自己肯定感を高めて変化志向になる(どうぶつ別) 個人編
いかに自己肯定感を充足するか
前回、自己肯定感x変化志向という組み合わせを動物タイプに当てはめてみるということをしてみた。
自己肯定感x変化志向で人と組織を眺めてみる
マトリックスを用いて、アルマジロ、コウモリ、ゾウ、ライオンといったどうぶつのタイプで類型化した。
そして、<あらゆる人と組織の課題は、自己肯定感の充足を軸に課題解決を図るべきである>という結論を導いた。
となれば、今度は「いかに自己肯定感を充足するか」という課題にうつる。ここではそれを考えてみたい。
ストーリーを作る
「いかに自己肯定感を充足するか」という問いは、それだけで広大な海のような広がりを持ち、とても語りつくせないことはできない。ここでは、一つだけ実践的な考え方の提示をしたいと思う。それは、
「ストーリーを作る」だ。
例えば、「自分は家族を持ち、安定した職業を捨てることはできない。そのためには周りに気を使いながら調整を図り、社内のポジション維持を図ることがベストな選択肢である」などのストーリーを、「家族は大事だ。家族にとって最も重要なのは、父でありパートナーである自分が、見本となるような生き方をしていることを示すことだ。
そのためには、仕事における価値を根源的に見出し、多少の衝突はやむを得ずとしながら、自分が正しいと思うことを主張しつつ、この会社における意味を明確に見出すことだ」といったストーリーに変えること。
当然のことながら、そうしたストーリーは極めて個別的・個人的な作業でもあるので、一律の対応が可能ではないし、テキスト情報だけで実施できるものでもないだろう。しかしながら、そうしたストーリーの書き換えは可能であること、またそこがなければ自己肯定感の充足は難しいのではないか、ということは共有できるかと思う。
ここで、議論を進めるうえで、それが個人の問題か、組織の問題かを明確に切り分けて考えたい。現状の把握については個人も組織も同様にできるが、対応は大きく異なると考えているためだ。
それは、組織は個人の集合だから、ということでもあるが、個人もまた個別の状況や対人関係における感情と対応の集合体であるという考えに基づいていることを共有していただけると、この後の話も理解しやすいと思う。
個人の問題
前述のとおり、個人と組織は本質的には異ならないと考えてもいる。違いは大きく、現状の経済活動への影響をどこまで許容できるかだ。
大げさな話、個人の場合は、会社を辞めたり、家族構成を変えることも可能だし、そこまで含めて方向性を検証すべきだろう。その結果会社や家族を変えないということになれば、それはとても良いことだ。
そして、その前提があるかなしかによって、対応が大きく異なる。以下で述べる対応方針は組織には適さない前提で読んでいただきたい。
アルマジロ:個人の場合
アルマジロは、「自己肯定感が低く、変化志向が弱い」。
自分に自信がないため、傷つくことを恐れ、変化を恐れる。多くの場合、自分が傷つかないための障壁を設け、それが外部からは高いプライドや、放漫さとなって見える。自虐的に、「自分はクズなので・・」などと言う人の場合でも、外部からはよくわからないところにプライドの源泉を持っている場合もある。いわゆる卑屈な人が、本当の意味で卑屈な場合はほとんどない。
こうした人の場合、何が重要か。
現状に重なっているプライドを、外面的な事実ではなく資質に置き換える
その防御壁は、多くの場合実績や肩書などの、変化しない外的な、目に見えるものが多い。それを少しソフトな、内面的なものに変えていくことで、変化をしてもプライドが失われないという安心感を持つことが可能となる。例えば、
・会社名や肩書といったネームバリュー
→ その会社で発揮している自分の実力
・学歴
→ その学歴を手に入れるために行った「努力する能力」
・血筋やもともとある経済的ゆとり
→ そこで自分が血肉としてきた人当たりの良さや余裕
などなど。
ここで、自分のストーリーを書き換えることで未来志向に変えることができれば、成功だ。例えばシンプルに、
「俺は一部上場企業の課長だ。この会社でこの年で課長になったのは同期の中で3人だけだ。ただ、課長になった後は出世は滞っている。会社は正しい評価をできなくなっている」というストーリーを、
「課長になったのは、人の言うことに耳を傾け、その人が喜ぶことを愚直に貫いてきたからだ。そのことは誰にも負けない自信はある。今の評価はともあれ、そこは変わらない」と、内面にずらす。そうなると、
