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紹介したいnote記事「リア充」
冬月剣太郎 猫詩人🐈さんの「リア充」という記事を紹介します。
たとえば
秋の虫の音と小川のせせらぎに
魂をひたして味わう静謐
たとえば
聴衆が一人もいない独演会
誰に気がねすることもなく
自由気ままに演奏する満足感
たとえば
廃墟の時計台のように
おのれを徒(いたずら)に主張するわけでもなく
ひたすら刻 (とき) をきざみつづける沈黙の鼓動(ビート)
孤独に耐えられないくせに
孤独に限りなく憧れる
わたしのリア充
リア充をウィキペディアで調べると、次のように記載されています。
「リア充(リアじゅう)とは、ブログやSNSなどを通した関係ではなく、実社会における人間関係や趣味活動を楽しんでいること、またはそのような人を指す。『現実生活(リアル)が充実している』ということを『リア充』と呼んでいる」
更に詳しく見ると、以下の通りです。
自分のことを「ネット住人」と呼ぶような人が言うリア充な人というのは、「張り合いのある職業に就いている人」「独身なら恋人に恵まれている人」「既婚者なら暖かい家庭を築けている人」「昼食を一緒に楽しめる仲間がいる人」「週末を一緒に楽しめる友人が多い人」などである。(つまり彼らはわざわざ自虐するために、職業に就いていてもその職業に張り合いが無い場合、結婚していても家庭が暖かくない場合、仲間がいても昼食を一緒に楽しめるような仲間ではない場合、友人がいても週末を一緒に楽しめるような友人でない場合などはこの「リア充」に入れず、空想上の他者を妙に理想化し、自分で自分自身の嫉妬心や敵意を煽った。)
これを見ると、主に「人間関係が充実している人」を指しているように思います。占いをやっていましても、人間関係で悩む人は多いです。一人では生きていけない私たちにとって「宿命的な悩み」ですよね。
この詩において、詠み手は「私のリア充とは何か」を説明しています。「たとえば」と言う切り出しを3回使って、3種類の例を挙げています。
一つ目は、
「秋の虫の音と小川のせせらぎに魂をひたして味わう静謐」
まず、静謐(せいひつ)という言葉に目がいきます。「静」も「謐」もどちらも「静かな事」を意味し、静謐は「静かで穏やかなさま」を表しています。
どんな静謐かと言えば「魂をひたして味わう静謐」だと。「魂をひたす」と言う言葉は、どこか魅力的な響きがありますね。
この「ひたす」は、液体の中に浸けている状態です。何に浸けているかと言えば「秋の虫の音」と「小川のせせらぎ」です。どちらも、心地良い音として耳に届きます。
一般的に「ひたす」は、何か形のある物を水の中に浸ける状態です。人が浸けるとしたら「体」ですが、「身体」と書く場合もあります。「体」が肉体のみである事に対し、「身体」は心・魂も含みます。体は人にも動物にも使いますが、身体は人だけに使います。
この詩では、「体」でも「身体」でもなく、「魂」を使っていますので、人の精神的な部分を強調していると言えるでしょう。
二つ目は、
「聴衆が一人もいない独演会、誰に気がねすることもなく自由気ままに演奏する満足感」
音楽家の場合は、「聴衆に聴かせるため」に演奏します。また、音楽家であっても独りで演奏する事はありますが、それはコンサートなどで「聴衆に聴かせるため」の準備として練習するものでしょう。
しかし、この詩の演奏は「自分のため」にしています。あくまでも「自分の魂」のためです。
三つ目は、
「廃墟の時計台のように、おのれを徒(いたずら)に主張するわけでもなく、ひたすら刻 (とき) をきざみつづける沈黙の鼓動(ビート)」
ここまできて、気づいた事があります。この三つは全てつながっているようです。
おそらく詠み手は、秋の静かな夜に小川の近くでキャンプをしているのでしょう。静寂な空間に一人だけ身を置いていると、「秋の虫の音と小川のせせらぎ」が聞こえてきます。
それがまるで「音楽」のように聴こえたのでしょう。それは決して「激しい音楽」ではありません。「ひたすら刻 (とき) をきざみつづける沈黙の鼓動(ビート)」だったのです。
おそらく詠み手は、普段は煩雑な人間関係の中で忙しく過ごしているのでしょう。それ故に、時には「静謐」を求めて独りキャンプをする、そんな一時を切り取って詩にしたのかなと思います。
「孤独に耐えられないくせに、孤独に限りなく憧れる」
人は誰でも一人では生きられません。しかし、そばに「誰か」いる事でストレスが生じます。時には一人きりになって孤独を楽しみたい。そうする事で、また集団の中に戻る覚悟が出来る。
そんな心情を綴った詩ではないのかなと思いました。
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