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アタシというHSP【9】親子問題

<HSP同士でも分からない!>

とあるHSP女子のお話しに驚愕。
そしてアイタタタッと思ったのでその辺りの事を。

親子関係について。
彼女曰く、
『母もHSPテストにほぼほぼ当てはまるHSPだということが分かった。
同じHSPなのに、なぜ、自分だけがこんなに自己否定が強いのか…』
と。

更には、
『よくよく思い出せば、母と一緒に何かするというより、ひとりでやらされていた』
と。

もっと色々と話していたと思うのだけどこの一部を聴いて
(ぎょえー!ソレ、この前、次女と話したやつーーーーー!)
と自分の脳内で言い訳三昧を始めてしまって覚えていない。

ほんとにもー!
親がHSPならさぞやその子供たちは理解されて健やかに育ったのだろうと思われがちだけど、同じHSPであっても本当に色々なのでHSP親子だからといって分かり合えるとは限らない。

しかもこの『HSPという概念』を知っているのかいないのかによって育児期にものすごく違いがあると思う。

私はHSPを知って2年経たないくらいなので、自分の事どころか娘2人の育児中にも気づいてはいない。

もっと早く知りたかった。
HSPというだけでなく、その種類についても!
グラデーションがあるって事も!
と強く思わずにいられない。

なので今、『なんかウチの子と意思の疎通が出来ないなぁ』とか、『理解できない!』と思っている親御さんには、ぜひHSP/HSCについて知って欲しいと思っています。

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語れば長くなるので割愛するけれど、私と娘2人はHSPで、子育て中にしても、私と似ているこの子たちにはきっと分かるはずだと、結構早い段階から『世間の刷り込み VS 私たち』みたいな違和感について話していた。
『我慢は美徳では無い』とか言っちゃって、『無駄に我慢しても通用しない人、多し!』とも。

私自身もHSPとは知らなかったので元夫とは理解し合えないと思い離婚したのだけど、娘2人と暮らしていた時は最高に自由で楽しかった。
母子家庭だとか、仕事がキツいとか、相談の電話がやたらと来て寝る時間が足りないとか、そんなことより理解出来る者同士で暮らしているラクさが断然勝っていた。

とーころがどっこい、アラサーになった次女が一人暮らしを解消して(←正しくは『させて』ですね、親が全部解約して家に戻し、入院させたので)別人になって帰ってきた。
思い出したくも無いのだが、何がここまで彼女を落ち込ませたのかさっぱり分からなかった。
(もう生きられない?嘘でしょ?あんなに色々話してきたのに?)
って。

『私はHSPです』と言っても、ざっくり過ぎて説明になっていない…という事が分かる程、HSPという概念は広まっていないと思う。

これまた長くなるので割愛するけれど、この『HSPにもいろんなタイプが居るんだよ』っていう部分、本当に肝です。

私は洞察系で、HSS(刺激追求型)かと問われればそうでも無いが、負けられない戦いでは確実に勝てる。
静かに観察し、洞察を総動員して策を立てて一気にひっくり返せば大丈夫という根拠のない自信があった。

これはもう幼少期に『親というのは』とか『親なんだから』という期待を早々に諦めて、自分の絶対的な味方は自分だよねという、これまた根拠のない確信を持ったから出来たのだろうと思う。

子供なのにそんな考え方をするなんて相当辛い虐待にでもあったのではとか思われそうだけど諦め良すぎなのは前世譲りだと思っていて、孤独にめっぽう強い隠者、賢者、風使いに井戸守りなど、言われる過去生が全部『ひとりでなんとかする系』だったので自分的には納得しかない。
今世でいうなら、『理解する気のない人に説明する意味あんの?』的なやさぐれを幼少期から発動していた事になる。

