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離婚【03】

ふた昔前のキロク

なんとか離婚が現実味を帯びて来たので実家の親に手紙を書いた。

色んな事があった(グダグダ悪口を書くのではなく、私自身がそれは無い…と思った事をいくつか)、この15年間、諦めたり話したり守ったりとしたけれど、もう限界なので離婚したい。人生の先輩としてその程度なら我慢しろというなら考えてみるけれど、結果は変わらないだろうと思う。
…と。

実家は車で10分程度の所だったので行って玄関先に置いて来た。
口で説明すればいいのだが途中でチャチャが入るなり目の前で泣かれるなりしたら困るから手紙なのだ。

妹から電話があり、両親と妹と私で話そうと言われたので実家へ行く。
なぜに妹かと言えば、当時、妹と交代で実家の仕事を手伝っていた為、私が休みなら妹が出勤…というワケで巻き込まれた模様。

娘達には姪と2階で遊んでいてねと頼む。

開口一番、父は
「手紙、読んだ。よく頑張ったと思う。反対はしない」
との事だった。

私はありがとうと言い、仕事も大丈夫、住まいも決まりそうだし、迷惑をかけるつもりはない。
ただマンションを借りるに当たって身元保証人が必要なのでそこにサインを頼むと。
母は黙っていた。
妹はなぜかずっと泣いていた。未だになぜ泣いていたのかは分からない。

夫には親に報告するなと言っておきながら自分の親にはなぜ言ったのか…ウチの親は夫に文句を言ったりしないから。
そして相手の両親にもね。
そういう点では信用していた。

離婚に反対しなかったのは、言ってどうにかなる相手なら自分でどうにかしてるだろう…と、私を信頼してくれている…という事にしておく。
それまでも物事については決まってから報告というスタンスだったので、もう決めたに違いないと諦めてもいたかもね。

とりあえず身内に知らせるという気が重いプログラムは終ったので後は引っ越し…ってお金は?!
そうだった…ウチには貯金なんてものは無い。
ゼロではないが、ある内には入らない微々たるものだ。
…が、貯金のように残せていたものがあった、生命保険だ。

郵便局の養老保険だったかな、少しずつ積み立てるタイプ。死亡時が200万だったかそんなモンだったので離婚するんだし、万が一の際はもう少し子供に残したいし…解約するには丁度いいのではないかい?と。

解約して現金が返って来る、そしてそのまま死亡時の金額を増やして入り直そうと思い、相談に行くとあっさり40万近くの現金が手に入り、新たに入った保険はガンでも安心なもの。
ここで入り直した事で後々、私のガンが見つかった時にまた運良くお金が戻るのだからラッキーだったと思う。

当時の私は健康だけがとりえだと自分で思っていたので保険を解約して引越しという暴挙に出たが一般の方にはオススメ出来ない…。なにせ後に卵巣ガンになるワケですから。(ガンの話しは後日に…)
この変な勢い、今にして思えば恐ろしいとか、バカじゃないかとしか思わないのだけど、若いって素敵。30代前半だし、もう自分の人生なんかどうでもいい!とヤケになってからのやり直しだからワクワク感しか無かった。

40万弱のお金で敷金礼金家賃と引っ越し代を賄った。
引っ越しは『天草引越しセンター』さん一択。聖徳太子っぽいイラストの。夫は転職も多かったが引越しも多かった。その度にお世話になったので今回の離婚でもやっぱり天草さんでしょう…と思って連絡すると平日の最終の引越しならお安いですよ!という。
いつも電話に出るお姉さんがスパッと決めてくれるので気持ちがいい。
それに慣れたスタッフさんが本当にちゃっちゃと作業してくれて、私は引越しが絡むとつい、天草さーん!と思ってしまう。もう5〜6回はお願いしたかな。

私はあまり物欲もなく、そして夫に対しても憎いとか苦しめてやろうとかいう感覚では無く、面倒なだけの夫の保護者という立場からの卒業…という清々しい気持ちだったのもあり、冷蔵庫やレンジはそのまま夫に残し、出来ればテレビも置いて行ってくれと頼まれたので、子供の為にゲーム機だけ貰い、こちらもあれもこれも買い直す程の金は無いので洗濯機は貰って行く事にし、夫が洗濯機を買うまでは私が洗ってもいいよと言った。

失礼な言い方かもしれないが離婚してもう夫や夫の親族に左右されなくてもよいのなら、細かい事はどうでもいいや状態だった。

あ、でも、公証役場にて公正証書は作った。二人で行けたので良かった…というか引越し当日まで一緒に暮らしていたので別に険悪でも何でも無かったのは幸いだったと思う。
娘達がそれぞれ高校を卒業する3月までは養育費を払う事、それだけ。当時中学3年と中学1年生になる頃だったのでそう長い期間ではない。
短大とか専門学校とかもうちょっと伸ばせば良かったのかもしれないが何しろ最低金額で試算しているというのに「毎月こんなに俺の手元に残るの?」とか、ヘナヘナ言ってたので無駄に争う気も無く、もうマジこれくらい頑張れよ…と思ってはいた。

夫の職場の仲間達はみんな夫を可哀想と言っていて、金額もそんなに払うなと言われている…と、わざわざ夫が私に伝えるというセコさには呆れたが、「養育費の金額をみんなに教えてあげてたら?低過ぎてびっくりすると思うよ。慰謝料も無ければ家具も置いて行くんだし、お金も持ち出せる程ないからね〜」とサラッと刺す。

公証役場の担当者が内容を読み上げながら、「これを作ったという事は、離婚に同意した事になりますから、離婚するという事です」と言って下さって、心底ほっとしたのを覚えている。

そうなんだ…こういう約束をしたのだから、きっちり離婚しなさいよって言ってくれるんだなぁとしみじみ。

もうひとつ、子供の親権、養育権は私に…というのは夫も同意していたけど、書類を持って家庭裁判所へ行かねばならなかった。協議離婚でも手続きは必要だそう。

15歳未満だったので本人達を連れて行かずに済んだ。あまり行きたい場所じゃないと思うので、ほっ。

いやはやあの時の勢いはほんとすごかった。
何もかもがトントン拍子で、卒業して良い時期が来るとこうやって追い風が吹くのかなぁなんて根拠の無い自信に満ち溢れていた。

<続く>

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