指輪の物語 第3章
第10話 新たなる指輪
翌月早々、突然、S部長から、P子、Lさんらと打ち合わせするので出て欲しいと連絡があった。
会議室に入ると、S部長、P子、Lさん、そして初めて見る顔の若い女性がいた。
「この方はプロの漫画家で多くの賞を受賞された△さんです」と満面の笑みのP子が、その若い女性を紹介した。
軽く挨拶をすると「今後、彼女とコンテンツを作っていきます」とP子。
は?
P子は、いつものドヤ顔で、今までのものをリセットしゼロスタートするから、今後は彼女とゼロからコンテンツを作る、と。
ツールは?と聞くと、今までのツールを使う、と。
はぁ?やっぱりゼロからスタートじゃん。Lさん、俺、全然、誤解してねーじゃんよ。
「それで、神春さん、あの作業部屋は私と彼女が使うから出て行ってください」
「もう、帰っていいですよ」とP子がアッサリと俺に言い放った。
会議室から出るとS部長が追いかけてきた。
「神春さんは、従来通り、目標とするコンテンツなど、とにかくやりたいことを考えてまとめてください」
「案件から外れてもらうとかそういうのではないですから。あくまでも神春さんが軸ですから」と言い残し会議室へ戻って行った。
なんか、よく分からんが、まあ、いいか。
ふぅ・・・
大きな安堵のため息が出た。
P子は新しい指輪を得て、これで俺は彼女から解放されたのだ。
もちろん、P子が、この新しく参加した漫画家さんとコンテンツをまともに作れるとは思ってはいない。
いや、ひょっとしたら漫画家さんだけなら作れるかもしれない。
が、P子の指示でとなると無理だろう。なぜなら、それが失敗したので俺が参加したわけで。
作業部屋に行き、自分が作ったデータ関係すべてを消去した。
本当に大切なデータは会社には無い。すべて自宅と俺の脳内にある。だが、断片を集められ変に改ざんされては困る。
さっそく、仲の良い社員らに飲みに行こうと声をかけた。
この日のビールは、本当に美味かった。
在宅作業も2週間が経った頃、Lさんからメールが来た。
漫画家からのメールを転送メールにし、Lさんがコメントを付けたものだった。CCにはP子とS部長が入っていた。
『このたびはお力になれず、またご期待に添えることができず大変申し訳ございませんでした。P子様はじめ皆様にご迷惑をおかけしたことからギャランティは受け取ることができませんし、日割りでの支払いとご提案を頂きましたが、改めて辞退いたします。また、連日の電話、メールなどのご連絡はお止め願えればと思います』・・・と書かれていた。
なんだ、これ?
この転送メールに、俺宛に、明後日、打ち合わせをしたいので参加してくださいと書かれていた。
するとLさんから電話が。
「さっき送ったメール、破棄してください」
は?
「あのメールは見なかったことにしてください」
いや、もう、遅いし。
「P子が、なんでこんなメールを送ったんだとキレちゃって」
んなもん、知らんがな。
というか、俺に状況を知らせるために意図して送ったんじゃなかったのか。
打ち合わせも無しですねと聞くと、打ち合わせはやる、と。
何の打ち合わせをやるんですか?
「P子がピンチなんで、そこをどう僕らがフォローするかです」
はぁ?ピンチ?
知らねーよ、そんなの。なんで、俺がフォローしなきゃならんの?
「チームですから」
漫画家さんがいるでしょ?
「いや、ですから、辞めちゃったので」
なんで、辞めちゃったの?
「漫画家さん、P子のオーダーに応えられなくて潰れちゃったんです」
「心理学の専門書を読んでレポート出せと迫ったり、ファミレスで実際にホールやれとか、漫画家さんの出すネタにダメ出ししまくったりで」
「僕も、ちょっとやりすぎかなあって思ったんですけどね」
あー、やっぱり、そのパターンか。
というか、やりすぎと思ったら止めろよ。
新しい人を探したら、どうですか?