よって、HSPの洞察系全員が孤独に強いとか、やさぐれている訳ではない(←当たり前)。

そんな私が『世間の刷り込みとは知恵で戦える』と刷り込んだ娘たちなのだけど(結局は自分も刷り込んだのだと後から自覚)、長女は私とよく似ている。

めちゃ観察洞察して、予想し、準備し、ここぞという時は戦闘能力が高い。
通称ハリネズミ。
小さくておとなしいかとおもいきや、一気に刺して来る。
…ので、てっきり次女もそうだと思い込んでしまった。

次女は、私と長女よりずっと友達付き合いも上手だし、積極的な印象で明るくよく笑う、言いたいこともスパッと言える子だったのに、アラサーで突如、
『自分は何も出来ない、生きられない』とは?
といつまでも混乱している場合ではないので、たくさん話しをした。

私が再婚したので自分を邪魔な存在だと思ってしまったのだろうかとか、多分すごく気を使っただろうとか、愛情が足りなかったのかもとか、手近な問題についてあれこれ話した中で、もちろんどれも当てはまりはするのだけれど驚愕したのは、「私はピエロしか出来ない」と言ったこと。

『場が暗いと息が詰まる。
自分の身を落としてでもみんなを笑わせたい(←お笑い芸人かよ感、分からんでもない)。
みんなと仲良く楽しみたい。
楽しませることくらいしか出来ないからピエロでいるしかない。
私は嫌いな人にも好かれていたい。
みんな普通に働いているのに続かない、頑張れない。
仕事が出来ないというより、出来ないのに平気でいる人を見ていて疲れる。
自分のいうことはいつもバカにされる。
強く言わないと聞いて貰えない。
私はママみたいに人を守れない(←いや、まず自分を守ってます!嫌な奴だと判断すれば秒で内心ディスってます!…という部分が子供には分からなかった模様)。
自分すら守れなくて情けない!』
愛情についても『明るくいる事で好かれる』という条件付きだった。

えーーーっ!!と引っくり返るくらいの驚きだった。
待て待て待て…、え?なんで?楽しそうだったよね?
友達も多かったよね?
しかも結構毒舌で言いたいことも言ってたよね?
ガッツリ反抗期やったよね?
高校生の時もひとりで横浜でラーメン食べて来るとか自由人だったよね?(当時電車で横浜まで2時間)
ん?どこでピエロだった?
どの場面?
困惑しつつも記憶を辿る。

確かに言いたいことを通したいときはやたらと怒っていた。
怒って自分を強く見せて主張してたってことか…。

次女は面白キャラだったので親族にせよ、周りがからかうような言い方をするという場面は多々あった。
周りはふざけたつもりでも次女は傷ついていて、自分はバカにされていると思ったんだ。
だから自分がどうしても通したい事については怒って主張しないと聞いて貰えないと結論付けたのか。

もっと幼少期に遡れば、次女はとても繊細で色んな事を気にしていたし、よく泣いた。
私は彼女の悲しみがどこから来るのかを説明したかなと考える。
ただ単に、「泣くと面白がって余計にからかわれるから泣くな」とだけ言いはしなかったかと。

元夫も姑も簡単に「この子は泣いて勝つタイプ」とか「卑怯」という言葉を使ったので、それに関して私は泣くのは悪いことではない事、卑怯ではない事を伝えたけれど、その場で怒ってかばうべきだったのかもしれない。
その話しをしたら、やはり次女は覚えていた。
「だから人前で泣かないようにすごく頑張ったけど泣いてしまうので情けない」と。

そして『明るくないと愛されない』については、体調不良だったりすると決まって友達なり彼氏なりに責められた。なんでそんなに弱いのか、なんでイラついているのか、いつもは明るくてふざけてばかりなのに!と次女の感情の起伏について否定されたのが大きかったと言う。

働けない、続かないとか色んな不安が混ざり、不眠となり精神を病んだ時、自分は発達障害なのかもしれないとか、脳に異常があるのかもと言いだし、ネットで調べまくって最終的に『HSP』に辿り着き、『なんだよ、コレじゃん!親子でコレだよ!早く知りたかったわー!』となった次第。

