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【短編小説】鏡に星が映るまで

 川面に間抜けな顔が映る。
 こんなものを映したって仕方がないのに。なら覗かなきゃいいだろうという話だが、橋の真ん中で、欄干にもたれる行為をやめる気にはならなかった。
 少し首を回転させ、夜空を見上げたが、しばらくして目線を戻す。一面に厚い雲が広がっていた。これでは星は映らない。
 次に星が映るのはいつだろう。
 映るのは、見たことのある顔ばかりだ。
 私に雲を消すことなんて出来はしない。出来るのは、ただ下を向くだけ。いつ届くか、そもそも届くかもわからない何かを、じっと待っている。
 私はこの橋を渡り切らず、引き返す。これだっていつものこと。
 少し立ち止まり、振り返る。橋の向こうには、何も見えはしなかった。

 フィクションという言葉がある。事実に基づいているか否かで、書物を区別するための言葉だそうだ。
 この書店では、フィクションかどうかで本を分けたりはしていない。この時代、目の前の文章が、空想の産物であるかを見分けることはさして重要ではないからだ。好きなように本を並べる。これくらい、本屋の主人としてワガママを言ってもいいだろう。
 私は古びた重いシャッターをよろよろと持ち上げ、開店準備を始める。
 この書店は、川沿いの古びれた倉庫街の端にある。何故こんなところにあるのかと言われても、私は答えることはできないし、訊かれたこともない。
 そもそも何故私がこんな書店にいるのかも、よく覚えていない。ずっと前に、誰かにそうしてほしいと頼まれた気がするけど、どうだっただろうか。もしかしたら、この記憶も、そもそもこの書店の存在自体が、私の妄想なのかもしれない。いや、そんな機能は私にはないはずだけれど。
 こうして物思いに耽っていると、ガラス張りの扉を通して、ちらりと影が床に映る。
 ああ、またか。
 迷子。
 時々、橋の向こうからふらりと現れることがある。
 気まぐれさは、まるで猫のよう。
 その猫は、扉の前を行ったり来たりしては、窓からじーっと店内の様子を伺ったりと、落ち着きがない。どうやら店に入るか尻込みしているらしい。そんなに怪しいお店に見えるのだろうか。見えるのだろうな。
 経営者としてはいらっしゃいと呼び込んで、手厚く歓迎するべきだろうが、生憎私にはその才覚もやる気もない。猫はそっとしておくに限るのだ。
 何分経っただろうか、カランコロンと扉が鳴る。
 今回の迷子は、小さなお客さんだった。
 キョロキョロと店内を見回し、恐る恐る歩き始めたのは、偏見かもしれないが、聡明そうな少女だった。
「ここ、本当に本屋さんだったんだ。怪しい倉庫かと思っちゃった」
 ひとりごとを言いながら、少女は本棚を眺め始める。
 今回は、何分で出ていくだろう。
 大抵の場合、お客さんは間違えたという認識を醸し出し、慌てて出ていく。私の存在に気づいた人は、何か買わないことには書店からは出られないと思うのか――私としては、別にそんなつもりもないし、声をかけるわけでもない。ただ見ているだけである――比較的安価な、自動生成された作品を手に取り、会計を済ませて出ていく。毎度有難い話ではあるが、もう少しゆっくりしていって構わないのに。紙の本を眺めて過ごすことができる環境は、他にはそうないと思うのだが。
 しかし私の想像とは異なって、少女はすぐに出ていくこともなければ、すぐにレジに本を持ってくることもなかった。ああでもないこうでもないとブツブツ言いながら、店内をうろちょろしてしばらく経つ。人気者であるはずの自動生成された書物の棚には大して目をくれず。そうこうしてると、隅にある本棚から離れなくなった。
「本当にあったんだこの本……。いやでもこっちも捨てがたいし。ああどれにしよう、え、こっちのってまさか」
 相変わらずひとりごとを呟きながら本棚に熱い視線を投げかけている。正直怖い。
 でも、久しぶりに見た。
 あの目の輝き。それはなんだか、厚い雲をも貫く、目映い光のようで――。
「あの、これ、買います
 何冊もの本を抱えた少女が、目の前に立っていた。