「S部長から止められました」
笑った。
「だから、P子と僕と神春さんはチームということで」
はぁ?だからじゃねーよ、知らねーよ、そんなチームなんて。勝手に決めんなよ。
黙っていると「よろしくお願いします」と一方的に言われ電話を切られた。
漫画家さんはP子の過剰な要求に耐えられず逃げてしまったのだ。
P子の新しい指輪は圧によりヒビが入り彼女の指から外れ落ちてしまったのだった。
さて、これから、どうなるのか・・・と考えているとS部長から電話があり、打ち合わせに出て欲しい、と。
何の打ち合わせをするのか聞くと、今後の事で重要だ、と。
第11話 卵焼きの味
打ち合わせ当日、電車が事故で遅延したため、遅れてしまった。
会議室に入ると、すでにP子、S部長、Lさんの3人が座っていた。
「嫌々だから、わざと遅れてきたんでしょ!」と、突然、P子が俺に向かって怒鳴った。
はぁ?プツっと血管が切れた。
じゃあ、帰ります。と言うとS部長がなぜか「すみません」と俺に謝った。
「ざまあみろって思ってるんでしょ!」とP子が立て続けに意味不明な悪態をついた。
なんなんだ、こいつは。
ムカついたので、今日は、そういう話し合いなんですか?とS部長に聞くと、違います、と。
今後の展開について話し合います、とLさん。
突然、バンっとテーブルに紙が入ったファイルを叩きつけたP子が甲高い声で喋り始めた。
お客さんの行動心理がどうとか、卵焼きの味がどうとか、これは心理学上どうとか延々とよく分からないことを喋り続けた。
S部長は居眠りをはじめ、Lさんはウンウンと笑顔で相槌を打つもタイミングが適当。
喋り終わると、P子は満足そうな顔でドスンと座った。その衝撃でハっと起きるS部長。
「神春さんの意見は?」とP子が聞いて来た。
何を言っているのか分からない・・・とは言わず、自分には高度なことのようなので、よく分からないと答えた。
「どうして、そう、非協力的なんですか!」
はぁ?え?なんで、そっちになるわけ?
「とりあえず、神春さんはそのまま進めて、P子は、その心理学を考えて云々」と終わらせに入ったS部長。
「ダメです!神春さんは今から客の行動心理を私と一緒に考えてもらいます」とP子。
だから、なんで、俺なわけ?
「コンテンツ制作に必要だからです!」
だから、なんで、あんたが勝手に決めんのよ。
良く分からなかったから、もう一度、説明してくれと言うと、大袈裟にヤレヤレといった顔で、行動心理学とか卵焼きがどうとか座席の位置が何とかを喋り始めた。
一応、理解しようとはしているのだが、本当に何を言っているのか分からない。しかも、さっきは無かった座席がどうとか追加されてるし。
Lさんはさっきと変らず笑顔で適当なタイミングで相槌。S部長は、またスマホを見ている。
「・・・以上です!」とドヤ顔のP子。
毎回思うのだが、彼女のこのドヤ顔は何を根拠にして出来るのだろうか。
やはり、良く分からないので要点を箇条書きで構わないから、提案を文章でくださいと言うと、なぜか、突然、P子がボロボロと涙を流し泣き始めた。
なんなんだよ・・・
結局、S部長がP子に要点をまとめてレポートで出すかどうか考えるようにと解散となった。
まったく意味不明理解不能な時間だった。頭に残ったのは、突然出てきた卵焼きの単語だけ。今も、卵焼きと心理学、なんの関係があるのか、さっぱり分からない。
これから、こんな意味不明理解不能な時間を何度も繰り返していくのだろうか。こんな無駄な時間を過ごさなければならないのだろうか。
少しでも作業を進めたいのに…
以前、失敗したらP子のせいにすれば良いとS部長は言った。だが、そうはならない。
最終的に形として見えるのはコンテンツだから。その見えるコンテンツは俺が作るのだから。
第12話 勉強会?
ふたたび俺は作業部屋に。
机の上には心理学とかの分厚い本が数冊、児童心理なんちゃらとか幼児なんちゃらとか育児とかwebからかプリントアウトされた紙が大量に積まれていた。
漫画家さん、こんなのを読めと言われたのか・・・
パラパラっと本をめくった。うひゃー、こんなん、難しくて読めねーよ!
