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自分の命を守れるのは自分だけ①

お久しぶりすぎるのに内容が内容だから、自分でもこれを公開するのはどうなのかと思っている。

というか思いながら書いているんですが、なんか記録として残しておいてもそうしなくとも、どっちにしても結局後悔しそう。そんならば、残しといた方がいいか、と思って今書いてます。

私は双極性障害という病気で、現在も治療中です。

↑でも私の話を初めからすると、本題に辿り着かなくなるので今回は省略。


とりあえず、数時間前に起こったことで、自分の中の意識が大きく変わった。


最初の方のnoteを読んだりすると、「言ってること違うじゃん!」てとこもあると思います。だからこそ、書き残すことに躊躇いもある。

だけど、同じ病気で苦しんでいる当事者はもちろん、身近にいるけどよく分からない……という人たちに、「こういうパターンもあるんだな」とかって役立ててもらえたらいいな、と。

で、何があったん?て話をさっさとしようと思うんですけど。でももうちょっと、そこに至るまでの話をさせてください、ごめんね。

ええと、とにかくずーっと調子悪かったんです。程度に差はあるけど、基本的にはうつの割合が強い感じで。

ただ、「日内変動」といって、一日の中でも調子がコロコロ変わったりもしていて……いわゆる「混合状態」ってやつです。うつは多分イメージしやすいうつ症状のやつで、躁は散財とイライラがメインかなって感じ。

でも私、一生懸命やらなくちゃ、というか、とりあえず生きなきゃいけないなって思うようになってたんです。また別の機会で話すつもりだけど、私ね、「ママ」になったんですよ。

だから、「とりあえず」でいいから生きていかないと。そう思ってた。

「そういう病気がある人が、子をもつこと自体に思うことある」という人がいるのは分かってます。

もちろん、夫婦で何度も何度も話し合ったし、主治医の先生にもたくさん相談した。

――と、まぁ「子どもがいる」と聞けば大体話の想像はつくと思うんですが、むちゃくちゃ大変で。

親として、子どもの世話をしなくちゃいけない。いや、世話というか、とにかくまずは「生かす」ことをするみたいな。だって、初めは自分じゃ何もできないし、ちょっと成長したところで、ひとりでできるもん!状態にはなりません。

というか、何もかもが初めてだからね、もちろん。ひとりでできるもん!状態になる最初の一歩は、親が「これってこうやるんだよ」って教えることからなんですよね。

そして生まれるまでも生まれてからも、その時その時で色々起きつつ、そのたびに乗り越えつつ……で、ここまできた。

うちのお嬢さんは現在、いわゆる「魔の2歳児」である。

うちのお嬢さんに限らない話だと思いますが、まぁ「ママ」が大好きです。毎日毎時間ずっとママママママ。

今朝なんか、「パパと一緒にしようよ!」とフォローに入ったのりんこくんに、「イヤッ!パパやだ!ママァ〜!ママーーーーーーッ!!!!」です。サッとドアを閉めつつ「パパと行こうよ!」と懸命に誘いかけるも、「やだママがいいママママママーーーーーーッ!!(扉ドンドンドンッ!!)」みたいな。

最悪に調子悪い周期に入ってる「私」、そして魔の2歳児。最高に相性が悪い。

でも、かわいい。

ほんとに。多分、今この世で一番「私」を必要としてくれてるのも、愛してくれてるのも、最高に相性が悪い魔の2歳児のうちのお嬢さんなんです。

ただ、かわいいと思うこととは別に、もうお許しくださいお嬢さま……と涙が止まらないこともある。

でも、泣いてる私を慰めてくれるのも、このお嬢さまだ。しかし、本当にしんどくて動けない私を見て、「ママつまんなぁ〜い!」とか言って傷つけるのもこのお嬢さまなのでほんと意味分からん。今何が起きてるんだ??と混乱する。

でもさ、「私みたいな人間の何がそんなに好きなの?」って自分で思うくらい、誇れるものどころか、世の中の「普通」に全然ついていけてすらない「落ちこぼれ」なのよこっちは。

働くっていう一番分かりやすい社会貢献(家庭に対しても)だってできてないし、ひどければ「5分前まで笑ってたのに、なんで今そんなにキレてんの!?」みたいな情緒不安定さで、大人だって私の相手をするの「めんどくさ……」ってなって当たり前でさ。

実際、子育てが本格化してきて、のりんこくんにもパパにもますます頼ることが増えた。

なのに八つ当たりまでされたら、そらぁいくら寛容な夫であれ、感情をあんまり外に出さない冷静沈着な父親であれ、怒鳴りたくもなるよね。すみませんいつもいつも……。

そんなんだから、病院でも先生にその都度、相談してる。市の保健師さんも、たくさん相談に乗ってくれてる。

だからこそ、自分でもできることをしようと思った。

イライラを抑える自分なりのアイディア(とりあえず音楽聴くとか、冷たい水で手を洗うみたいな)で、どうにか「今この瞬間」を乗り越えようとしてきたつもりだった。

そもそも、爆発する前にどうすればいいか?

