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[小説]きなこもち「時間」

2019年8月25日午前9時30分 法学部棟2階大講義室

「だから君は遅刻だ。君の言っていることはただの言い訳だろう。時計を見たまえ。もう試験開始から20分も経過している。入室は認められない。」

「教授、時計などという概念は顔も知らない者が勝手に作り上げたものであります。そんなものを無批判に受け入れるくらいなら僕の定めた時刻も同様に受け入れられるはずです。みてください、僕の腕時計はきっかり8時45分を指しています。つまり私は遅刻ではありません。」

「言語道断だ。」

きっぱり言いきると学生の話に取り合おうともせずに彼を締め出して扉に鍵をかけた。

同日正午 大学食堂前

「そういうことがあったんだ。酷いだろう。僕たちの人生は誰がふったとも知れない微細なメモリ付きの時間に支配されて一秒の狂いも許されない。もし狂いが生じようものなら僕たちは社会からつまはじきにされてしまう。生産ラインの不良品のように機械的に! 冷酷に! おかしいと思わないか? 人間の体内時計はそんなに精密にはできていないんだ。人類はロボットじゃない。ノイジーなんだよ。十年勉強した君だって百円で買った電卓にも劣る。なのにあの無機物は僕らを縛る!」

そう訴え学生はそびえたつ時計台を力強く指さした。

「まったく、ただ単に腕時計が狂っていたせいで遅刻しただけじゃないか。それに、君の言っていることは間違っているよ。みんなが同じ時間を共有することで個人は連携し社会は成り立つんだ。君もそんなこと言ってないで僕たちと歩みを共にしよう。」

「近代的時間に基づく不完全な制度のせいで数えきれないほどの人間が単位を落とし、人生を狂わされてきたというのにまだこの状況を看過し続けるつもりか? 信じられない! 失望した! なら結構だ。僕は機械如きに支配されてまで歩みを共にする気はない。」

学生はそう言い放ち歩き去った。

2021年4月10日午前9時 法学研究科3階某研究室

「教授、お誕生日おめでとうございます。教授ももう還暦ですね。お身体におきをつけて、長生きしてください。」

「どうもありがとう。」

「コンビニでビール買ったんですけど僕等と一緒にどうです?」

「いや、いい。チャチな酒盛りなら学生だけでやってくれ。ところで君は何やらおかしな活動をしているようじゃないか。」

「ええ、近代的時間の拘束にうんざりした人々の集いです。教授もどうですか?」

「まだそんなことを言っているのか、捕まらんうちにやめとくことだな。」

「教授が人生で一度も遅刻したことがないとおっしゃるのならその言葉も少しは心に響いたでしょうね。あなたも僕達と"Happy New Year !!!"はすでに千人ものメンバーを集めております。和暦、西暦、イスラム歴等、世界にはあらゆる紀年法が存在しますが、自然が用意した条件が地球の自転、月、地球の公転だけならばどうように僕たちが今日、この日を元年一日として年月を数え、適当に時刻を定めることも認められるわけであります。あなたのような凝り固まった人々を揶揄するための団体ですよ。共有する人数が多いからと言ってスタンダードを名乗るのは傲慢です。」

2022年5月21日午前5時(GMT) 某国 国営放送

昨日未明、"Happy New Year !!!"と名乗る覆面の武装集団が原子時計原器室に侵入し職員を人質に取り現在も立てこもりを続けております。現場からの中継をお伝えします。

『お前たちのやっていることはテロ行為だ。断じて許されることではない。今すぐに投降すれば身の安全だけは保証しよう。』

『我々の活動があなた方の勤務時間と重なってしまったことは大変運が悪い。これもみんなこのおもちゃのせいだ。すぐに開放して差し上げよう。あなた方は今後、飼い主が定めた時間になっても出勤しなくていいしすぐに我々の思想の偉大さに気づき、感謝することになるだろう! 時代の先を行くアイディアというのは旧時代の人間には受け入れられないものだ。理解できないのなら我々がわからせるまでだ!』

そういって犯行グループは原子時計に設置した爆薬を起爆した。

1年1月1日午前0時 某喫茶店

「君が作ったクラブのメンバーが近年、相次いで破壊活動を行っているようだし、なんなら君が裏で糸を引いているということがまことしやかに噂されているらしいじゃないか。学生時代のおふざけかと思っていたが君がここまでやるとはね。あの時君と食卓を挟んで話をしていればこんなことにはならなかっただろうに・・・」

「そんなわけないだろ。以前、一部のメンバーが力に訴えた方が手っ取り早いしそれで成功した例も数多く存在するだの何だの言ってきたから止めようとしたんだが、クーデターにあって逆に僕が主導権を失ってしまった。なのにずっと電話が鳴りやまないし、もう脅迫状もポストから溢れてる。共感してくれるのはうれしいけども僕のイデオロギーなんてその場で思いついた屁理屈でしかない。もともと名前だけのサークルのつもりだったが、まさかここまで大事になるとは思わなかったんだ。」

