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聞き上手の脳内を図式化してみる

「聞き上手」を軸にサービスを提供し、会社経営を行い、日々の暮らしを送っている。そこで何をしているのか、「聞き上手」を使わないことと何が違うのか。脳内で行われていることをイメージしやすいよう、絵に落としてみた。

ここでは、ある人とある人が何かを見て話をしたときに生じる聞き手の脳内の様子について、またその後、何をすることでより生産的な、付加価値の高い行為に結びつけることができるのか、を考えたい。

念のためだが、ここで生産的と言うのは経済的という言葉の言い換えであるが、共感的理解や傾聴、信頼関係構築が生産的ではない、付加価値がないと言いたいわけではない。むしろ人間にとって不可欠の活動だと認識している。

普通の会話

さて、男女が何かを見て、それについて感想を言い合っている。ここでは、男性を主人公として話を進めてみたい。

さっそくだが、女性にはこれがドーナツのようなものに見え、男性には長方形に見えているらしい。色も異なっている。まるで全く別のものを見ているようだ。

これは極端な例だと思うかもしれないが、私たちは日常生活で、全く同じものを見て全く違うものと認識していることがよくある。ある人の発言を名言と捉える人もいれば問題発言だと感じる人もいる。熊を見て可愛いと思う人もいれば害獣と思う人もいる。

つまりこうした状況は極めて日常的ということだ。

喧嘩する

するとどうなるか。喧嘩になる。「四角いじゃないか」「丸いわよ」。お互い嘘をついているわけでもなく、騙そうとしているわけでもない。2人とも善意で話しているから、落としどころを見つけることは大変難しい。

もちろん喧嘩に至らないことも多いだろう。どちらかが飲み込んだり、お互いなかったことにする。あるいは言及しないから認識がすれ違っていることに気づかないかもしれない。

こうしたことはよくないことというよりも、むしろ日常の会話はこうした少しの衝突やもやもや、すれ違いを前提として成り立っている。

「聞き上手」で聞いてみる

さて、「聞き上手」で人の話を聞いてみよう。ここでいう「聞き上手」はいわゆる傾聴と呼ばれる狭義の聞き上手と、論理的理解と情感的理解の双方を融合した広義の聞き上手があるが、先に狭義の聞き上手の話をし、そこから広義の聞き上手へと話を展開してみたい。

まず狭義の聞き上手。いわゆるコミュニケーション・テクニックとしての傾聴であり、信頼関係を構築するための手法としてカウンセリングやコーチングで使われるエッセンスだ。そこでは、心構えとして「関心」「共感」「受容」が重要だと説かれている。以下順を追って見ていきたい。

相手に関心を持つ

「聞き上手」においては相手に関心を持つことが重要だ、と繰り返し言われる。今のイラストの状況をイメージすると、その重要性が分かりやすい。

まず、「相手にはどう見えているのか」に注意を向けなければ、会話は永遠に対立構造から逃れることができない。その際、自分に見えている像は一度脇に置いておく。「四角いのになんで丸いなんて思っているんだろう」ではなく、「どのように丸く見えているんだろうか」という気持ちを持つことが重要だ。

その際、「聞き上手」として外してはならないのは、感情に関心を持つことだ。

この図では、ドーナツ型を認識した女性は悲しい気持ちになっているらしい。この「気持ち」を知ることを目的にすえること自体が、普段の会話と大きく異なる。

この時点で、信頼関係構築の芽はすでに出ており、喧嘩に発展する可能性は相当低くなるだろう。

共感する

相手の感情に関心を持ち、話を聞いたら、それに対して共感する。すなわち、自分も丸い形を見たとして、その時の気持ちを感じようとすることだ。もっとも、他人の気持ちを完全に理解することも再現することもできない。できないからこそ、少しでも近づこう、あるいは自分が同じ気持ちになるように理解を深めようとする行為が、共感することそのものだ。

ここで気をつけたいのは、「相手が見えている風景を前提として」気持ちを理解することだ。そしてここでいう「前提」とは「そうだ」ではなく「そうだったら」。でも「仮定」と言ってしまうと逆に事実として認めないニュアンスが強すぎるので、「前提」と置きたい。

