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自分の命を守れるのは自分だけ②

前回の続きです。①はこちら↓

私には双極性障害という病気があります。
まぁそれでも、なんとか今まで生きてこれました。

でも、その「私」のこれまでの人生の歩みぜーんぶ丸ごと、周りの誰かの支えがあってこそだったんです。

それこそ色んなことが起きて、その度に「もうたこりゃダメだ」って思いました。でも、今もこうして生きてる。病歴もそこそこ長いので、その「ダメになる瞬間=もう生きてけないな」っていうシーンはいくつもありました。

でも、その時にはいつも「誰か」が助けてくれた。だから、 これまで生きてこられたんです。

出来損ないの娘でも、私のパパはずっと守ってきてくれて、愛してくれてきた。ずっと、今でも見守り続けてくれている大親友だっている。

そして、のりんこくんという、最愛のパートナーと出会うこともできた。その彼が夫となって、出来損ないの私を、ずっと憧れて恋しく思っていた「ママ」にもしてくれた。

各人物たちとのエピソードは以下の記事から飛べます↓

だけど、前回①で書いたようなことが起きたんですね。

それで私、なんかもうほんとにしんどいっていうか、すごい、突き放されちゃった気がしたんですよ。なんかこの世のすべてに、「お前には生きてる価値なんかない」って言われちゃったような気持ち。いや誰もそんなこと言ってないんだけど。

誰も悪くない。だからもちろん、恨む?憎む?なんで!どうして助けてくれなかったの!みたいな気持ちには、微塵もならなかった。今だってそう。

「いや、それはなんか知らんけど解決したからでしょ?」

って話になるかと思うんですけど、別に解決はしてないです。結論は「自分の命は自分で守るしかない」だと①にも書いたけど、もっとハッキリ言うと、「自分の命は自分の心で守るしかない。他人は誰も助けてくれないから」です。

「最初と言ってること違うじゃん!」て?うん、そう笑。だから、なんでそう思ったのかって話を、今からさせてくださいな。

どうにもならなくなって家を飛び出した

ってところまで、前回はお話ししたと思います。

あ、「誰のせいでもないし、なんで助けてくれなかったの?なんて微塵も思ってない」っていうのも、正確には違う。

最後の最後に電話した、いのちの相談?のダイヤルの人にはそう思ってます。

だってさ、「もう生きてけそうにない、今にも死にそうにつらいんです」と思った時にかけてね!って、どんな人にでも知らせてる番号なわけじゃん。だってネットで検索してすぐ出てきて、なんなら市の案内ページに「ここもあります」って載せられてて、さらには市でやってるよりも大きいとこなわけですよね。

「別に解決はしてない」っていうのも、今回の出来事を経て、とりあえず「自分なりの落とし所を見つけた」っていうことが結論に繋がるから。

そういうダイヤルに電話するような状況にある人間が、「要件はなんですか?」「あなたの話を聞く番号じゃない」「緊急性がある人が〜」って電話口でワーッと言われて、その時ちゃんと理解できる精神状態にあるって思います?

いや、ないから、でもどうしたらいいか分からないから。だから「助けてほしい」その一心で電話かけてるはずです。

でも、そういう答えだったから。

「私って、存在したらいけないというか、いなくなってもいいってことなんだな」って。

むしろ、「そのまま死んでくれて結構」って言われたような気すらした。「なんだかよく分かんないけど、お前みたいなやつがかけてきていい番号じゃないんだよ、迷惑かけんな」ってことかぁ〜って。

いやまぁ、そうなんだけど笑。

自分でも自分に対して、そういう気持ちを持っている。だから、今回のことで私の近しい人たちを恨んだりする気持ちは微塵もないのである。

迷惑かけてるなんてこと、自分が一番分かってるから。

でもまさか、いのちの電話?でそんな対応されるって思わないじゃん。ていうか、こっちは助けてほしい、どうにかして死にたくないって気持ちで、まさに藁をも掴むってな気持ちで電話したんだよ。