そこに辿り着くまでの2年弱は『理解と愛情は不可欠!』と、他人から見たらアラサーの娘にやり過ぎじゃない?ってくらい、寄り添ったし、「理解と愛は持ってるよ!」と分かりやすく伝え続けた。
それはそれはもう、この面倒臭がりのやさぐれたワタクシがよくぞ出来ましたと自分で誉めちぎりたいくらい。

『HSPだったんだ、しかも5人にひとりって結構いるね、もっと周りと共有出来たかもしれないし、何より、私が異常だった訳ではないんだね!』
と、知った次女はすごい勢いで自分を取り戻したのだけど、私は手放しで喜べなかった部分がある。
それは勝手に『自分と娘たちは同じ』と決めつけて育てたこと。

今にして思えば次女は洞察系というより、繊細で傷つきやすくていつも不安そうだった。
ただ、それは私も持っていた感覚だったので、『見守る親』になろうと思ってしまった。
似てるなら『こういう親が良かったよね』になろうと。

『なんでもやってみていいよ、何かあったら言ってね、手立てはあるよ』というスタンス。
私と長女はコレが心地よい。
口を出されたくないし、自分で選んで決めて取り組みたい。
困った時だけ聞ける人がいれば、あとは居なくてもいいくらい。
自分で思考する自由を奪われることの方が嫌だ…と。

でも次女は違った。
一緒にやりたいし、聞きたいし、不安があれば何でも相談したかった。
共に何かをすることで安心が得られたり、質問して答えが自分と同じなら安心というような。
自分には自信がなく、常に不安だから。

もーーー、ここに気づいた時はショックだった。
そっちかーーーい!って。

口出されたくないだろうから奥歯ギリギリさせても見守ってたのにとか、聞いて来るまで待ってたのにと言ったところで、次女にとっては飛んだ思い込み育児のせいで自分が判断する事が良いのか悪いのか不安なまま、自分に自信が持てないまま、アラサーまでずっと生きて来たと知って、悲しいとすら思った。

それでついこの前、次女に
「いやー本当に、嫌いな人間にまで好印象を与えたいとか、自分が明るさしかないと思ってたなんて盲点だったわー、だって反抗期あったし!」
とか、
「自分、何だかんだピンチの時に必ず誰かに助けられてるって自覚なかったの?必ず誰かが次女を支えてたよね?」
とか、
「困ったら相談してくれると思って待ってたらそんな風に(私が最強過ぎて自分が激弱だと思い、私に相談する勇気がなかったって)思われていたとかもー、本当に人と話すことって大事だねー、子供の時にひとりで出来る?とか、やりたい?って確認取らなかったのを後悔してる。怖かったし不安だったんだね、一緒にやって見せれば良かったのに、そこは本当にごめんて思ってる!」
って話したところだったの。

次女は次女で
「案外、私って好かれてるじゃん、愛されて来たじゃんて最近気づいた。
そしたら友達が去っても彼氏と別れても大丈夫だと無駄に自信がついたんだよね」
だってさ…。

私は、
「早く気づいてくれよ…、やさぐれているとはいえHSP。ビビりながらの育児だったんだから!」
と笑った。

まー、結局長々書いてしまったんだけど、こんな感じでHSP気質について何となく『私ってこんな感じ』と分かってるつもりでも、全く同じという事はないという事と、やっぱりね、話さないと分からない。

必要なのは『理解と愛』だと思う。
理解と愛については、HSPとか何とか全然関係ないけれど。

相手を理解する、しようとする誰かが居てくれると、心も軽く、丈夫になると思う。
それが支えとなり、自信となるから。

今になってHSPを知ってやっちまった感のある親御さんも、自分自身で今やっと気づいた方も、どこからでも理解と愛、そして自信を持つことは始められると思うので、ちょーっと私ったら違和感…と思ったら調べてみてはいかがでしょう。

思い込みを外して素直な気持ちで理解し合えたらいいなと思ってます。

では、
またね!

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と毎回思う長文ブログ。
いつも読んでくださってありがとうございまーす!

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