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死にそうだったけど死にはしなかった話

死にそうだったけど死ななかった経緯は、ここでは省きます。

↓こちら「自分の命を守れるのは自分だけ」①②でお話ししてるので。

まぁとりあえず、「もう死ぬしかない……」みたいな思いで、まだ2歳のうちのお嬢さんを置いて家を飛び出した。飛び出したけど、戻ってこれた。

そういう出来事を経ての「私」なりの結論が、「自分の命は自分で守るしかない」だったんだけど。

まず、いのちの電話(こころの相談窓口?らしい、夫と話していてやっと名前分かった)の前に色んなとこに電話してた。けど、繋がらなかったり、私が期待した対応でなかったりで……。

でも、こっちはこっちで「もう死にそう!どうしよう!」だったけど、謎のパニック鬼電された方も「何?何が起きてるの!?」だったのは当然なのよね。

ちゃんと落ち着いて、こうしてnoteに書くというかたちで、自分の考えや気持ちを整理できる状態であれば、そんなことは「そりゃ当然」と。当たり前に思える。


なんとか死なずに済んだけど、別に解決したわけじゃない。

まぁでも、問題の大元がどうにかできたわけじゃない。今回の出来事「は」どうにかなったけども。

つまり、「私」が双極性障害という病気の持ち主で、しかも「0か100、黒か白しかない!」「他の人には40や70があっていいし、グレーがあってもいい。でも、「私」にはそんなこと許されない!」 みたいな性格である以上、多分また、いつか同じことが起こる可能性の方がずっと高いのだ。

でも、病気を今すぐ完治させられるわけでも、性格を変えることも(これはワンチャンあるかもしれないが)できない。ってことは、また似たようなことは起きてもおかしくないのだ。

そもそも、そういうことの繰り返しを、その時その時で乗り越えての「今」なんです。

同じ病気や、似たような性格の人みんながそうだって話では決してない。ないが、少なくとも「私」の場合、過去がそうだったし今もそうなら、この先に「絶対ない」とは言えないっていう話。

でも、よく考えてみたらさ。

助けてほしかった場面で、助けを求めた人たちに手が届かなかった。

これって別に、私が病気でなくとも。
この経験をしたのが「私」以外の誰かであっても。

ありえるというか……あって当然、仕方のないことなんですよね。

その瞬間の「私」は突き放された!と思ってしまったけど。でも、分かってもいた。

たとえば、やっと繋がった電話口での、のりんこくんの開口一番が「休憩あと3分で終わるから」だったのがショックだったわけだけど。

でもさ、彼は大体2時間くらいかけて通勤してるんですよ。で、しかも夜勤。

たとえ、「じゃあ今すぐ駆けつける!」と言われたって、「え、無理じゃん?」って自分の方が絶対思っちゃうんですよ。

自分が電話しといて?って話なんだけど……こう、自分のことをちょっと離れたところから見てる、もう一人の自分。そういう存在っていません?

バカやったりした時とか、くだらないことでめちゃくちゃ笑ってしまってぐったりした時とか、「いや何やってんの笑」て自分にツッコミ入れてくるもう一人の自分(笑)

そのもう一人の松本さん(こちらは多分だけど、自称3歳ではない)が、「いやだって夜中だよ?どうやって帰ってくんの?」とか、「いや手段はあるにはあるけど、どんだけお金かかんのよ」とか、「そもそも会社になんて説明すんの?」とか。