「課長というポジションは譲れない。波風立てずに我慢する。それにしてもばかな会社だ」ではなく、「耳を傾け、喜びを提供することで価値を出せればいい。そのためにはこの会社の肩書は不要」という考えに一歩近づけるのではないだろうか。
ここで、個人の場合は転職といったことが現実的な問題解決のための選択肢になる。あるいは、転職という可能性を手に入れることで、社内で思い切り活動できる、ということもありえる。
重要なのは、「現状に価値があるのではなく、変化できる自分に価値がある」という見方にシフトする、そのために資質に価値を見出すということだ。
子供に対する教育の世界では、テストでいい点をとっても、いい点をとったことをほめるべきではないといわれている。その点を取るために行った努力を誉め、自分はその努力ができる人間だ、と思えるようにしていく。大人でも同様のことを、自分自身に行うのだ。
コウモリ:個人の場合
コウモリは、「自己肯定感が低く、変化志向が強い」。
自己肯定感の低さをばねに、現状を変えるエネルギーに転換している。強いプレッシャーを外から受けているブラック企業勤めの人や、競争や自己改善を当たり前のものとしてとらえ常に向上していないといけないと思う、真面目な人などが該当する。
もちろん変化をし、成長をするので悪いことではないが、往々にしてプレッシャーにつぶれたり、バーンアウトしてしまう。長続きしないし、本来自分がしたい成長からずれてしまうことも多々ある。
こうした人の場合、何が重要か。
一度、頑張ることを手放す
こうした人の場合、何か特定の目標や、指標をすでに持っていることが多い。たとえば会社での評価かもしれないし、ダイエットしたいという目標かもしれない。その目標に対する原動力として、「今は無能な若手社員」や「私はデブス」といった現状認識を与えている。いったん、そうした目標を外し、頑張ることをやめてしまうのだ。
これをすると、一瞬とても不安になる。そのうえで、
未来を見るのではなく、今を見る
つまり、将来の理想像を求めるのではなく、その理想像に向かっている現状を理想的な自分に近づける。「売り上げNo.1の営業になりたくてなれていない自分」ではなく、「売り上げNo.1の営業になろうと日々工夫をしたり、学びを得て成長している自分」を見つめる。そしてその自分が魅力的なのか、を改めて立ち止まって見てほしい。そうすると、「あれ?別の営業No.1である必要ないな・・・自分って目の前のお客さんと楽しく仕事できればいいや」などの考えに至るだろう。
当然、これは日々の頑張りを止めることになるので、外面的にはさぼっていたり、モチベーションが下がっているように見えるだろう。真面目な人はそれをやってはいけないと思っている。しかし仮に1か月その活動を止めたところで、挽回不可能なものなど、ほとんどこの世にない。あるいは、そう思うことが重要だ。
これもストーリーの書き換えとして整理することができる。
「今はデブスの私だけど、この辛いダイエットをやりきることでいつかきれいな自分になる。今の自分はかりそめの姿」というストーリーではなく、「憧れの人はみちょぱ。もちろん自分が全然違う人だというのはわかってるけど、彼女が努力しているところをできる範囲で見習って、運動もするし、美容のことも勉強してる。きれいになりたいと思うこと自体が、自分にとって楽しいこと。そんな自分の今の生活が充実してる」
もちろんこんなに簡単に書き換えられるものではない。ただ、そうした気付きをし、少しずつ自分の肩に乗っている荷物を下ろしていくことが重要だ。
個人編まとめ
ここに書いてきたことは、ガイドラインにはなるが、すぐにこの通り実行するのは、自分自身であっても他人にアドバイスする場合であっても難しいだろう。
しかし、方向性を持っている場合とそうでない場合では、機会が巡った際の対応に大きな差が出る。頭の片隅においておいて、ふとした時に気づき、思いなおしたり、アドバイスするときのヒントにしてほしい。
この考え方は、メタ認知的な方法論ではある。「自分はこう思っている」がメタ認知ととらえられがちだが、より客観的に事実そのものを見つめる行為も含んでいる。タブーをなしに思索を進めてほしい。
組織編については次回。
神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/