プリントアウトした紙も見た。びっしりとテキストが記されてて、しかも字が小さい。
改めて漫画家さんが可哀相になってきた。
彼女は彼女なりにP子のリクエストに応えるため頑張ったのだろう。
だが、P子がまともな指示なぞ出せるわけもない。さらに俺に対する鞘当もありプレッシャーをかけまくったのだろう。
第一、こんな大学で使う研究者用の心理学だのの本なんか、一般人が読んで理解するのに何年かかるんだよ。
もちろん、P子も読んでいない。読んでいたのなら、もっとドヤ顔するからだ。
ただでさえ使いづらいツールの使い方を覚え、そして、こんな意味不明な本を読まされP子が気に入るコンテンツを作れって無理だろ。
本当に漫画家さんが可哀相だと思うと同時にP子に対し腹が立ってきた。
社員らから漫画家が逃げた話が耳に入ってくるようになった。
漫画家が辞めた後もP子自身が漫画家がいかに酷かったかを喧伝しているのだ。
「こんなにも懇親丁寧に対応してあげたのに漫画家が一方的に裏切った」
「電話しても出ない、折り返しも無い、メールも無視する」
「洗濯していないから服が臭い」
「女なのに外見を意識していない」
「勉強ができないから私(P子)の言ってることが理解できない」
「漫画の賞なんてたいしたことない」
・・・等々。
漫画家の悪口を言う事で自己防衛しているのだろうか。
それにしても、ここまで言うのか?と。
Lさんからメールが来た。
しばらくは忙しいので神春さんの対応できません。と書かれていた。
2週間ほど経った頃、S部長から、来週、店舗運営部署やら広報やらマーケ、メニュー開発部署やらの管理職や社員を集めて勉強会をやるから出席して欲しいと連絡が来た。
俺は、ただ見ているだけで良いと。
これが、超ぶっ飛びな脊髄が引き抜かれるかのような勉強会だった。
大きな会議室には自分を含め30名ほど。前方にスクリーンがあり、その横にP子とLさん、そして、少し離れたところにS部長が座っていた。
自分は一番後ろの席に座った。
スクリーンには厚労省だか文科省だかの食事や育児、保育に関するデータが映され、P子が簡単に説明し、そして、外食産業のこれからというテーマで話し出した。
「では、今日の本題。私からの提案です!」と満面の笑みで周囲を見渡すP子。
「小さい子供、幼児は冷たい麺を素手で食べるのが好きです!」
え?急に、どうした?
シーンとする会議室。P子は満面の笑みでドヤ顔。
一番後ろに座る俺の前にズラリと座る社員らの頭上にいくつもの?が浮かんでいるのが分かった。
数名の社員や管理職がチラチラと一番後ろに座る俺を見る。
な、なんで、俺を見るんだ?
P子は、会議室内の微妙な空気なぞ気にもせず続けた。
「冷たい麺だからこそ素手で掴めるんです!」
いや、それは、その通りなんだけど・・・
提案として幼児向けに冷たい麵をメニューに入れろということか?という声が出た。
「そこまで言ってませんし、それを考えるのがみなさんのお仕事かと」
えー!さっき、提案ですって言ったじゃん!
ピキピキっと会議室内の空気が緊張した。
ハンバーグに特化したファミレスで、冷たい麺というのは、どうなのか?という質問が飛んだ。
「ハンバーグも冷やすというのはどうでしょうか?」
「ビーフシチューも手ですくって食べられるように冷たくすると売れると思います!」
もう、無茶苦茶だ・・・
素手で麺とか食べられるとテーブルが普通以上に汚れるし床も汚す。片付けるのが大変だ。という声が出た。
「それは、良い指摘です!ハッキリ言って考えていませんでした」
「でも、バイトが掃除をすれば良いだけですよね?」
カチカチに凍った室内の空気にピシっと亀裂が入った。
今日の勉強会はセカンドシーズンのコンテンツの解説をするのではなかったのか?と声が。
え?そうなの?
数人が振り返って俺を見る。俺は両手を軽く開いて首を小さく振った。
「コンテンツは、まだ、何も決まっていません」とニコニコ笑顔のLさん。
「コンテンツよりも、まずは、行動心理学を取り入れた店舗のサービス、そしてメニュー開発です!」とP子。
シンっとなる大会議室。
店舗運営、メニュー開発に長年携わった社員らからすれば、これ、キレるだろ。
案の定、あちこちからため息や聞き取れない低い声の呟きが出ていた。
どれほどの沈黙の時間が経っただろうか。3秒か1分か。
その時、ドダダダ!っと音がした。前方のスクリーンが床に落ちたのだ。
Lさんの設置が甘かったのだ。
ちなみに、このLさん、設置設計が役割なんだけど、必ずと言っていい程、ミスをする。
この音を合図に席を立ち出ていく社員ら。
店舗運営、広報、メニュー開発の顔見知りの社員が俺のところに来た。
今日の、これ、なんだったの?と俺に聞いてきたので、勉強会と聞いてるだけで俺も分からないと答えた。
コンテンツについては、現在、ツールとデバイスの再検討をしていると誤魔化した。
そこへP子が来た。
「神春さん、勝手なことを言わないでください!」
S部長が慌てて俺のところに来て、今日は勉強会だからと周囲の社員らに答えた。
いや、だから、何の勉強会なんだ?という顔の社員ら。
というか勉強会にもなってないし。
チラっとP子を見ると涙目に。そしてすぐにポロポロと涙が落ちた。
ああ、泣きハラだ・・・
とにかく、急いでこの場を離れねば。足早に会議室を出た。
作業部屋に戻る途中、Lさんから電話が。
「チームワークが乱れるので勝手なことを言わないでください」と言って来た。
勝手もなにも・・・
第13話 メロンの切り分けショー
翌週も、この謎の勉強会が開かれた。今回は出てくれとは言われていないが顔を出すことに。
前回同様、一番、後ろの席に座った。
前回よりも人数が少ない。半分以下だ。
ん?P子とLさんはいるがS部長が居ない・・・
「申し訳ありません!前回、大切なことを言い忘れていました」
「幼児向けには冷たい麺を提案しましたが、子供はケチャップが好きなので(冷たい麺の)調味料はケチャップを使うようにしましょう!」
開始早々、空気が固まった。
が、今のP子に固まった空気なぞ関係ない。満面の笑みで社員らを見渡した。
「私たちは、さらにお客さんの行動指向を調査しました!」
「今、マグロの解体ショーが人気です!」
「そこで・・・メロンの切り分けショーを提案します!」
「これは、私の母のアイデアです!」
ドヤァァァなP子。その隣で大きく何度も頷く笑顔のLさん。
会議室内は唖然茫然な空気に。
前回と異なり誰もツッコまなかった。いや、ツッコめなかった。
まさか、まさかのメロンの切り分けショーだ。
俺は例えP子の母親のアイデアとはいえ否定はしない。
ファミレスでメロンの切り分けショー、想像しただけで面白いじゃないか!