たとえば会社の後輩が、上司に裏切られて、その上司に対する怒りを募らせているとしよう。先輩であるあなたは上司をよく知っているので、上司は後輩を裏切ることはないと思っている。だが、そこで「上司は裏切るような人じゃないよ」と言ってしまえば、それは喧嘩だ。

また、「上司、裏切っているよね。うんうん、その気持ちわかる」となれば、それは嘘だ。

ここでは、「あなたは上司が裏切っていると思っているんだね。確かに、上司が裏切っていたら、怒りが募りますね」となるのが共感の枠組みである(もちろんこんなに安易に共感することが正しいわけではないので、これはあくまで枠組みと思って欲しい)。

受容する

共感の次は、受容だ。受容とは「相手の気持ちを承認する」こと。上記の例で言えば、「そんな風に上司に怒りを募らせてい感情は正当なものだ」と認識し、共有する。

それにより、話し手は自分の感情が認められたと思えるようになり、自己承認欲求が満たされる。その結果、2人の間に信頼関係が構築される。ここまでが狭義の「聞き上手」が行う2人の間の活動となる。

ここで気をつけたい。受容するのは話し手の感情であり、行動や事実関係そのものを受容するわけではないということだ。上記の例でいえば、怒りを募らせているその気持ちとその気持ちになることは認めるが、本当に上司が裏切っているかについては、聞き手は判断を留保する。そしておそらく、後輩が一息ついたところで、「その上司が裏切った、と思える出来事ってなんだったの?」などの質問をして、事実関係を明らかにしようとする、というのが正しいありようだろう。

裏側から見れば、例えば話し手が殺人犯だった場合、殺人行為を是認する必要はない。ただその行為に至った心象風景や事件後の心境に寄り添い、その感情を受容することはできる。もちろん、その感情を理解できない場合は、どこが共感できるのか、を探す2人旅に出ることになる。

生産的活動への展開;広義の「聞き上手」

上記までが、いわゆる「傾聴」と言われる世界の聞き上手だ。ここから先は、今までのやり方で聞いた内容をもとに、いかに生産的な活動に活かすかに着目して考えを進めてみたい。弊社が行なっている企業向けの支援活動などがこの領域にあたる。カウンセリングやコーチングをやっている方で問題解決に直接的に関与する場合も、こうした考え方を用いている場合があるのではないだろうか。

メタ認知する

まずはメタ認知をする。メタ認知とは、「認知構造を客観的に捉える」こと、つまり「今自分はこう考えているなあと思うこと」だ。

この場合で言えば、上記までで、「彼女にはあれが丸く見えていて、結果、悲しい気持ちになっていると自分は認識している」ことをまず自覚する。

それから、自分自身についても、「ひるがえって、自分にはあれば長方形に見えていて、結果、アンニュイな気もちになっていると自分は認識している」ことも把握する(実際には、狭義の聞き上手においても、自分の感情をメタ認知し、その影響が話し手の話を聞く際に影響しないようにする必要があるのだが、ここでは割愛したい)。

こうすることで、対象について、彼女から見えるものと自分から見えているものの違いが明確になり、またそれに付随して感情が動いていることも俯瞰してみることができる。そうすると、長方形が正しいと思っている自分自身についても、相対化して見ることができるのではないだろうか。

「長方形に見えるのは一つの見え方であって正しいわけではない」と。

また、ここで感情も並列に置かれたことにも注目したい。感情は事実関係と異なり、本人の心の中にあるものなので常に正しい。本人の世界においては「丸いー>悲しい」世界は唯一絶対のものであり、誰もそれを否定することはできない。それをそのまま汲み取ってきて、検討の俎上に載せることに、一般的な事実関係の確認とは異なる要素が含まれているといえよう。

論理的理解を深める

さて、こうした理解のフレームワークを用いて、たとえば他の人にも同じ対象について話をきいてみよう。いろいろな見方が出てくるだろう。別の女性は同じ丸い形が見えたが、そこから出てくる感情はまた異なる。あるいは別の男性は、色は認識できずシルエットだけだが、他の3人が見たのとまた違う形が見えた。