いわゆる「普通」の常識的な指摘をしてくるわけですよ。

でも、それどころじゃない松本さん(こっちは自称3歳だし、ベースはこっち)は、それに言い返せない。

その指摘の相手は、何しろ「自分自身」だから。

そんで、心配しながら帰ってきた夫は言った。

「帰った時、ほんとに死んじゃってるかもな」

そう思ったことなんか、今まで何回だってある。今日だって、あれからどれだけ心配してたと思う?でも、どうにもできないだろ。

そう言いながら、泣いていた。

そこに至るまでに言い合い?というか、私が一方的に喚き立てたりなんだりがあったんだけども、また話がズレてしまうのでちょっと置いといて。

まぁでも、想像できるような内容とは思う。

苦しくて、どうにもならなくて。それで助けてほしかった、絶対に死んじゃダメと思ったから。助けてくれるだろうと思う人には、みんなに電話した!とかなんとか。

要するに、自分の妻が、自分の子の母親が。「生きてるか?死んでるか?」って思いを抱えながらも仕事して、心身ともに疲れきった状態で帰宅した。

そこへ、どうにもならないことで責められたら、そらそうもなるっていう。

でも、「私」は自分勝手に自分なりの落とし所、というか結論を、もう出していた。

繰り返しになるが、「自分の命は自分で守るしかない」という結論を。

だから、帰宅してから娘が起きるまでの間、ずっと書いてなんとか形にしたnoteをそのまま、のりんこくんに見せた。

「全部書いたから。話してるとまた混乱してきて(というか、ボルテージ上がってきてしまって)分かんなくなっちゃうから、とりあえず読んでほしい」と、スマホを渡した。

全部読み終えて、のりんこくんは言った。
「私」が信頼できる、本当に数少ない人間のうちの一人だけど、キッパリしていた。

「その通りだと思うよ」と。

多分、これは聞く人が聞いたら、すごく冷たく聞こえると思う。何せ、彼はものすごく正直な人間だ。本当にそう思って言ってるので。

「のりんこくん」の話▼

でも、スイッチの入った「私」のことを誰より理解しているから、聞こえだけがいいことは絶対に言わない。言ったところで、肝心の「私」が納得しないことも知っているから。

自称3歳だけど、いわゆる「普通」の常識的なもう一人の「私」の存在も含めて。

だから、「私」は逆に安心した?というか、不安に思っていたことがなくなった。

「まだ小さい娘を残して死ぬなんてバカだ」

これは、母方の祖母が私に何度か聞かせた言葉だ。まぁ、おばあちゃん以外の大人も、口には出さずともそう思った人の方が多いとは思う。

これもまた、冷たく聞こえるかもしれない。

けど、これはおばあちゃんなりの励ましで、慰めだった。現に私はママのことを覚えていないから、私がものすごく不憫に思えて仕方なかったんだろう。

おじちゃん(ママの弟)曰く、当時おばあちゃんは「うちで引き取る」と言ってたそうだし。
「父親がいるんだから、引き離したらかわいそうだろ」と結構な説得をした、というのも聞いた。

そんで、私はパパが自分の実家に子連れで戻って、そこで育ったわけだけど。

おばあちゃんのとこへは、夏休みや冬休みには毎年泊まりで遊びに行った。で、毎回家に帰る時になると泣くから、「あっちの家でどんな扱いされてるのか?」と聞かれたこともある笑。

父方の祖母とはママも色々あったようだし、ママから相談……というか、すごく愚痴られたって話も聞いたことがある。

でも聞いた話より、私自身がかなり強烈にやり合ったから、そういう心配されてたのはまぁ間違ってはいない笑。

父方の祖母とのエピソードはこちら▼

私はおばあちゃんのことが大好きだったし、離れて暮らしていても(いるからこそかな?)いつも気にかけてくれてることも、子どもながらに分かっていた。

だから、「ママは本当にバカ。お前を残して死ぬなんて」と言われるたびに、結構……いや、すごく困っていた。

「私」はママのことをちっとも覚えてなかったから、まぁなんていうか、率直に言うと「生まれた時からいなくない??」くらいに遠い人物すぎて、「別に大丈夫よそんな……おばあちゃんにとっては自分の娘なんだし、そんな言い方しなくても……え、無理してない?」みたいな気持ちの方がずっと強かったのだ。

でも、自分が双極性障害という病気になってから(発覚してから?の方が正しいのかな)起きたこと、今現在、自分が「ママ」と呼ばれる存在になったことで、また違う気持ちも出てきた。

