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想像力がなければ「人」にはなれない

これは2019年11月9日に書いていたものらしい。※noteの下書き制作日によると。

けど、「私」の考えはそう大きく変わっていないので、そのまま加筆して公開(2024年8月31日)。



「人間には、欠けてはいけないものがある」と「私」は考えています。

その最たるものは何か?
それは「想像力」だと思います。

ルールを守る、感謝を忘れない、人を思いやる……こういったことは、どこでも言われていることです。

どうしてだろう?と考えると、やはり行き着くのは「誰でもたった一人では生きていけないから」という答えです。

人は、必ずどこかで「誰か」との関わりを持って生きています。その「誰か」に寄り添ってもらう、自分が寄り添って生きるためには、先に挙げたようなことが大切だと思います。

ただ「私」が思うに、そのどれもが「想像力」なくしては叶えられないのでは?ということです。

「想像力」とは何か

「私」が思う「想像力」。
それは「先を読む能力」です。

少し大袈裟な例を挙げます。

たとえば、犯罪に手を染めてしまったとしますよね。それは「想像力」の欠如が招いたことだと思います。

罪を犯せば、もちろん罰があります。ですが、想像力に欠けると「自分の行動の先に何があるのか」を考えることができない。つまり、罪を犯せば罰があるという確かな結末をみることができない、ということです。

身近な問題にすると、自分の発言や行動で人を傷つける可能性を考えられない。

この原因が、想像力の不足と言えると思います。

「自分がこれを言ったら、相手の心を痛めつけてしまうかもしれない」

「自分がこんな行動をしたら、相手を困らせてしまうかもしれない」

誰しも、人と関わらずに生きていくことはできません。相手は家族だったり友達だったり、仕事仲間でもそうです。

他人の心のすべてを理解することは、どうしたって無理です。

▼感じ方もみーんなちがうよね!という話

でも、その心に寄り添う努力はできます。

積極的に「コイツを傷つけてやる!」という気持ちがあるなら別ですけどね、もちろん。

ただ、自分の心を大切にしたいなら、自分も相手の心を大切にしなければ、その関係はうまくいきません。

「想像力」とは、自分のことも人のことも尊重し、守るための能力だと、「私」は思います。

「自分」という「個」のために必要な能力

人生は選択の連続です。

ですが、私はこの選択があまり得意ではありません。

やる、やらないというような大きな決断どころか、「お昼、何食べたい?」みたいな簡単な質問に対する選択すら、大真面目に「むずかしい……」と思うタイプです。


ここまでが、2019年に書いてたことらしい。
そんで、2024年(8月)現在も、まぁこんな感じに思っている。

昨日公開したばかりのnoteでも書いたことだけど、この先、まだまだ時代は変わっていくんだろうと思う。

▼短めなので、ぜひ合わせて読んでくださいな!

だから、今までの常識とかも、どんどん変わっていくんだと思う。過去の歴史からしてもそうだし、取り残されないように「自分で」努力していくしかない。

……言うて、AIの進歩にもついてけてないけどね!使いこなせればものすごーく楽しそうだな!!と思うけど、進化が秒すぎてお勉強が追いつきませんッ!!!!

でも、「人」が「人」と関わり合って生きていく。その根本は変わらないと思う。

だから、うちのかわいくて小悪魔でメシア(!)なお嬢さんが、たとえどんな未来だとしても生き残っていけるようにしなければならぬ。

▼ほんとにうちの2歳児が命を助けてくれた話

私はこれでも「ママ」だし、夫・のりんこくんは「パパ」なので。

――というわけだから、親である我々凸凹コンビも、「一緒に成長していくんだ!まだまだ俺らも伸びしろしかないな!?ウェーイ!」とか言って己を奮い立たせ、毎日とにかく頑張ってくしかない。

「自分」という人間は、どこを探してもいやしない、とっておきのオンリーワン!!!!

これはほんと、間違いなくそう。

だって、「自分」のすべては「自分」にしか分からないし、「誰か」のすべても、その「誰か」にしか分からない。

いくら言葉って便利な道具があるとしても、すべては伝えきれない。汲み取りきれない。

でも、分からないからこそ面白いし、だからこそ「個性」が生まれるんだと思う。

だから、「自分」という「個」を大切にするためにも、想像力ってものすごい武器になるんじゃないかなって。

でも、別に「誰か」と戦うわけじゃない。「誰か」と分かり合う努力をする中で、衝突はすると思うけど。

▼たとえばこんなの、という話

だから、武器は武器でも、それは「誰か」を守る盾かもしれないし、傷ついた「自分」を癒す薬かもしれない。

でも、とにかく時代をサバイブするために、必要不可欠な能力なんじゃなかろうか?

生きるために「想像力」を養おう

「私」という「個」を大切にするために、想像力を養おう!と思う。

でも、それは「私」だけで完結するには、あまりにももったいないんじゃないかな、と思ったから、2019年の「私」はこれを書いていたんだと思う。

そして、2024年現在の「私」も、そう思う。

「私」以外の「誰か」が、その「誰か」であることを守るためにも、多分「想像力」って必要だ。家族、友達、身近な人たちには、やっぱり健やかでいてほしいしね。

でも、「私」はまだ見ぬ「誰か」のためにも、ずっと何かしら「想像」しながら生きていたいな、と思う。

なんか、色々あるじゃん、みんな。誰でも。悩みとか不安とか、ラベリングはしにくい、な〜んかこう……モヤモヤッとした気持ち抱えてたりとかさ。

でも、「私」の経験とか考え方、あとはちょっとした笑い話でも、逆にものすんごくヘビーな話でも、なんでもいい。とにかく、何かしら「かたち」に残してたら。

いつか「誰か」の役に立てるかもしれないなって、欲張ったことを思っちゃうんですよね。

うつと躁、ひたすら反復横跳びを繰り返してるような人間でも(笑)

だから、これを読んでくれた「あなた」が、別に名前のある感情じゃないかもしれないし、何かコレ!といった答えじゃないかもしれないけど。

「何か」を受け取ってくれて、その「何か」が、なんかの足しになればなって。そう思います。

▼「私」ってこんな人です!

また次回も「あなた」とのご縁がありますように!

私という「個」を応援してくださると嬉しいです。このnoteで行っていきたいあなたの「進化」のお手伝いにて、恩返しできればと思います。