサのほうへと近づいていく。
「——おなじ服を着たり、わたしを孤立させようとして……そして、駐車場でおそってきたんです。子どもたちがいる前で」いかにもらしく。
「車の窓をたたいた他に なにかありましたか?」とリサの前に立ったアラン弁護士。
「どなってきました」
「そうです。彼女はどなった」アラン弁護士はつづける。「それはモーガンさんも証言しています」カレンを指した。「事実の確認がしたかったのです。それでは、もう一つ確認させてください」リサをみやって言った。「……“パーキンソン病” というのは本当ですか?」
「……」リサは言った。「検査は——」
「そのまえに」ストップの合図をだしたアラン弁護士。「法廷で証言すると、診断書の提出命令を出させてもらいます。では、あらためて——あなたは “パーキンソン病” を患っていますか?」
「……いいえ」とリサ。
「では、“全身性エリテマトーデス” を患っているんですか?」
「……いいえ」視線を落として言った。
「なるほど。病気を偽っていたということですね。質問は以上です」悔しい目つきのリサをみやりながら言ったアラン弁護士は、じぶんの席へともどっていった。
「あなたは隣人と仲良くなるために努力をしていましたよね? それを教えてください」リサの前に立った弁護士が言った。
「はい。彼女が引っ越してきたときに、祝いのワインを贈りました。新学期が始まったときは、パーティーにも家族ぜんいん呼んでいます」とリサ。
「あなたから見て、彼女はどのような友人でしたか?」
「生涯の友人になるとおもってました——」
よく言うわ——と思いながらカレンは黙って聞いている。
「——でも学校に電話したと疑われて車を襲われたので、身の危険をかんじて接近禁止命令をおねいがいしたんです。家族を守るために」夫のダンに悲しげな視線をおくられているが、リサはつづける。「そしてあの日、カレンは車で……まさか、あんなことを……」泣き顔で話しているが、彼女の目からはいっさい涙は出ていない。まして、潤んですらいないのだ。それでも、リサはつづけた。「ごめんなさい……あの日、交差点で見かけたときは、まだ距離もあって速度もゆっくりでした。だから、渡れると思ったんです。そして、アリーと道をわたっていたら、カレンがとつぜん速度をあげてきたんです……」瞼をとじて、いかにも辛そうな顔で。「轢かれたことも、すぐには分からなくて……自分でぶつかるはずがありません。だって、いまは運動も階段をあがることもできないんですよ。こんな苦痛をうけてまでやると思いますか?」
「わたしも疑問です」陪審員をみやって弁護士が言った。「以上です」
ん〜……これはまずい……。印象づけのうまいやり手弁護士に、それらしい小芝居の演技がうまいリサ。初見の陪審員たちは、リサの正体を知らないのだ。ぜんぶ、ウソの演技だということに……。そして、彼女のことを信じはじめているようだ……。
その空気感は、うすうすカレンも感じとっていた。たまらず首をうしろのほうへとひねりだし、眉をひそめながら頭を振っているスコットをみやっていた。ハァ…と深いため息をもらしながら……。
「アリー、つらいだろうけど聞かせてくれないかな?」証言台にすわったアリーのまえで、リサの弁護士が言った。
「モーガンさんが車で わたしのママをひいたんです。」とアリー。
「それで?」と弁護士。
「ママが足を骨折して怖くなりました。ママはやめてと叫んでたわ」
「ありがとう。以上です」
こんどはアラン弁護士の番である。よこにいるカレンに一瞥をやると立ちあがり、また、スーツのボタンを閉じだした。「とても怖かっただろうねぇ」
「……」目をそらすアニー。
「病院へはいっしょに行きましたか?」
「……いいえ」
「では、弟さんのそばにいたんですか?」アニーに近づきながらアラン弁護士。が、アニーは答えられないでいた。「お母さんは一人で病院に行ったんですか?」アニーのまえで立ち止まる。
「いいえ、行ってません」うつむきながら、アニーはこたえた。
「では、誰れが手当てを?」
「わたしのパパよ」
「医師だったんですか?」
「パパは医者じゃありません」
「そう。もう一つおしえてくれるかな?」アラン弁護士は急所をついていく。「事故の前は、どこに?」
すると、原告がわにすわっているリサの血相がかわりだした。
「……家です」と不安そうにアニー。
「出かけるところだったんですか?」
「いいえ」また目をそらしたアニー。
「じゃあ、散歩に? 車が来るまえ、何分くらい角に立っていましたか?」
「……」アニーはママのほうをみやった。「二〇分くらいです」
「二〇分もいったい何をしてたんですか?」
「……」アニーは答えられなかった。すると、うしろからリサが言った。「母と娘がする会話だけですよ」
すると、たちまち《カンカンッ!》と木槌を鳴らし、裁判官が言った。「ビーズリーさん、お静かに!」
「アリー」アラン弁護士はつづけた。「二〇分も何をしてたか教えて?」
「……」アニーはたすけを求めるように、ママのほうをみやっていた。が、アラン弁護士にさえぎられてしまった。
「アリー?」アラン弁護士が言った。
「待っていました」目をそらしながら、アリーがこたえた。
「なにを?」とアラン弁護士。「どうして?」
「……」すこし長い沈黙がながれたあと、ついにアニーは言った。「ママはモーガンさんの車を待ってました……車にぶつかるために……」
その瞬間、カレンの表情にホッ…としたような安堵が浮かびあがるいっぽうで、リサは アァ…と憮然のようすで遠くをみつめていたのだった——。