かけていいよって番号だと公表されてるんだし、何より県でやってる?番号なわけですよね。見ず知らずの通りすがりの人に、「助けて!死にそうどうすればいい?」って言ったわけじゃない。

助けますよという謳い文句で、どんな人にでもひらかれるところにヘルプ出したんですよ。そりゃ助けてくれるもんだと思うじゃないですか。

でも、助けてくれないどころか、突き放してこられたら、「もうこりゃダメだな」って。それこそ本当に思わされたよね。

そしたらもう、我慢できなくなって飛び出しちゃったわけです。なんにも知らない、楽しい夢を見ていただろう2歳の、うちのかわいい娘を置いて。

でも不思議なんですよ、それでも「鍵かけて行かなくちゃな」ってちゃんと鍵かけるんだもん。

だって、うちの(私に似て)小生意気な口を利くようにもなってきたお嬢さんは、ママが大好きなだけの無邪気すぎる(そして時に暴君すぎる笑)だけの2歳児なんだもん。

お嬢さんと歩くお散歩道で

ホラーハウス化現象は怖すぎるし、でもそれはマジのホラーじゃなくて私のイマジネーション(笑)がどうにかしたやつかもしれない。だとしたらもっと怖い。

でも、助けてくれる人はいない。誰も。

そんでもう飛び出して、ただ歩いた。
歩いてたら、気づいた。

あ、ここでいつもうちのお嬢さんは、雑草を指さして「猫じゃらし!」って言うんだよな。
で、その次にはよそのお宅の玄関前にある置き物を見て、「カエルさんだよ〜こんにちは!」って手を振るんだよな。

私が歩いていたのは、うちのお嬢さんの定番のお散歩コースだった。

結婚を機に家を買って引っ越した先は、元は私の地元である港町だ。近頃の暑さは本当にひどいもんだけど、ここは海風がある分、意外と涼しいじゃん!てなこともある。

昼間は車が通る音はもちろん、たくさんの人たちが何かしら活動中なので耳に残らない波の音が、ものすごく大きく聞こえた。

それで海の方を見たら、ギラギラ銀色に光っている。キラキラより「ギラギラ」って感じの輝きだった。

「いや、こんなギラギラしてることあるかね?」と思って空を見上げたら、まん丸の(満月だったかどうかは知らんけども)お月さまが浮かんでいた。もうこれでもかと……もはや自力で発光してる??と思うレベルに、しかも「ほんと黄色いなぁ〜」って色で。

なんだけど、風が強かったせいか、雲の流れが速いこと速いこと。薄雲が流れてお月さまを隠しては、また流れ去っていく。次から次へと。

それで思い出した。

『おつきさまこんばんは』

『おつきさまこんばんは』は、林明子さんという方が描いた絵本のタイトルです。

この絵本はKUMON(公文式)が公開している、くもんのすいせん図書というので推薦されている一冊です。

これでも「私」もママをやっておりますので、読み聞かせなんかもしています。できる時だけだけど。

夫・のりんこくんも「読書が好きな子になってほしい!俺は本の面白さを知るのが大人になってからだったから、うちの子には早くから本に慣れてほしい!」という思いから、時間を見つけては一生懸命読み聞かせをしています。

実は、0歳からモンテッソーリ式を取り入れている。――と言っても、ものすごく全力でしてるわけじゃない。できる範囲、自分たち……というか主に私が苦しくならない程度に、という感じで。

「私」の性格からして、何かをやり始めるとギュイーンッ!と突っ走ってしまうから、あれこれ調べて自分なりに勉強して……それをのりんこくんに共有してから、できそうなことを取り入れている(なお、できそうと思ってやり始めても、できないこと・できない日もいっぱいある)。

※ちなみに年齢ごとにステップアップしていけるようになっているので、大人にも需要あると思う(親でなくとも)。

正直、タイトルは知っていても(つまり、教養として知っておいた方がいい・読んでおいた方がいい本)実際に読んだことはない本も一覧にある。

なので、0歳から大人になるまで、ずっと読書を楽しめるように作られた一覧なわけである。ママやパパでなくとも、本好きならばちょっとチェックしてみてほしい。

↑意外と「知ってるけど読んだことはない」っていうのが出てくるかも!