「"Happy New Year !!!"が世界中のセシウム原子時計を破壊してしまったおかげで一秒の定義が意味をなさない! ”時刻”が失われたんだ! 昨日、某州で可決された法案みたか? 君が主張していたことをそのまま真に受けている。標準時を廃止するらしい。そのせいで役所や学校、病院でさえいつ空いているかもわからない状況だ。世界、悪法多しと言えど、ここまで酷いのは珍しいだろうね。おまけに法案の可決も司法制度に詳しい君が一枚噛んでいるとまで言われている。君の気まぐれは想像を超える速さで世界に拡散している。このままだと被害は大きくなる一方だ。」

「何かいい方法はないのか・・・」

『お昼のニュースのお時間です。今回は、ゲストとして法律を専門とされ、空間化された時間の保守運動の中心として活動されているK教授にお越しいただきました。本日はよろしくお願いします。』

『よろしくお願いします。』

『世界各地でデモや破壊活動を行う"Happy New Year !!!"の思想が合法化されて一夜明けました。今ご覧いただいているのは現地の現在の様子で・・・』

「おや、懐かしい顔がテレビに映っているじゃないか。お前もよく言い合いになってただろう。」

画面に映っていたのは老けてはいたものの男の知るK教授に間違いなかった。

『さて、一連の出来事についてK教授はどのようにお考えでしょうか?』

『そうですね、こんなバカげた思想が合法化されることなんて信じがたいですが、有権者の支持を集め、民主主義政治の結果生じた誤りの中にはとんでもないものが数多く存在するため・・・』

「そういえば教授の誕生日は春だった気がするな。久しぶりに研究室のメンバーで集まって誕生祝でもするか。」

「誕生祝いねぇ・・・、いやそれはいい! 素晴らしい考えだ! ただしどうせ祝うなら面白い方がいいんじゃない? いいことを思いついたんだ。」

1年1月1日午前0時 某大手テレビ局 二階 報道スタジオ

「本日のゲストは、世界中を賑わせている政治団体"Happy New Year!!!"の創設者である弁護士のUさんとその思想に反対の意を表明しつづけてけてきた法学者、K教授にお越しいただきました。こんにちは。」

「こんにちは。」

「本日は空間化された時間をめぐるよう陣営の中心人物が顔合わせを果たしたということで、まったく奇跡としか言いようがありませんね!」

「いえ、そんなことありませんよ。僕と教授は大学時代から師弟関係にありますし、もう長きにわたって親しくさせてもらっています。今更なにも珍しくなんてありません。」

「・・ええと・・・はい? Uさんの今の発言、かなり衝撃的な内容だったと思うのですが一瞬では何があったのかが私、理解できませんでした。もう一度おっしゃっていただけないでしょうか?」

「はい。ですから私と教授は学生時代から知り合いであったと申しております。」

「K教授、今のUさんの発言は事実でしょうか?」

「はい。事実ですが。」

「この後も当時の研究室のメンバーで教授の誕生パーティを開くことになっております。ちょうど翌日の0時きっかりに・・・」

(対抗する陣営の指導者が一緒にパーティをするだなんて世間は大騒ぎだろうな。しかも僕が”0時”なんて言葉を使っていることなんかみたあかつきには気を失う人も出てくるかもしれない。)

「ちょっと、ちょっとまってください。これじゃあまるでお二人がグルになって事件を仕組んだみたいじゃないですか!」

1年1月1日午前0時 某喫茶店

「待ってたぞ。この店の店主にかくまってもらわなかったらお前は今頃袋叩き似合ってるだろうな。」

「そうだな、時間外に働かせたうえにこんな厄介者を匿わせるなんてな、高くつくぞ、きっと。ただ彼らの言うことももっともだ。両陣営の代表者同士が実は通じ合ってたなんてことがわかったら僕が支持者だったら間違いなくテレビに向かってこう叫ぶね『どさくさに紛れていくら稼いだんだ!』って。けれど電話はもう砂嵐しか鳴らないし、ポストも脅迫状を詰めすぎてベコベコ。大赤字だよ。」

「そんなことでよく今日までやってこれたよな。まあ自分たちの活動がすべて金儲けのために利用されていたなんてことがわかったらこれ以上続ける気が起きないしそれより怒りの矛先は君たちに向くから作戦自体はうまくいったんだけどね。おっと、お待ちしておりましたよ教授! こんなことに付き合わされて大変だったでしょうに・・・」

「いや、かまわんよ。我々は無実だ。証拠なんて出ようがない。それに私はもう定年だし彼にはちゃんとツケを払ってもらう。」

「迷惑かけて本当に申し訳ない。まだ日付は変わってないよな?」

「お前のクラブが電子時計を壊したせいで電波時計がいかれて正確な時間なんてわからないよ! ただ、俺のクオーツはきっかり12時を指したところだ。教授、お誕生日おめでとうございます。」

「どうもありがとう。」

「教授、僕からも。厄介ものを欲しがるんですから困らされましたよ。わざわざスイスまで行って競り落としてきたんですよ。値段聞いたらきっとびっくりするでしょう。」

「羽振りがいいんだな。どれどれ・・。おお! ちゃんと私が頼んだ通りの銘柄だ。」

そういって教授は丁寧に包装を破き中から深緑のワインボトルを取り出した。自らコルクを抜き、グラスに注いだワインを聞きとして口に含んだ教授に向かって男は尋ねた。

「僕を許す気になりました?」

「言語道断だ。」

教授はきっぱりといった。

(おしまい)

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