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知らない恋人【3】

忍の一字で生きて来た母

母のガンが発覚したのは2015年4月。
私は夫の転勤に伴い5月にはタイへと計画していた頃。

特に体調に変化はなかったが、やけに茶色い尿が続いていて気になっていて、近所の診療所に行った母。

今は何の前置きもなく本人に告知するんだね。
「膵臓ガンの疑い」の段階だったけど、ほぼ間違いないだろうと。
妹から知らせを受けて一気に頭が回り出す。
タイへは夫のみの単身赴任に変更するか、私と子供の出発を遅らせるだけで対応するか…。
初期ならば手術を終えてから出発したい。
末期ならタイ行きは中止して母を頻繁に見舞う事にしようとか、いやそんな事より母がどう考えているのか、釈然としない夫婦関係のまま病と向き合うのは無理だろう。

下町の診療所にガンセンターのドクターが回って来る事になっていて、それを知らずに体調不良で行った母にその場で検査、可能性を言われ、後日そのドクターのガンセンターにて検査、ほぼ確実と。
正直なところ、そんな有名なガンセンターのドクターが来るような診療所ではないと私は思っていたのだけど、ドンピシャでその来ていた日に行った母はラッキーだったと思う。

妹の情報によると、母はガンだということを私には言わなくていいと言ったらしい。
でしょうね、私も母親だから分かる。
娘夫婦が別居してまで親の病状を気にするなんて冗談じゃない。
娘夫婦は娘夫婦らしく、親の事は気にせず生活して欲しい。
自分が病気でも、元気な我が子を心配するのは母のサガなのだと思う。

私は私で自分たちの生活うんぬんよりまず、母が晴れ晴れとした気持ちで治療に向かう事が先決だと考えた。
予定通りタイに引っ越してねという電話をして来た母に、そんな事はどうでもいい、父から明確な回答は貰ったのかと聞く。

寂しさや愛情不足で支配されたココロは一度吐き出したくらいじゃ納まらない。
あれも…これも…と次々と吹き出て来るはず。
父が全て受け止めなければ、言った分だけ更に母のココロは重くなるだろう。
かと言って父にしても、同じ言葉を何度も何度も繰り返され、自分だけ大変だった様な言い方をされ続ければ、いい加減ブチ切れても不思議はない。
…が、そこでガンである。
ここはひとつ、ガンに一役買って貰うのが得策だ。

私は母に
「黙って我慢し続けたお母さんにも責任はある。黙る事を選んだのはお母さんだよね?だからね、長々言うんじゃなくて言いたい事を絞って!」
と要点を確認し、母が出掛けている時間に今度は父に電話した。
「これはチャンスだよ。お母さんに全部吐き出させて、自分が一生懸命だったことだけは言っていいけど後は黙って聞く、そして正直にそういう気持ちに気づいていなかった事を受け止めること。
お母さんはさ、未だにお父さんが好きなんだよ、自分に対してどう思っているのか聞きたいんだよ。70を過ぎた今でも!信じられないけどね!」と。

そして細々と自分が見て来た事、母が父の多過ぎる親族に対して恥じぬ様、十二分に尽くして来た事などなどを伝える。
江戸っ子の父、ボーゼン。
そんな鈍感な父に私もボーゼン。

夫連中ってのは…
どうしてこう自己評価ばっかり高くて、妻の気持ちってのを察する能力が低いのかね?!(言い過ぎ?!)

頼むからここでしっかり理解し合って、まずココロを満たして欲しい。
なにしろね、母も頑固ですからね。
「ガンならガンで、もうどうでもいいわ」
とか言い出しちゃってたし…、娘の私が引くぐらい、愛に生きて来たんだね。

愛があるから頑張れたって言っちゃうくらいだからね。
…なんでそういう母から生まれた私が…ま、それはいいや。
親子でも別のヒトだからね。

<続く>

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