落ち着いてる時にプラン出してみて、あとはトライアンドエラーの繰り返し……とか、今の自分ができる努力をしてきたつもりだった。

「つもりだった」ということは、周りの目からしたら「それは努力のうちに入らない」ことだったのかもしれない。

先日、どうしようもなくなって子育てホットラインに電話した。

その時、すごく励まされた。

「ものすごく頑張ってるし、むしろ頑張りすぎだよ」

「もっとテキトーにやったっていいのよ」

「大丈夫、すごいいいママだよ。だから、娘さんもママ大好きって言ってくれるんだよ」

むちゃくちゃ派手に泣いて、むちゃくちゃスッキリして、一回リセット。
その後は落ち着いて、家事育児のもろもろをやり切ることができた。

匿名だから、どこのどなたか分からない。
けど、本当に助かった。助けてくれた。私の命を。

なんかもう、分かんない、分かんないけど死ぬしかないのでは。と思い詰めていた。

でも、死ぬしかないのではと思いながら、生きる方法を見つけなくてはいけなかった。

私には、うちのかわいいお嬢さんがいるから。

そして何より、母親がいないこと(いなくなった理由も含めて)が、子どもにどんな影響を与えるか。あくまでも「私」の場合だけれども、実体験でのデータがあるのだ。

だから、なんでもいいからとにかく、「とりあえず」でいいから死なないようにしなくちゃいけなかった。

夫は夜勤でいない。自分の親にも頼れない。

そういうタイミングだったので、本当にどうしようどうしようでパニック状態だった。

それに、実は以前、子育てホットラインに電話したことがあった。

でも、その時の対応がショック……というか、まぁとにかく「もう二度と電話なんかしない!」と思っていました。余計にメンタルおかしくなるって、あの時の私は泣きながらブチ切れてました。

でも、なんでもいい、とりあえず「今この瞬間」を死なずに乗り切る。そのためにできること、できそうなことはしなくちゃだから。

勇気を出して電話した。

私なんかより、よっぽど大変な環境や状況の中でも、子育てをしっかりしてるママはたくさんいる。なのに私みたいな、なんの社会貢献もできてない人間が電話していいのかな?とか、ていうか私が電話したせいで、もっとつらい人が繋がらない……とかなったらどうしよう、申し訳なさすぎる。でも死なない努力をしないと。あと他になんも思いつかない。

――とかなんとか考えながら、迷いに迷って電話した。

そうして助けてもらうことができたから、ちょっと油断してたんだと思う、自分が。他人に対して。ここで言う「他人」とは、私自身以外の「他の人」たち全員のことだ。なので、夫であるのりんこくんも、血の繋がったパパでも「他人」である。

今度こそやっと「本題」になるし、もう日付も変わっちゃったけど。

20時くらいからかな、またものすんごい感情の荒波にのまれそうになった。
でも、今回は子育てがどうのではなく、あきらかに病気の症状だと思った。

・誰もいるはずないのに、人の気配がする。話してる声がする。

→なんていうかな、聴くタイプのお化け屋敷?みたいな。実際にはいないのに、「ほんとは誰かいるんでしょ?」って思わせるような、リアルな存在感があるようなイメージ。

・食洗機と洗濯機が回ってる音がする

→「片付けなくちゃ!!」と思ってるのに、なんかうまくできてなくて。それぞれ、あとはほぼほぼボタン押すだけ!みたいな状態だったのにできてなかった。それがストレスだったのかも。

のりんこくんはすでに仕事に向かっていて、明日(もう今日だけど)の朝までいない。パパも仕事。お嬢さんはもう夢の中だけど、だからこそなんとか今のうちにどうにかする必要があった。

まだ、まだ大丈夫。大丈夫だから、お嬢さんがきっと素敵な夢を見ている間に、なんとかしなくちゃ!と思った。

でも、もちろん通院中の病院は時間外だ。

「じゃあ、こういう時はどうすればいいの?」と、「精神科 夜間 相談」とかで検索したら、市の心の相談ができる窓口各種の案内、あと県でもありますよと案内ページがあった。

……窓口「各種」なので、部門というか相談内容によって窓口は変わるし、受付時間とか休業日もそれぞれで違う。

どこにかけるべき内容?あ、これか?いや今日っていうか、もうこの時間はやってない……。あ、こっちの窓口はやってる!……と思ったら繋がらないまま、もう受付も終わってしまいそう。

焦りと不安は加速度的に増していき、聞こえる音や感じる気配に対する恐怖も、質が変わった。

もはや「現実には存在してない、というのが間違った認識なのでは?実際にいる、が本当なんじゃないの?」とすら思ったので、もういよいよ限界だった。

どこに電話すればいい?

そもそもこの時間帯、受け付けてくれるのか?