よく見るとそれは円筒形のようでもある。そうして中立的にものを眺めると、それがなんなのか、正しい理解に至ることができるはずだ。

理解に至る

皆が見ていたのは、穴の空いた円柱だった。女性は上から見ていて、男性は横から見ていた。

わかってしまえばそれだけのことだが、「長方形が真実だ」という立場に固辞していたら、この認識にたどり着くことはできなかっただろう。そしてこの状況に至って初めて、女性の正しさを男性は認識でき、また感情を真の意味で理解し、共感することができる。

「群盲、象を撫でる」という諺があるが、私たちは全員が世界すべてに対して群盲であることに自覚的でなければならない。

狭義の聞き上手において、相手の事実認識は前提としておいて、と述べたが、これは理想的にはそうだが実際は難しい。すなわち、狭義の聞き上手においても、論理的理解、あるいは事実関係の客観的理解に対する正しい認識を持とうとする姿勢は必要ということでもある。

アインシュタインの孤独を心情的に理解するには、相対性理論を理解しなければならないのだ。そしてそれはアインシュタイン以外の、一般人である我々にも全くおなじようにあてはまる。だからこそ聞き上手は難しいということでもある。

事実関係を聞くための信頼関係

さて、事実関係に肉薄するだけが目的であれば、論理的理解力だけがあれば良いのではないか、と思われるかもしれない。しかしそこには見落としている点が2つある。

まず一つ目は、人は信頼関係がなければ正しく情報を提供しない。それは意図している場合もあるし意図しない場合もあるが、特に重要な情報を聞き出そうとすればするほど、それは本人にとって微妙な問題を孕みうる。

たとえばある業務担当者にその業務の問題点を聞きたいと思った時、「この相手になら、業務上の問題を伝えても私には悪影響がない」と思えなければ、その人に問題と思っていることを話そうとは思わないだろう。そして合理性だけを重視して話を聞こうとすると、問題に対してネガティブなリアクションをしてしまう。結果、本音で問題を話す状況から、どんどんと遠ざかってしまうのだ。

共感的理解を含む論理的理解

2つ目は、聞き上手を使って得た事実には、客観的な事実関係だけでない感情を含んだ情報になっている

ここでは感情という言い方をしたが、暗黙的な情報と言い換えてもよい。すなわち一般法則や明瞭に言語化できること以外の、経験的かつ感情的で身体性を伴う情報のことだ。

物体のかたちを判断するだけであれば、個別の感情はほとんど関係ないだろうが、たとえばそれが会社全体の課題を知りたい、というテーマであればどうか。事実関係としての問題点として、たとえばシステム上の不備や部門間の情報の断絶や役割分担の穴が見つかったとしても、その背景にある個別の感情や経緯、心理的な障壁も理解できていなければ、現実的な打ち手を見出すことは難しいのではないか。

人に話を聞く際にそうした気持ち、個別の経験、手触りを聞くことで、合理的な問題解決のための判断材料に活かすことができるのだ。むしろ、現実世界での問題解決のためには、そうした暗黙的な情報の方が意思決定において重要であるとすら言えるかもしれない。

まとめ

脳内を図式化したことで、聞き上手のメカニズムをかなり単純化して伝えられたように思う。もちろんかなり単純化しているので省略しているプロセスも多いし、例外も多い。ただし、以下はかなり明確になったのではないだろうか。

・関心、共感、受容それぞれのメカニズムが一般的な会話と根本的な構造を変えることで成立していること

・メタ認知によって話し手と聞き手の立場を相対化し、生産的な活動のための情報理解に活用可能であること

・狭義の聞き上手が成立するが故に、広義の聞き上手すなわち論理的理解も含めた深い理解が成立すること。それは信頼関係の構築と、暗黙的理解の双方を含むことによってであること

真に実効性のある課題解決のために、信頼関係構築と心情理解を伴う聞き上手が有用だとあらためて確信している。

神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/