もしも村上春樹の小説の主人公が80歳だったら その2
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蛍
その時僕は78歳で、老人ホームでのボランティアを始めて1か月たったところだった。5月にしては珍しく暑い日に、僕は特攻隊と初めて言葉を交わした。
「ワ、ワタナベくんさ、ちょっとそこにある赤鉛筆をとってくれる?」
どうやら彼は以前から僕のことを知っているようだった。僕も彼のことは何度か遠くから見て気にはなっていた。何しろいつでも学生服を着ているので、この施設では異常に目立ってしまうのだ。いや、94歳で学生服を着ていたら、街中にいる方が目立つだろうか?
「はい、赤鉛筆。ところでそれは何を描いてるのかな?」正直なところ、それは何を描いてるのかと聞くのがはばかられるような抽象芸術だったけれど、僕は親切に会話を続けた。
「こ、これはさ、ノモンハンのち、地図を描いているんだよ。ほら、ぼ、僕は国土地理院で働いていたからさ、それでー」
日本国の国土地理院がモンゴルとロシアの国境の地図を作る必要があるとは僕には思えなかった。後から人づてに彼のことを聞いたところ、彼は数奇といっていい人生を歩んでいたようだ。太平洋戦争が始まる前から徴用工のような形で陸軍に所属し、ノモンハン事変を経験した。その後、再び徴兵を受け今度はパイロットとして採用され、特攻隊として飛び立つ前日に終戦を迎え、戦後、国土地理院に就職した。終戦日以降、彼は必ず学生服を着ることに決めたそうだ。
徴用工がパイロットになりえるものかよくわからなかったし、国土地理院に学生服で通勤できるとも思えなかったが、彼の中でそうであるなら、それでよいのではないかと思った。いずれにせよ何かしらの戦争体験をしているのだろうし、それがノモンハンであれ、特攻隊であれ、ガダルカナルであれ、地獄であることには変わりないのだろう。そして彼にとって戦争は決して終わるものではないのだ。
「ワ、ワタナベ君はさ、ほ、蛍が飛んでいるのを見たことはある?」特攻隊が僕に訪ねてきた。
「僕の実家はずいぶんと田舎にあったから、よく用水路に蛍を見に行ったよ。暗渠があって、落ちたら危ないと言われていたけれど」
「ぼ、僕はさ、特攻隊で出撃する前の前の日に、ほ、蛍を見たんだ。知覧にいたんだけどさ、両親に手紙を書いていて、ふと外を見たら窓枠に、ほ、蛍が一匹だけいてさ。しばらくじっとしていたんだ。そ、それでそうやってしばらく見ていたら飛び立って、光が一筋、ふわーっと舞って、そして消えていったんだ。僕は今でもその、ほ、蛍のことをよく思い出すんだ」彼はどもったりどもらなかったりしたが、蛍というときだけは100パーセントどもった。
「僕はその、ほ、蛍を見てさ、こう感じたんだ。」
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」
突然、特攻隊の口調ががらりと変わったので、僕はとても驚いた。そしてなんだか僕の大事な役割を取られている気がして、彼を止めなければならないと思った。
「なんだか君は今とても危ない領域に顔を突っ込もうとしている気がするよ。うまく言えないんだけど、絶対にやってはいけないことをー」
「ぼ、僕にはその晩から、それが確信に変わったんだ。死は生の対極としてではなく、生の一部として存在している。なあキズキ、俺はー」これ以上続けさせるともう引き返せなくなると思い、僕は無理やり特攻隊の言葉を遮った。
「まあ戦争を経験するといろいろあるからね。さあ、健康体操をしよう」
*
特攻隊が誤嚥性肺炎で亡くなったのはその3か月後のことだった。出席者の少ない、寂しい葬式だった。喪主の長男は、父を亡くした悲しみというよりもほっとした面持ちで、そんな自分の気持ちを持て余しているようだった。でも喪主に同情した。この年で亡くなるなら、寂しい葬式も悪いもんじゃない。僕はそう思ったが、もちろん誰にもそんなことは言わなかった。それに僕だって、とくべつ強くそう思ったわけでもない。
それにしても、と僕は思った。死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。特攻隊はそう言ったが、僕にはその実感はまったくなかった。特攻隊は死んでいるし、僕は生きている。僕の両親は20年前に死んだし、僕の妻は3年前にがんで逝ってしまった。僕は彼らと会話することはできず、彼らと僕の間には極めて明確な境界線が引かれている。だいいち、僕は自分が死ぬことなんて全く想像できない。もちろん体力は落ちたし記憶力や判断力もだいぶ鈍っているかもしれない。はたから見たら立派なご老人だろうが、僕は自分のことを老人だと納得感をもって認識することができなかった。80歳と20歳の間に明確な境界線があるなんてとても思えない。20歳から見たら80歳など全く別の存在なのかもしれないが、80歳から見たら20歳は地続きの道路でつながっている同じ場所にすぎない。むしろ、80年間歩いてきて気づいたら、同じ場所をぐるぐる回っていただけだった。そんな気分だ。
「ご焼香をおねがいします」、そう言われて我に返った。いささかあわてて立ち上がり、特攻隊の棺に向かった。参列者に礼をし、振り向いて特攻隊の亡骸に向き合った。抹香をつまみ、香炉にぱらぱらと落とした。すると、抹香の一つが空気の流れにのったのか、ふわりと舞い上がり、僕の顔くらいの高さまで飛んだ。まるでそれは、一匹の蛍が力なく飛んでいるようだった。僕は特攻隊が知覧で見たという一匹の蛍のことを思い描いた。それは昭和20年の8月13日に、力なく暗闇の中を飛んでいたのだろう。僕はその時初めて、特攻隊と気持ちを共有できた気がした。安らかにお眠りください、と僕は思った。
その晩、僕は葬式帰りに日高屋でレモン・サワーを10杯飲み、いささか酔っぱらってベトナム人の女店員に絡んで警察を呼ばれた。
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神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/