突如、店内の照明が消え、スポットライトがビン!と切り分け師に。
メロンを空中に投げ、長く鋭い刃をスっと抜き、サササ!っと。切り分けられた厚さ3ミリのメロンが客席に置かれた皿にスタタタって一切れずつ乗る。
凄い!
で、切り分け師、誰がやるんだ?てか、いるのか、そんな人。バイトの人をトレーニングして切り分け師にするのか?
まさか、ただ、お客さんの前で無言でメロンを切り分けるだけなのか?
それはそれでシュールな光景、見たいかも。
沈黙の時間が過ぎるのみだった。
なぜ、沈黙状態なのか分からないP子は照れ笑いのような顔で、またもや卵焼きの味の話をしはじめたと同時に数人の社員が立ちあがり会議室から出て行き、それに続き、皆、無言で出て行った。俺も皆に続き退室した。
俺の背筋は凍った。もし、俺がP子の打ち合わせに出ていたら、あの会議室でP子とLさんの横に座り、俺も前代未聞のメロンの切り分けショーを提案した一人になり、晒し者になっていたのだ。
この意味不明な勉強会、3回目は統計についてという議題だった。
俺は出なかったが参加した社員から聞くと、子供が嫌いな野菜は何か?からのお得意の卵焼きの味と、なぜか、ケチャップの歴史、メロンの種類を語り、統計とは無関係な理解不能・意味不明な時間だったようだ。
この勉強会と称されるもの。いったい、どんな経緯で決まったのか?何の効果を求めたのか?今でもさっぱり分からない。
第14話 次々と去る者たち
謎の勉強会後、俺は独りツールの改修点を調べ、大方、まとめ終わった。次はデバイスか。
電話が鳴った。Lさんだ。
予想通り、打ち合わせがしたいというものだった。そして相変わらず議題、論点が無い。
S部長が出席するなら出ると答えた。
こうして、また、4人で打ち合わせとなった。
児童心理学が云々と良く分からないというかP子本人も明らかに分かっていない簡単な説明もどきの後、ケチャップとかメロンの味覚がどうとかになり、4人家族のテーブルの座り位置、またしても卵焼きの味云々。
すべての論点らしきものが繋がっていないし、突然、思い付いたのか別の話題に進む。相変わらず、何を言っているのか分からない。
S部長は忙しくスマホで何かメールを打っていた。Lさんはいつも通り、大きく頷いていた。
「神春さん、何か意見は?」とP子が聞いて来た。
難易度が高く理解が追い付かない、何がポイントかをまとめてレポートにして欲しいと言うと、真面目に聞いていれば分かるはず!と怒鳴った。
Lさんが大きく頷いたので、Lさんは理解できているようなので、Lさんがまとめてレポート提出したらどうですか?と振ると黙って俯いてしまった。
じゃあ、誰がまとめるの?と言うと、P子が「神春さん」と。
はぁぁぁ?まったく訳が分からない。
どうして俺がP子の考えをまとめなきゃならんの?と聞くと、それが、あなたの仕事だからと答えた。
いや、それ、俺の仕事じゃないよ。どうなんですか?とS部長に振った。
それまで黙ったままスマホをいじっていたS部長が、P子に提案をまとめてレポートにし全員にメールするようにと指示し、次の打ち合わせがあるからと強制解散させた。
嗚呼、また、無益どころか無駄以上の時間だった・・・
仲の良かった社員の一人が退職することになり送別会に出ることになった。
無論、この席にP子もLさんもS部長もいない。
いったい何が原因で辞めるのか?
