見出し画像

『砂を並べ生きる(PT)』解説

序文。言葉、そしてコミュニケーション


他者と言葉を交わすとき、そこには必ず『受け取り方』という乖離ができ、理解への溝が生まれる。そしてそれは時として互いの断絶を生み、伝えたかった事は虫食いの穴が空き、意味の通じない文のようになってしまう。
だが、そこでお互いがコミュニケーションという歩み寄りを行うことで、その溝を少しずつ狭めることができる。
そのコミュニケーションの濃度が上がったとき、互いの溝は解消され『伝わる』ようになるのだ。

今回の作品はコミュニケーションを第一テーマとして作成したものである。


文の断片が二枚ある理由(PTS1)

PTS1(手刷活版作品シート1組)

物語は、このままでは意味が通るものとして読むことができない仕様になっている。
二枚の断片は私でありあなたである。
先に述べたとおり、歩み寄りという行為(二枚を近づける)によって、重なった時初めて一つの物語として読めるようになるのだ。

透明なものに印刷されていたならば、合わせるのは簡単だっただろう。
しかし現実においての意思疎通は、そんな単純なものではない。受け止めるための試行錯誤や努力があってやっと実るもの。

それを実感してほしいがために、わざと二枚を重ねても後ろの文が読めない厚さの紙に印刷している。
「どうかメッセージを受け取る努力を試してほしい」
そう願っている気持ちのあらわれである。


小瓶に抽出された言葉(PTC1-1)

PTC1(小瓶 文とチップ)

一見無作為に入れられているような言葉と文字のチップ。
これは千差万別の受け取り方をあらわしている。
では、その受け取り方とはどんなものがあるのだろうか?

ある人は、文単位で読み取れるだろう。
だから中身は文としての体裁を保ったまま抽出されている。

ある人は、文として理解できた部分と、わからない部分がある。
その人にとっては分からない部分は『文字』という記号になって届いている。
だから中身は文章と文字チップとが混在して抽出されている。

同じような抽出の瓶がもうひとつ。
中身は同じく文章とチップの混在だが、その意味はまったく違う。
理解した……いや、少し違う。『自分の興味のある内容や部分』だけしか理解しようとしない、そんな人を表現している。

ある人は単語としては各々理解できても、文としてそれが繋がらない。
こういったことはわりとよくあるのではないだろうか?
だから中身は単語ばかりが抽出されている。

最後はチップしかない中身。
理解が覚束ないのか、それともまったく興味がなく理解しようとすらしていないのか。
その人にとって相手の発する言葉は単なる記号でしかないのだ。

PTC1(小瓶 チップ)

プレパラートに固定された事実(PTC1-2)

左 PTC1(プレパラート)

今まで私は受け取り方、すなわちその人にとっての内容の真実を述べてきた。
次は動かしようのない事実について、書こうと思う。

かみ砕いて説明するなら
「きれいな花が咲いている」
この言葉は人それぞれの真実と、曲げようのない事実が含まれている。
きれい
どんな花が美しいか。それは人によって想像するものが違うだろう。
だとすると、きれいな花が咲いているという真実は人の数だけ存在する。
つまり真実はひとつ! ……ではない。残念なことに。
しかし。
咲いている
これは、どうしようもなく曲げられない事実だ。
野花であろうが、花壇であろうが、はたまた水中花であろうが、花が咲いている事実だけは変わらないのだ。
つまり事実はひとつ! といえる。

ならば、その言葉は揺れ動かない。プレパラートに固定されて観測されるだけの自由しかないのだ。


活版と砂、という第二テーマ

手刷活版印刷を用いて描かれたこの物語のあらすじは

ある女が規則的に砂を並べて言葉を綴っているところへ、それに興味を持った男が話しかけたが、言葉や行動の受け止め方の差異により、決定的にすれ違ってしまう。

というものである。
この内容はもちろん第一テーマの『コミュニケーションの意味と難解さ』を示しているが、実はそれだけではない。

活版印刷(特に昔の)は文字がひとつひとつ単体で存在しており、そのままではあくまでも記号のひとつにすぎない。
それを規則的に並べることで初めて文章という大きなメッセージを持つ。
その行為は、この物語でいうところの『砂を並べて言葉を綴る』と同じではなかろうか。

わかりやすく言うなら点字、というものがある。
点ひとつを見るなら、それは一種類しかないものだ。
しかしその並びに規則性を与えることで、その複数の点は文字になり文章になる。
まさに砂を並べるに等しいではないか。


手刷活版と感情

機械式の活版に比べ、手刷のものには印刷文字にゆらぎ(文字の太さ・濃さなど)が出る。
ローラー式(ローラーを通すときの圧で押し出しながら印刷する)か、テフート式(全体を一度に押し当てた圧で印刷する)かによって印象が若干違うが、手刷ならではの味は変わらない。
では何故、私は手刷にこだわるのか。
私はどう転んでも詩人であり、心情の揺れなど不確かな内側を描きたいからだ。
印刷の揺らぎは心の揺らぎや不確かなこの現実という世界を表現するツールとして私にとても響く。


最後に

もちろん、鑑賞の仕方によってそれぞれの受け止め方、解釈の仕方があると思う。
各々の琴線に触れた部分がその人の真実なのだから、私のこの解説が唯一のものであるとは断定しない。
鑑賞してくださった方、読んでくださったかた、それぞれに起こった出来事や想いの中で、共感していただける部分があれば、それ以上の喜びはないと思う。
どうか何か心に響くものがありますようにと願いながら、私は今日も言葉という砂を並べるばかりだ。


■砂を並べ生きる(女)
PTS1
A5サイズ2枚組シート
(ニーナコットン・樹脂インク・手刷活版)

PTC1-1
小瓶詰めチップ
(小瓶・ニーナコットン)

PTC1-2
プレパラートに挟まれたもの

PTセット
PTS1+PTC1-1もしくはPTS1+PTC1-2

ご質問やご相談はこちらまで
神野へメール
kamino77miki@gmail.com

この記事が参加している募集

オンライン展覧会