 彼女はその小さな身体では溢れそうになっている本をカウンターに置き、ふぅと息をつく。そして気付いたように、私たちしかいない店内を見渡す。
「お姉ちゃん、ひとりなの」
 お姉ちゃん。私のことか。
「うん、そうだよ」
「わたし、橋の向こうから来たの」
 知っている。迷子はいつも、あの橋を渡ってしまうから、迷子になるのだ。
 彼女は置いてあるハードカバーの表紙を、そっと撫でる。
「珍しいね」
「え?」
 私は思わず、心に浮かんだことをそのまま言ってしまう。
「あー、わざわざ紙の本だなんて。しかも、新刊ではないし」
 仮にも書店員が何を言ってるんだ、という話だが、不思議ではあった。
 今時、電子版のほうが断然安価だし、保管コストも生じる。加えて、これらは読みやすい、おもしろい、買いやすいと太鼓判を押される自動生成作品ではない。人間が執筆していた頃の作品だから、不正確な描写に、所謂当たり外れもある。その本は、自らの嗜好を分析し、生成されたわけではないのだ。
 しかしながら、少女は一瞬怪訝な顔をしたあと、当然のように答えた。
「だって、せっかくだったら紙で読みたいから」
 ほうほう。それはそれは。
 少女は一度カウンターに置いた本を再び手に取り、流れるように続ける。ギアが入ったようだった。
「この短編集の作家さんは他にも長編を出してるけど、それは翻訳されてないから電子版の機械翻訳で読むしかない。でも原語版を読むのが一番なんだろうな。それにしてもこの短編集は表紙のデザインからいいもんね。やっぱり紙で見ると違うなぁ。おじいちゃんが持ってる文庫版もよかったけど、こっちは赤の発色がよくて」
「おじいちゃんがいるんだ」
 私は、流れをぶった切って気になることを言ってみた。この子には、そのほうがよさそうだ。
「え、うん」
 我に返ったように、少女はうなずく。
「おじいちゃんが、そんなに紙の本が欲しいなら、橋の向こうに本屋さんがあるから、行ってみるといいって」
 なんと。このお店の存在を知っている人間がいたとは。経営者冥利に尽きる。このお店、知名度とリピーターの無さには自信がある。新規客ばかりしか来ないのが万年の悩みなのだ。
「ひとりで来たんだね」
「ひとりになるのは好き。いっぱい本があるところなら、なおさら」
 彼女は心底嬉しそうに答えた。
「自動生成作品は、あまり好きではないみたい」
 私はあまり考えず、思ったことを言ってみる。
 少女は俯いて、答えを探しているようだった。少しして、顔を上げて言った。
「自動生成のものは、その、読みやすいし、面白いけれど、なんでこの本を書いたんだろうっていうのが読んでもよくわからないから」
「この本は、歪なところもきっとあるとは思うけれど、わたしは、それでいいと思う。書いた人の気持ちが、わかるような気がする」
「なぜ、自動作成作品なんてあるんだろう」
 少女は、話終わってから、あっ、と気づいたように、「その、本屋さんでは言いづらいけど」と付け加えた。もう全部言ってると思うよ。
 自動作成作品は、少女が言った通り、書いた人の気持ちなんて、当然表現されない。そもそも人が書いたものではない。人間が小説を書かなくなって、しばらく経つ。作家と呼ばれる人間は、緩やかに、ひとり、またひとりと消えていった。人間が書くより、機械が書くほうが上手で面白い。人間が他人を理解するよりも、機械が人間を分析し、需要を満たしてみせるほうが、正確で、採算が取れる。娯楽は、時代背景に合わせて常に変化してきた。問題があるわけでもない。出版社と作家、書店と読者。それらが少々形が変わるだけだ。創作に用いるリソースを機械が肩代わりしてくれる。作る側に立つ苦しさを、味わわずに済む。
 自動作成という技術が生まれたのは、きっかけに過ぎなかったのかもしれないが、本当のところは私にはわからない。人類は、作るという行為を忘れてしまったのだとは思う。ただ待っていれば、欲しいものが届く。そんな生活に慣れてしまった。その技術は、文化は、誰か作っていたのだということを、意識しなくなったのだろう。