S部長の失敗を押し付けられたJさんの部下だった彼。
S部長から言いがかりレベルの文句を毎日のようにネチネチと言われ、経費精算の書類も押印拒否されたり、そしてP子のデマ攻撃で、もう、限界だということだった。
ちなみに、今回、退職したのは彼だけでなく彼の先輩も有休消化中で、来月、退職する予定だった。
中国やシンガポール、台湾などの外国人社員も、次々と辞めていく予定だそうだ。
もう、この部署、ダメだろ・・・
俺の案件以外にも15人程の社員や業務委託者が外食に関わる事業研究をしている。
優秀な人も多い。コンテンツ内容の良いネタになる研究をしている博学な人も多い。マスター、ドクターもいる。
だが、次々と辞めていったり休職する人が出てくる。
原因は明らかにS部長の意地悪とP子を先頭に数人のS部長の手下のクソ社員らのデマ、スパイなどの足引っ張りだ。
人事に訴える人もいる。だが、会社は放置か、嫌なら辞めろ、だ。
1人、俺と同じ業務委託の男性がいる。まさにガンダルフのような感じの70歳ぐらいの人で、みんな長老と呼んでいる。
超大手企業で研究一筋だったガンダルフは社長の依頼を受け、ここにいる。以前、S部長やP子の問題を社長や人事部長に訴えたそうだが何もなかったそうだ。
この送別会の席でガンダルフが俺に、何かあれば、どれだけ力になれるか分からないが相談してくれと言われた。
少し、救われた感じだった。
第15話 超能力
とりあえず、1期分の目標だった各種レポートが出来た。
S部長宛にpdfを添付したメールを出した。
ぶっちゃけ、返事があろうが無かろうがどうでも良かった。これ以外の方法論が部長やLさん、ましてやP子が出せるはずがないわけで。
一応、安心材料としてS部長らへメール送信前に広報と店舗運営の社員らからは内密にOK貰っている。
メール送信後、珍しくS部長から電話があった。
早口で、ちょっと待ってくれ、しばらくはスローペースで進めてくれと言い電話が切れた。
この時、彼自身が直接指揮する海外の案件が頓挫しかけていたのだ。
これが失敗すると彼自身の立場が危ういほどに。
そんな時、総務の知り合いの若い女性社員2人が作業部屋に来た。
親が働く職場に子供らを呼ぶ夏休みの行事、子供参観日というイベントがあるので、そこで俺が以前作ったデバイスコンテンツを見せたらどうか?というものだった。
彼女たちは、以前、モニタリングに協力してくれていて、俺のコンテンツのファンだったからイチオシしたい、と。
他人にコンテンツを見せ、その反応を知りたい。企画屋の欲求で一番強いものだ。
前回のコンテンツを改良し、もっと驚くようなことができるのも考えていて、実はテストコンテンツとして、一部、作っていた。
慣れない会社内を見学し緊張もしているだろうから、子供らの緊張を解く意味もあり、お昼休み直前か直後に見学時間を設定して欲しい、そして、当日、あらかじめ台本を書くから司会的な事をして欲しいと条件を付けた。
彼女らは二つ返事で受けてくれた。
1人は自分の息子が参加するので喜び、任せてください、協力できることに嬉しいとまで言ってくれた。
ただ、俺一人が勝手に決めるわけにはいかないので、S部長にこの子供参観日に参加したいと連絡すると、ぜひ、進めてくれ、必要なものがあれば何でも言って欲しいと返信が来た。
さっそく、作りかけのテストコンテンツのシナリオを書き直し、そして、今回は音を効果的に使いたいから、サウンドテストをすることに。
久しぶりに楽しい作業だ。とにかくウザいP子やらを忘れられる。
何十回もテストする。
デバイスからの音がおかしい。スピーカーの調子が悪いようだ。予備のデバイスを使うしかない。
さっそくS部長に連絡すると手配すると返信。
夕方、P子から長文のメールが。
『予備デバイスは貸せません。貸してもらいたいのなら、誠意を持った対応をしてください・・・略・・・いいですか?私は店舗の防犯ビデオ36時間すべて見ました。そこで発見があったのです!あーんなにも、こーんなにも見落としていたことが多々あったのです。神春さんは見ていません。だから、ダメなんです。発見、それは進歩です・・・略・・・今回の子供参観の実施はさせません』
な、なんじゃ、こりゃ!仕事のメールで、あーんなにも、こーんなにもって・・・
この狂った彼女からのメール、どう反応して良いのか分からない。
すぐに、もう1通、彼女からメールが。