で、これはうちのお嬢さんお気に入りの一冊なんだけども。

ほんと、この絵本のおつきさまそのものみたいな月が、ストーリーをなぞるように空に浮かんでいたのだ。

そしたら、なんだか胸がぎゅう〜っと押し潰されてるみたいに苦しくなった。

この光景を見たら、きっと「おつきさま!こんばんはだねぇ」と言うんだろうな。
きっと、お互い何度も読んできて、もはや覚えてしまった本文を真似て、ご機嫌に話しかけてくるだろうな。

その場面がハッキリとイメージできたと同時に、また涙が溢れてきた。

そうすると、視界に入るものすべてに対して、「うちのお嬢さんなら、これを見てこう言うな」とか、これを見たらきっと喜ぶだろうな、とかいうリアルなイメージがどんどん膨らんでくるわけだ。

もうなんか、たまらない気持ちになった。

前回①の最後で「自然の力ってすごい」みたいなこと言ったけど、多分本当に自然には不思議な力があるんだと思うけど。

でも、「マジで死ぬかもしれん」みたいな切羽詰まった時に、「よしリラックスしよう!まず深呼吸だ」とか「自然のBGMを聴いて瞑想を〜」とか、正直ぶっちゃけハッキリ言うとできるわきゃないのよ。というか、そういう発想に至らないというか、マジで「それでどころじゃないから!!」みたいな。

でも、本当にたまたま、運良くめっちゃエネルギーに満ちてそうな月がそこにあったんですよね。

……あったんだけど、「私」はそれに気づいてなかった。教えてくれたのは、自宅ですやすや眠っている、まだたった2歳の女の子だ。

彼女の無邪気すぎる振る舞いに、毎日毎時間振り回されてはいる。けど、まだ2年しか生きてない、知らないことの方がずっと多いはずのうちのお嬢さんの方が、生きる上で大切なことをよく分かっているのかもしれないと思った。

そしたら、「早く帰んなくちゃな」とパッと思った。

他の誰が「私」を助けてくれなくとも。
そもそも「私」には、自分が助けてあげるべき存在がいるのだ。

令和ちゃんは大変厳しい時代なので、自分たちが生きるのにも精一杯だけど、その先の未来を担う子どもたちの苦労はどれほどだろう?

そう思うと、あれもしてあげたいしこれもしてあげたい。多分、この子のこれは伸ばしてあげるべきだ。だからこれもやりたい!やらなくちゃ!

もう使命感でいっぱいで。

それこそ、自分が「ママ」に望んでたことだったじゃないか?

大変なことは百も承知で、それでも覚悟を決めて子をもったはずじゃないか?

それなのに、自分の子にまで、母親が恋しくてたまらないという、切ない思いをさせるの?

それを経験して、どんな気持ちか知ってる「私」自身が?

死んだら、そこで終わりだ。なんにもしてやれない。私は「ママ」はずっと見守ってくれてると信じているし、恋しく思うからこそ、やりきれないと感じることもあった。

でも、恨んだことは一度だってない。

たとえ周りが、「なぜ幼い子を残して死んだのか」と嘆く言葉を聞いても。

それはまた別の話になるかな?と思うし、また次で話そうと思う。この後日談も含めて。

まぁとにかく、「自分の命は自分で守る」しかないわけだけど、そういう自分になるために必要なことは、自分以外の誰かが教えてくれるかもしれない。

「私」の場合、それは今、最も相性が悪いと思っていた、魔の2歳児であるうちのお嬢さんだった。いのちの電話?じゃなくて。

次はさっきも言った通り、後日談と私「の」ママへの気持ちを書いてみようと思う。

それではまた。次のページでも、あなたにお会いできますように!

➡️死にそうだったけど死にはしなかった話へ進む。


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