「決着がついてうれしいよ。これで、ようやく前に進めれる」自宅にもどってきた夫のスコットが言った。彼れはいま、リビングのロー・テーブルに置かれたフルート・グラスに、シャンパンを注いでいる。次いで、カレンの分にもそそいでいく。「新たなはじまりに」片ほうをカレンに手わたした。
「この窓が懐かしいわ」リビングのカーテンを触わりながら、カレンが言った。裏に住んでいるリサの監視を避けるために、明かりでも透けないタイプのドレープ・カーテンに変えていたのだ。
「これで、もう自由だ」カレンのグラスにカンパイをしたスコット。そう——カレンは “無罪” に決まったのである。そして、グイッとお互いシャンパンを一口すすっていく。そのあと、カレンはカーテンをチラッと開けてみた。すると、おなじくらいのタイミングで、裏に住んでいるリサもチラッと覗きだす。たがいに相容れないものどうしが、見つめあっているじょうたいだ。
カレンはカーテンを閉じて言った。「……彼女は、また繰り返すわ」スコットをみやって。……ハァ……と、ため息をつくと、カレンは決意をかためたのだった。
この街ちを——
近所に埒外の女がいるこの家を——
手ばなすことを。
家 族 を 守 る た め に ……。
それから、まもなくカレンの家は売られることになり、あたらしい四人家族が住むことに決まったのだった。四十代くらいの仲いい夫婦に、十代の活発でげんきな姉弟たちが。
しかし、彼れらは まだ知らないのだ。これから自分たちに降りそそいでくるだろう 火の粉のような事態を……。すぐちかくの裏に住んでいて、昼間にもかかわらずワインをすすりながら、これみよがしな花柄のブラウスに、真っ赤なロング丈のガウチョ・パンツを身にまとっている——二階のバルコニーからこちらを窺っている——
リサの存在を……。
彼れらは、まだ知らないのだ……。
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——おわり。
「本心を偽るためだけに 言葉を使うものがいる」
哲学者 ヴォルテール
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第四章:埒外な隣人(おまけ)
寝室のベッドで横になりながら不安そうに待っている女がいる。キレイに染められたプラチナ・ブロンドをシニョンのようにまとめて、四十代とは思えないほどハリのある豊満な谷間をさらす——白いスリップ・タイプのランジェリーに、あわいピンク色のサテン・パジャマを羽織った——あのリサが。
《——ガチャン——》スコットに話しがあると呼ばれていた夫のダンが帰ってきた。頭は “ジェイソン・ステイサム” のようにみじかく、“渡辺 直美” ふうのおももちをした、五十代くらいの小太りな男性が。
「おそかったわね、あなた」起きあがったリサが言った。
「まだ、九時半だろ」疲れきった顔でリサをみやったあと、ダンは寝室とつながっているユニット・バスのほうへとむかって、洗面台の明かりをつけだした。
「……それだけ?」いぶかしげに。
「はぁ……カレンは “何もしてない” と」ズボンの外にだしているワイシャツのボタンをはずしながら言った。それは今朝のことで、リサはじぶんの息子——エリオット(六)をつかって、カレンの息子——マイルズ(六)を庭に呼びだし、その瞬間を自宅のバルコニーから携帯で撮影していたのだ。接近禁止命令をやぶっているという様子をおさめたくて……。それをスコット(四十代)も目撃していたため、この異常ともおもえる行動に心あたりはないかと相談されていたのだった。
「……それは驚きね」うつむきながらリサ。
「“キミはウソをついている” と」頭をリサのほうにむけて、ダンは言った。
「もちろん、庇ってくれたわよね?」すぐに洗面台に顔をもどしたダンをみやって、リサは言った。
「“昔からキミはそうだったのか?” とも聞かれた」あきれ顔のダンは、ユニット・バスのとびらをガチャンと閉めた。
すると、とり乱すようにリサがベッドから立ちあがると、頭を掻きながらダンのほうへと歩いていく。「ダン、へんなこと言ってないわよね?」かなり動顚したようすで。「余計なことは言わないで!」怒声で言った。
すると、ガチャンと扉がひらいた。リサのほうへと近づいて、ダンは言った。「言うわけがないだろ。だけど……」
「……ダン?」とリサ。
「何度もこんなことがあっただろ?」けわしい顔で。「カレンの家に住んでた人たちと」
「彼女を信じるの?」リサは悲しげにきいた。
「なんだって?」まゆをひそめたダン。
「わたしより、あの狂った女をしんじるの?!」ダンを両手で突きとばしたリサ。すると、急に我れにもどりだす。「ごめんなさい、わたしが悪かったわ……」じぶんの髪みをさすりながら、彼女は泣きだした。
「……いや、だいじょうぶだ」安心させようとするダン。
「カレンのほうがいいのねぇ。わぁ〜、わたしを捨てるんでしょ?」はげしく情緒が不安定なリサ。
「捨てるわけないだろ」とダン。
「おねがいだから、わたしを捨てないで……」泣き縋る。
「こっちを見ろ! 僕はキミを愛してる。キミを信じるよ」
そして、ふたりは互いの肉体をなぐさめ合ったのだった。
捨てられないと安心したリサは、このあと深夜に部屋をぬけだし、自分家のガレージに落書きをするのだ。
—— “B i t c h” ——と。
自分のことを、よくわかっているではないか——。
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