どんなコンテンツをやるのか詳細に教えろ。思想、意義、それを見た子供たちの心理効果予測を示せ、と。
眩暈がした・・・
さらに、すぐ、もう1通メールが。
『私には長年培った特殊な能力があります。私は神春さんの心が読めます。心の隅から隅まで手に取るように分かります。神春さんの事は、全部、分かっています。すべて読めます。総務の若い女に誘われ下心を持ち、よこまし(たぶん邪と書きたかったのだろう)なことを考えているのが手に取って分かります。もっと純粋な気持ち、感謝の気持ちを持って仕事をしてはいかがですか?』
な、なんだ、この妄想炸裂な気狂いメールは・・・背筋が凍った。
自称超能力者かよ・・・ガチで狂ってやがる。
すぐに追加のメールが来た。
『先ほどのメールを読み、少しは反省したようですね。反省したのなら、すぐに私に謝罪し、今後のことを話し合いましょう』
周囲の風景がグンニャリと歪んだ。脳が、まるで水飴のように溶け耳や鼻からタラリと流れ落ちそうな感じだった。
そして、俺は恐怖した。
このメールにあるように彼女の妄想からデマが作られることだ。そう、最狂のデマがこの気狂いじみた妄想から生まれるのだ。
SNSなどで国籍透視能力を持つと自認する人がいたりするが、リアル社会で本当に存在するとは、しかも、こんなに近くにいるとは思っていなかった。
第16話 確信
無視して家に帰ると、スマホにS部長からメールが来ていた。
なぜ、P子に返信しないのですか?デバイスは要らないのですか?と。
さっそく、意味不明なメールのため、どのように返信して良いか分かりません、考える時間をくださいと返した。
シクシクと横っ腹が、ぐぅゅーっと両こめかみが痛い。
焼酎を飲んでも寝られない・・・ウトウトとするも、あの気狂いP子の声が聞こえ、目が覚めてしまう。
翌朝、重い足取りで出社し、メールチェックをすると、2通、P子からメールが入っていた。
送信時間を見ると午前4時だった・・・
内容は2通とも、急ぎ返信しろというものだった。2通目には神春のせいで心が病んで寝られないとも書かれていた。
寝られなかったのは、こっちだ!ふざけんな!
とりあえず、詳細は決まっていない、新規作成の優先度は低いので既存のコンテンツを改変するかもしれない。何れにせよ子供らにはインタラクティブ無しで提示する予定と返信すると、
なぜ、インタラクティブが無いのか?それではダメだと来たので、子供の人数が多いので公平性が必要と返信。
返事は無かった。
その日は、現状打破するにはどうするかばかり考え、もう、作業どころじゃなかった。
なんで、普通に仕事ができんのだ?
なんで、俺がP子のお遊びに付き合わねばならんのだ?
なんで、プロに任せると云いながら、途中で、いや、最初から口を出すんだ?
この会社はなんなんだ?
店舗じゃワンオペで踏ん張ってるバイトがいる。その上にはこんな無能以下の社員が遊び感覚でメロンの切り分けショーとかドヤ顔でアピールし他人の仕事の邪魔をしている。
腹が立つ、そして鬱になる。
ダメだ!もう、脳みそに電気が走らない!
もういいや、どうでもいいやという気分になり会社を出た。
帰宅しボーっとしていると、スマホにS部長からメールが来た。
「なぜ、インタラクティブを外すのですか?観るだけじゃつまらない」
「もっとP子の意見を聞いてください」
「P子は一生懸命、考えています。悩んでいます。なぜ、彼女の誠意を踏みにじるのですか?可哀相だとは思わないのですか?」
「総務の女性とは何か特別な関係なのですか?」
「チームワークを考えて行動してください」
完全な掌返しだった。
なにが失敗したらP子のせいにするだよ。
多少の覚悟はあったものの、こりゃ、もう、ダメだと確信した。
他の部署に引き取ってもらうのも難しいだろう。諦めるしかない。
このままでは仕事にならないどころか俺が壊れてしまう。
ハッキリ言って暴れてしまう。
S部長から返信を急かすメールが来た。
P子に返信したように、多数の子供が参加するので公平性を期すため、インタラクティブ対応は自分が対応し、そのやりとりを見てもらう。これは、以前、社内モニタリングでやった方法で、P子、S部長も立ち会っていた展示方法であること。
次に、P子はコンテンツ制作に関与させないという話だったが、なぜ、変わったのか?
チームというが、当初、俺が(チームを)作るという話はどうなったのか?
P子の意見を聞けとあるが、彼女の考えをレポートにし提出するという話はどうなったのか?