「ママにはね、多分それしかなかったんよ」

「いくら血が繋がってても、私とママは違う人間。だからほんとのところは分かんないけど、だからただの想像でしかないんだけど。多分、ほんと、それしかなかったんだよ」

「だから、ママを悪く言う必要は全然ないんだよ」

私のママってほんと、娘が言うのも――しかも、覚えてるわけでもないのに(笑)おかしいんだけど。だけど、なんていうかな、すごい「完璧主義」だった。で、それも行き過ぎてるなって思うほどだから、多分「普通」の感覚の人から見たらすごい「変な人」でもあったと思う。

また別の機会に話そうと思うけど、完璧主義の人って「完璧になりたい人」のことで、実際にはまったくそうじゃなかったりする。

理想は高い(つまり完璧を目指す)けど、何かしらの理由でそれができないことも、自分自身のどこかで分かってる。

でも、いわゆる「そのままの自分を愛する」っていうのができない。

むしろ、「不完全な自分はダメダメなんじゃ?」って思い詰めたりする。

「じゃあ誰かに相談したりすれば?」って話になるだろうと思う。

そんでもってうちのママは、ものすごくおしゃべりなタイプだったらしい。

おじちゃん曰く、「聞いてもないのに彼氏(※当時はまだそうだったパパ)の話を何回も聞かされた。姉貴の恋愛なんか興味ないどころか、むしろ弟からすりゃ聞きたくねーのによ!」ってくらいには(笑)

「なのに、なんで死ぬ前にはなんも言ってくれなったんだ」

このおじちゃんというのは、「一日のうち、酒を飲んでる時間が一番長いんじゃないか?」と思うくらいには、いっつも飲んでいる。いつ電話しても大体飲んでる。

おじちゃんの話はこちら▼

何回も言うけど、「私」はもちろん「ママ」じゃない。

だから分かんないけど。多分なんだけど。まったくの想像でしかないんだけど。

大事な存在だからこそ、不完全な自分を知られたくないというか、迷惑かけたくなかったんだと思う。

なんかこう、ザ・昭和の女?みたいな?

「家庭の一切を取り仕切って、仕事に生きる夫のサポート含め、しっかりキッチリ支えます!」みたいな?タイプだな〜と。もう聞いてるだけで疲れるくらい、ご近所付き合いはもちろん、パパの会社の上司の結婚の世話まで焼いたり。

なんでそういうことになったんだかは忘れたけど、家系図(自分の実家の)を自力で整理したり、その過程で市役所に乗り込んだり……とか、なんかもう色んなことやりすぎ。無理。疲れるに決まってんのよそんな……って感じで、なんかもう「すごいね……」しか感想出てこなかったりもした(笑)

でも、行動の原動力はいつだって自分以外の「誰か」のためだったみたい。

↑これはパパにやっと、ママの話を自分から初めて聞けるようになってからのLINEの内容。もろもろの事情のため、背景は加工してるけど、当時の実際のやりとり。

だから別に、ママも「もう死んでやる!」とか思ってたわけじゃなくて、ほんと、なんかどうしようもなくなっちゃったんだと思う。

でも、そのことをきっと、「私」やパパ、おばあちゃん、おじちゃんたちを見守りながら、ずーっと後悔してると思う。

「私がいたら、こうしてあげられたのに」って。

だから、私はいくら周りがママを悪く言っても(それが私への同情や憐憫の表れだとしても)ママのことを恨んだりすることは今まで一度だってなかった。

小生意気にも、むしろ「分かる。しょうがない時あるよね。そんで、もうそれしかなかったんよね、大丈夫よ」って思って。

だから安心した

話を、また夫・のりんこくんとのやり取りに戻すけども。

私がもし、仮に、いつか自死という方法で死んでしまったとしても。

のりんこくんは、私を責めたりはしないし、うちのお嬢さんに「ママってどんな人だった?」と聞かれても、「私」を否定するようなことは言わないでいてくれるんだろうな、と思った。

「私」はこれまで、私にママがいないこと、ママが死んじゃってることを知ると、たくさんの同情や憐憫を伝えられてきた。その人なりの表し方で。

もちろん、慰めだったと思うし、内容的に他の反応しろというのも無理がある。

でも、別に「私」は自分をかわいそうと思ったことはないし、自分では(精神疾患があることも踏まえた上で)恵まれすぎてるほど恵まれてて、むちゃくちゃハッピーラッキーライフ送ってきてる方だろうとすら思ってる。