 最近は、外に出る人間も減った。与えられたスペースで、手元に届いた物質や、情報を、取捨選択することなく、そのまま用いればいい。考えるのは、機械がやってくれる。そういう風に、世界を作ったのだから。
 この書店を作り、私を作った誰かは、誰のためにこんな酔狂なことをしたのだろう。明らかに変わり者だ。人間は、自分たちとは異なる者を取り除く習性がある。まぁ、私には関係ない話なのだけれど。
 しかしながら、目の前の少女は、私と同類というわけでもないようだった。彼女は、そう、昔見たことのある人間とよく似ている。私を作った誰かさんのようだ。
「何故、本が好きなの」私は尋ねる。
 少女の視線が私を貫く。
「わたし、物語を書いてみたいの」
 少女はまた、突拍子もないことを言い出した。
「まだこの本のように書けるか、自信はないし、いいアイデアも思いついてないんだけど。それに、読んでくれる人もいないし」
 少女は、持っていた本を抱きしめた。
「でも、書いてみたいな」
 ああ、この目だ、と思う。
 私は窓の方へ視線を移し、遠くに見える橋を見る。
 私には、あの橋を渡る機能は搭載されていない。できるのは、ここでずっと誰かを待って、本を売るだけなのだ。
「お姉ちゃん、知ってる? いつ頃までかはわからないけど、あの橋って、かちどき橋って呼ばれてたそうよ。変な名前よね」
「どうして?」
「勝ち鬨って、何かに勝利したときにあげる声のことでしょ。そんな得体の知れないものを、何で橋の名前にするのよ。昔の人は、よっぽど勝ち負けにこだわっていたということかしら」
「よく知ってるね」
彼女は当然だと言わんばかりに、ふふんと笑顔を浮かべる。
「だって、本で読んだから」
「わたし、あの橋は好き。変な名前してるし、大して誰も通ってないけど。ずっと昔からそこにあるんだもの」
 あの橋がなかったら、わたしはここに来られないし。
 彼女は目を逸らしながら、口を窄める。勝ち鬨とはもしかして、こういうときにあげるのかもしれない。
「で、どの本にするの?」
 尋ねると、少女はもじもじと下を向いた。
「……紙の本って、意外と高いのね」
 私は笑った。
「わかったわかった、じゃあ貸してあげるってことでどうかな」
「え、でも」
「いいよいいよ、その代わりだけどさ」
「もし、書けたら、私に読ませてくれないかな、君の作った物語を」
 少女は、これでもかと目を輝かせて、私に言った。
「待ってて。絶対、また来るから」

 閉店時間になった。私は、お店の扉を締めて、奥の倉庫に向かう。今日経験したことを、他の区域で行動している”私”と同期させるためだ。椅子型の装置に腰掛け、私の背面にあるプラグにケーブル類を接続する。今回は少々、時間がかかりそうだった。
 私という端末は、言わば観測機器だ。人間は基本的に外出しなくなったが、変質した人間が、住居スペースから出て、彷徨っていることが時々ある。私は、そんな人間を観察するため、この書店を経営している、ということになっている。数は少なくなったが、人間の行動や思考を記録し、それらを保存する。データは蓄積され、いつしか人間に還元されていく。自動作成作品だってそのひとつだ。何故、私がヒトの形をしているのかはわからないが、人間を観測するためには、そのほうが都合が良いのかもしれない。人間は自身と異なるものには警戒し、近づかない。思考を読み取るには、直接対話するに限るのだ。もしかしたら、単に作った人間の趣味なのかもしれないけれど。
 データの伝送が終われば、もう一度、あの橋に行くだろう。
 今日は曇っているだろうか。それとも晴れているだろうか。私にそれを予測する機能はない。そんなことは観測しなくてはわからないのだ。
 鏡に星が映るまで。
 私はもう少し、待っていようと思う。

                               終わり


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