総務の女性社員とは特別な関係は無い。どういう根拠で特別と捉えたのか説明して欲しい。仮に根拠がない場合は第三者に相談する。
・・・と書き、返信した。
しばらくするとS部長からメールが入った。
このメールで、もう、どうにもならないと確信した。
S部長からP子宛のメールでCCに俺と他社員数人が入っていた。
「先ほどの神春さんのメールで納得できましたか?ただ、あまり刺激するとトラブルが起きたり辞められてしまうので、調整が必要です」と書かれていた。
それに対し、P子から「ダメです、追い込んでください」
「総務の◎さん(今回、俺に子供参観に参加してくれと言って来た女性)はシングルマザーで男を求めているから彼(神春)と離さなければならない」
「彼は女に弱いから、すぐ翻弄される」
「彼はコンテンツが何たるか分かっていない」
「私(P子)がいないとサボって何もしない」
P子の、この妄想炸裂な気狂いメールに対し、S部長が「分かった。もう少し追い詰める」と書かれていた。
だが、これだけではなかった。
「Bさん、M君を追い込みたいので情報を提供してください」「Nを案件から追い出したいと考えているが、どうすればいい?」等々、今回の件とは無関係な部長のえげつない文言があった。
ちなみに俺はBさんもM君もNさんも名前と顔は知っているが、俺が携わるこの案件とは、まったくの無関係だ。
この気狂いメールには、P子とS部長の、それはまるでチャットのようなやりとりがズラーっと書かれていたのだ。
それまでの俺とS部長とのやりとりをすべてP子に流し、P子がS部長に対策を指示し、また、部長からP子にスパイ行為を指示していたのだ。
そのやりとりのメールにS部長は間違えてCCに各案件の対象者のメアドを入れているから、M君、Bさん、Nさんにも、この狂ったメールが届いている。
さらにスクロールするとエグイことばかりが書かれていた。
「神春は私の気持ちを踏みにじった」
「私が彼(神春)を連れてきた。どうして彼は私に感謝しないのか」
「彼を絶対に他部署に渡してはダメです」
「作業部屋に鍵を付け私以外出入りできないようにしたい」
「今、このメールを書いている時も悔しくて涙が止まりません」
「どうして私がみんなから憎まれなければならないのか一晩考えましたが分かりません!」
「悲しくて死にたくなります」
「死にたい!死にたい!」
「みんなのために働いているのに虚しい」
「私がいなければ(仕事が)進まないのに、誰も大事にしてくれない」等々、P子の気持ち悪い文言がゾロゾロとあった。
ガチで狂ってやがる!何度も何度も書くが狂ってやがる!
P子は俺という指輪を諦めることは絶対にないと確信した。
第17話 いとしいしと
もう、これで終わりにするしかない。
この案件の告発書を作ることにした。
今までの自分の記録を読み返し、メールや録音データを確認し記していく。
特に会社アドレスから出されたメールには何年何月何日の何時に来たか、宛先は誰か、自分がいつ返信したかが分かるように、また誤字脱字もそのまま記した。サーバーにメールが残っているから、俺が添付したメールが捏造したものか分かるはずだ。
それまでの記録を読み、俺はなにをやっていたんだ。俺はとんでもないところで働いていたと思うと腹が立ち、そして強烈に虚しくなった。
貴重な人生や案件の可能性が妄想癖の気狂いによってゴミ箱に捨てられてしまった。
その場その場では気狂いをスルーすることもできただろう。だが、結果の責任は俺が取ることになる。
いや、その前に、俺は冷たい麵の手づかみ食いやメロンの切り分けショーや意味不明な卵焼きの味をドヤ顔で語る気狂いの横に立ち笑顔で頷き、プライバシー侵害の36時間もの防犯カメラ映像を見せられ、ファミレスでトレーを持ってホールを歩き回りさせられたりで壊れていただろう。
翌日は欠勤した。S部長からは何も連絡が無い。
告発書を書き終え、かつて、この企業と裁判し勝った弁護士事務所に飛び込みで電話した。
当初、飛び込みは嫌がったが、社名を言うとすぐに弁護士に繋いでくれ、そしてアドバイスを貰った。
やはり敵のことを良く分かっている。
書き終えた告発書と四半期の報告書をpdfにしメモリに入れた。
会社のメアドから一斉に送信するからだ。これも会社のサーバーに残すためだ。
だが、その前にやらなければならない。
俺はクリエイターだ。
クリエイターとしての責務がある。仲の良い社員に協力してもらうため連絡した。彼は二つ返事で受けてくれた。
翌日早朝、個室に入り子供参観日用のコンテンツの仕上げに入った。
そこへ新しいデバイスを持った社員が入ってきた。スピーカーが壊れたデバイスとこっそりと交換するためだ。