なので、ママのことを非難するおばあちゃんの言葉の方にこそ傷ついたくらいだ。いや、おばあちゃんにとって「ママ」は娘なんだから、なぜ、どうしてと何度も自問自答しただろうし、私やパパのことを思ったら申し訳なくて、そういう風にしか言えなかったんだと分かってるけど。

私も今や「ママ」だし「嫁」だし。
だから、分かってるんだけどさ。

でも、一番「マジでやっちまったわどうしよう……」て後悔してるのは、「ママ」本人だと今心から思う。

ものすごく強く、強く。

自分のせいで大切な人たちが苦しんでても、もう見てることしかできない。そんで、「それでも見守ってはいるから!」ってことすら、伝えるすべはない。

世話焼くのが仕事です!!みたいな人だったなら、余計にそうだろうと思う。

まぁ、今もうおばあちゃんもママのところにいるし、祖母もいる(ママはおばあちゃんの強い希望で分骨しているので、実家と嫁ぎ先、両方のお墓に入っている)。

だから、それはそれで忙しくて、「生きてる人たちは生きてる人たちで頑張って!」ってなってる可能性もあるかもだけど(笑)

だから、「私」はのりんこくんが言った「その通りだと思う」に、すごく安心した。

と同時に、分かってもらえてるなら、私は「私」なりの、できる努力をしようとも思えた。

パパもさ、思うこといっぱいあったと思うし、今でもいっぱいあると思う。

当たり前だよね。自分の奥さんは急に死んじゃうし、じゃあ残された娘と頑張ろう!て思ってたのに、自分の母親と「地獄絵図を映し出したのか……?」ってほどに仲悪い。

――って思ったら、娘は自分が聞いたこともないような精神疾患で……って、「もう思うことしか逆にないだろ」っていう。

でも、パパはなんにも言わない。

聞いても、要点のみで「説明」はしない。つまり、あった事実のみを話して、自分の気持ちを教えてくれることはない。

▼私の「パパ」の話

本人は「そんなことない」って言いそうな気もするけど、「私」からすると「ほんと一番教えてほしいところ省くじゃん!?それじゃなんっっっっにも分かんないのよ!!」て毎回思う。ど〜〜でもいいようなやり取りの中でさえも。

どんな精神力してたらそうなれるのか、私には分からない。……いやごめん、ほんとは分かるよ。分かってるよ。「私」にちゃんと、全部話したりなんかできやしないって。

「ま〜〜たどうにかなっちゃうんじゃないの!?言えないよ!怖い!!」てなるよね。

まぁでもとりあえず、「うちの夫の一言に、また救われたなぁ」っていうのが後日談の一番言いたかったことです笑。

そんでさらにその後日談?になるけど、この一連の流れの中で、「……ん?」と思うことがあった。

つぶやきちょろっと言ったんだけど(書きたいと思ったけど、何かに残しとかないとすぐ忘れるから。「今」が大変すぎて)。

↑これ。

「みんな遠慮しすぎて、自分の気持ちとか、今の状況とか、とにかく説明してもいいことを省きすぎじゃない?」

多分、ちゃんと「説明」したら起きないで済む擦れ違いって、自分が思ってるよりもずっとたくさんあるんじゃない?って思った。

だから次は、それを書いていこうと思う。

これまでのこととか、「私」がどういう人なのか?ここら辺を読んでもらえるといいかなと思います!↓

※余談というか、思ったこと↓

しかし、最後にnote書いてからまた書き始めるまでの……大体4年くらい?に、色々あったなぁ……。

当時書こうとしてた下書きの数々をチェックしながら、当時と「今」とで比較しながら、それらもちゃんと残していけたらなと思う。

私という「個」を応援してくださると嬉しいです。このnoteで行っていきたいあなたの「進化」のお手伝いにて、恩返しできればと思います。