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西宮神社の神さまと神仏の役割と若さの話

雪渓寺のすぐ隣、秦神社の敷地内にある神社。

神社とは対照的に煌びやかな建物のお寺。33番札所なので参拝者も多い。

が、ほぼ全員、隣の神社には見向きもせずに帰ってた。


(なんで、お寺には行くのに神社には行かないのかなぁ…真横なのに。)

「人間が仏を信じるのは、自分の非、罪だと感じていること、後ろめたさを無意識だったり意識的にすがりたいと願っているから。

仏の役割は、人間に赦しを与えること。神の役割は、人間に憑依したものを断つ協力をすること。

人間の神のイメージは間違っている。人生において魂が成長し前進していくためには、憑依を断った方が良い。その魂の成長を協力するのが神の目的だ。

神の加護を受けるか、神の加護を受けないか、それは人間の自由だ。

ただ、神を敬遠しているのに自分の都合で神を利用する人間もいる。

それは怠慢というものだ。」

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(はい…。でも若い時って経験も少ないから、欲深かったり我儘だったり自己中心的だったりってあるんじゃないですか。)

「人間は【若さ】というものに甘い!若いからという考えは許しを乞うているのと同じだ。」

(たしかに!!言い訳のように【若いから】って使ってる!)

「若いから、そういった思考や捉え方になるというのは思い込みだ。人生の過程ではあるが、理由にはならない。

【若さ】は人生の成長途中というのは思い込みだ。

人生は必然しか起こらない。それぞれの人間が多く抱えている課題を行なっているにすぎないのだ。」

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(でもこの世は、陰のエネルギーも当然に存在しているじゃないですか。ある程度の年齢になると自分で整える術を身に付けられるけど、例えば年齢的に自立していない子どもでも憑依されることはある。でもそれは親に学びや気づきを与えるためって聞いたけど、それが必ずしも必要なことなの?)

「よく気づいたな。

確かに、子どもは親に気づきを与えるために生きている。だから憑依が必然な場合がある。が、そうじゃない場合もある。」

(え、なぜ?)

「地球のバランスが崩れてしまったためだ。

親が子どもとコミュニケーションを取ろうとしても取れない時、意思疎通が難しい時、憑依を祓うために神社を頼ることも必要だろう。」



秦神社
〒781-0270 高知県高知市長浜857−1
https://goo.gl/maps/4JKn944ZZRFGQ5rx9

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nico
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