交換を終え2人でコーヒーを飲みに近くの公園に。
「Bさん、重度のうつ病で休職になっちゃいました」
あのメールに名前があったBさんが・・・奴ら、やりやがった!怒りがこみ上げた。
作業場に戻り、仕上げ作業を進める。細かいところを調整する。何度も何度も・・・
夕方前、満足とは言わないが、合格点レベルのモノが出来た。
さっそく総務の2人を呼び出し、観てもらうことに。
狙い通り、2人共、驚き、そして笑ってくれた。
「これ、絶対にウケますよ!」「ウチの子に絶対に見せたい!」と言ってくれた。
だが、それは無理だろう。このコンテンツはもう二度と公開されることはない。
2人が部屋から出て行った後、俺はメモリをPCに差し込み告発書と報告書を、御曹司(&秘書)、法務部長、コンプライアンス室室長、人事部長、そしてガンダルフに送った。
自宅に戻ると何度もスマホが鳴った。法務からだった。
とりあえず明後日、面談することに。
そして翌日、何通ものS部長から何通もメールが入ってきた。
「顔を合わせて話し合いたい」
「言いたいことがあったのなら、なぜ言ってくれなかったのか?」
「今回は私が悪かった」
「誤解です」
「謝罪します」等々…
腸が煮えくりかえった。
笑ったのが、やはり誤送信されたメールがあり、そのメールは法務部長宛のもので、俺のミスや態度の悪さがビッシリと書かれていて、しかも、全部、難癖でありデマだった。
無論、すべて法務や人事に、このようなメールが来たと記し転送した。
それでも、1日に何通ものS部長からメールが入った。
すべて転送した。
当日、会議室に入ると、各部の部長、課長らが座っていた。
いろいろと聞かれたが、最後に俺の希望を聞いて来た。
無理なのは分かっている。それでも1㍉の希望を持ちたかった。
単純です。案件の正常化・・・普通にコンテンツを作りたいだけです。
S部長、P子、Lさんが関与する限り正常化は無理です。
次に、本案件の総統括である御曹司と直接話がしたいと答えた。
理由は単純だ。この案件、本気で進めたいかのかどうかが知りたかった。
もし、本気なら1㍉の希望を聞いて欲しかった。
以降、連絡があるまで自宅待機となった。
仲の良い社員や総務の女性社員らから次々と連絡が来た。
大騒ぎになり、緊急の管理職会議が開かれ、P子やLさん、社員らが個別に人事に呼ばれ面談となった。
ガンダルフからもメールが来た。人事には俺の告発書に書かれていることはすべて事実だと伝えた、と。
3ヶ月後、人事から呼ばれ、S部長と話をして欲しいとなった。
いまさらと思ったが、人事曰く、S部長の言っている事と異なる点が多いという。
ならば、ひとつひとつ第三者(人事)のいる前で潰してやろうと思い話し合うことに。
会議室に入るとS部長が笑顔で俺を出迎えた。
さっそくイラついた。
S部長の言、そのほとんどが嘘だった。また、P子が吹聴したデマを出してきた。
笑ったのが、俺とG君の仲が当初から険悪で、その間に入ったP子が悩み苦しんだという嘘。
言ってくるだろうと分かっていたので、スマホに残っているP子が俺に送って来たG君バッシングのメールとG君の悪口を言いまくる録音データを出した。
俺の方から彼女のデマで苦しんだことを改めて強く訴えた。
すると、「それが彼女のスタイルです」「そのスタイルを受け入れてこそチームワーク」「デマならスルーすればいい」と平然とした顔でS部長が答えた。
これには、ぶったまげた。
すかさず人事に、デマ行為は許されるのか?彼女のスタイルとしてのデマ行為を受け入れなければならないのか?
ある店舗では店員が毒物を料理に入れているというデマがSNSなどで出たら法的手段を取るだろう。社内なら許されるのか?と問うと、俯き沈黙した。
この話し合いから1ヶ月間、今度は会社と闘うことになった。
いや闘うは違うか。会社は自分たちが不利なのは理解していたから、闘う意志は無かった。
とにかく逃げるしかない状態だった。俺は追い続けるだけだった。
会社は俺からの追及に、ひたすらごはん論法で逃げた。
「朝ごはんは食べましたか?」
「(パンは食べたけど)ごはんは食べていません」
という、ちょうど当時、政治家らが使った逃げ方だ。
俺はさらに怒りが増し、まさに怒りの追撃となった。
結局、御曹司と話し合うことはできず、1億以上の金をかけた案件は中止となり、俺の契約は終わった。
こうして、俺は指輪から人間に戻ることになった。
My Precious・・・Gollum!Gollum!
※この作品はフィクションであり実在する人物、団体、案件等は架空のものです。
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