もう文字がちゃんと頭に残らないというか、形は分かるけど意味が分からない。中にはイラスト付きで説明してくれてるページもあったはずだけど、とにかく命の危険がある場合は警察を呼ぶと書いてあったはず。

でも、警察呼んだら怒られないかな、そんなことでって。警察官にもだし、のりんこくんにも。

多分、今また同じページをみたら得られる情報量も、窓口の選び方?とかも違うと思う。どれだけ頭に情報が入れられるかも。

だけど、その時はそんな余裕なんかもちろんなかったし、判断力はマイナスもいいとこだった。
涙ばっかり出てきて、字の形も分からなくなる。

怖い、どうしよう、どうすればいいの?

結局、のりんこくんとパパに電話するしかなかった。でも、二人とも仕事中だから出ないのはわかっていた。分かっていても、かけずにはいられなかった。かけ続けたら、もしかしたら出てもらえるかも、という期待?甘え?もあったと思う。

パパが出てくれた時、私はうまく説明できなかったかもしれない。言われたのは、「とりあえず今日はもう休んで、明日また電話しな」だった。

のりんこくんが出てくれた時も、私の状態の伝え方が悪かったのかもしれない。言われたのは、「休憩もうあと3分で終わるから。とりあえず寝て、明日……」もう覚えてもない。

もうどうすればいいか分からなくて、でも自分の命を守ることはしなくちゃいけない。その気持ちだけはなぜか強くあった。

それは、自分「の」ママの気持ちを、自分「が」ママになったことで、以前より(想像だけど)感じやすくなったからかもしれない。娘と同じ歳の頃の自分の気持ちを想像して、娘の感情を(こっちも想像だけど)察することが増えたからかもしれない。

だから、いのちをまもるためのダイヤル?(正しい名称出てこないけど許してほしい)に電話した。

音声ガイダンスで、「心の相談」か「今すぐ死にたい気持ちがある人か」を聞かれた。

どっちになるのかわかんなかった。でも今すぐ死のうとしてるわけじゃないし、多分、分かんないけど、「心の相談」だと思った。繋がらない。

もう分かんなかった。というか、今もこれは分からないけど、このままだと外に飛び出しそうで、だって怖いから。説明の仕方が今も分からないけど、とにかく、死にたくないけど、その場にうずくまっているのも怖くて、でも怖いのに、怖いから動けなくて。

迷いに迷って、「今すぐ死にたい気持ちがある人」の番号を押した。

すぐ繋がった。でも、私それも分からなかった。出た人の声の調子が、音声ガイダンスとおんなじような感じで、生身の人間が応対してるって分かんなくて、黙っちゃった。

そしたら、多分「もしもし?」とか反応があって(覚えてない)あ、生身の人間が相手なんだって気づいて、でもなんて説明したらいいか分からなかった。

だから、「緊急性がないのに繋がると思ったから」とか、もしかしたら「冷やかし」と思われたのかもしれない。

「これは緊急性のある方のダイヤルなんですよ、話を聞く番号じゃないんです。このダイアルは緊急入院が必要な……」以降覚えてないし、もう最初の方でこれは折れちゃいけないんだろうなって心の骨格みたいな、なんか芯みたいなのが、ポッキリ折れちゃった。もう申し訳なくて。恥ずかしくて。情けなくて。

生きることに難しさを感じても、いつもなんとか乗り越えてこられたけど、それは全部周りの助けあってのことだったから。

助けてもらえないと、「生きよう」「生きたい」って気持ちがあっても、私がそれをすることはできないんだって思った。

なんかもう疲れちゃって、そのまま家を出た。

とりあえずここまで。


うちのお嬢さん、早起きだから。また書ける時に書くけど、結論だけ。

最終的には「自分の命を守れるのは自分だけ」ってこと。

でも、それは誰も味方がいないってことでもなくて、なんていうかな、自分の心の在り方を自分で把握して、コントロールできないといけないんだな、ってこと。

私はパパものりんこくんももちろん大好きだし、悲しませたりつらい思いとかもしてほしくない。させたくない。

でも、私のことが本当に分かるのは「私」だけと思った。今こうやって書いてるってことは結果的に死んでないし、大丈夫なんだけど。

「私」のことは他の人には分からないって当たり前のことを、忘れちゃってたなって。あと、自然の力ってすごいなって笑。それはまた次で話します。

全部吐き出せて(自分の頭の中だけの話だけど)ちょっと整理できた気がする。

次に書く同タイトル②で、結局「なんで死なないで済んだのか」っていう自分なりの理由を整理して、今後(あっても困るけど、また同じこと起きたら怖いから)備えたい。

久しぶりに書くってことして、なんか疲れちゃったな。でももう30分もすれば、また「ママーッ!おはようだよママーーーーッ!!」て呼ばれるはずだから、それまでそっとしときます。「おはようだね〜!」って返してあげられるように。

おやすみなさい。

私という「個」を応援してくださると嬉しいです。このnoteで行っていきたいあなたの「進化」のお手伝いにて、恩返しできればと思います。