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もしも村上春樹の小説の主人公が傾聴をめちゃくちゃ頑張ったら①【オウム返し編】

「先週は大変だったわ。請求書のせいで。」
彼女は5杯目のウォッカトニックに口をつけてから、僕を睨みつけながら、そう言った。

「請求書?」
僕は彼女が言った言葉をそのまま繰り返した。オウム返しという技法だ。オウム返しは単純に話し手が言った単語を繰り返す。ただそれだけだ。

「そしたら、請求書には必ず見積書番号が必要だって相手は言うの。上司もそれなら出しなさいって。そういうのっておかしいよね?」

「見積書番号」
オウム返しは、ただ相手が言う単語を繰り返すだけだが、どこを繰り返すのかが、意外と難しい。相手が最も強調したいところを的確に、瞬時に判断して返さなければならない。まるでソビエト軍を相手に戦う冬のフィンランド軍の狙撃手のように。

「そうなのよ。請求書なんだから請求書番号があればいいと思うじゃない?それが、対応する見積書が特定できないと処理できないっていうの。だけどね、そもそも見積書を出してないわけ。だって向こうがいらないって言って、注文書を勝手に送ってきたんだから。もう腹が立ったわ。」

「腹が立った。」僕はうなづきながら、深く繰り返した。
これはいわゆる「感情のオウム返し」だ。人間は自分の気持ちを相手に分かってほしい欲求が一番強いので、感情表現が出たときにそれをオウム返しすると、気持ちを理解してもらえたと感じる。シンプルだけど効果的な返し方だ。まるでボウルに一滴だけオリーブ・オイルを垂らすように。

「でもね、そんなこと上司に言ってもお前がなんとかしろっていうし、客はとにかく、見積書番号がないとシステムに入力できませんていうわけ。だから私は番号、適当に作って入れちゃったのね。FxxK-37564、って。」

「Fxxk-37564」
数字の繰り返しは有効だ。具体的なイメージできるものを繰り返すことで、同じイメージを共有した感覚を持てる。

「それが1,250万円の請求書に載ってるわけ。」

「1,250万円・・・」
数字の中でも、金額の繰り返しは特別だ。金額という言葉は多くの情報を持っている。そして情報量は金額の多寡にはよらない。よっちゃんイカが20円と言われたら、20円!と返すのだ。そしてその20円という数字には、よっちゃんイカの持つ昭和のにおいや、今も稼働している工場のにおい、そして駄菓子屋で小学生が小遣いを数えながらポートフォリオに組み入れるかを悩む情景、すべてが含まれているのだ。それをオウム返しすることで共有できる。安いものだ。

「まあ後でばれて、めちゃくちゃ怒られたわ。客先の上司が香川照之そっくりなんだけどね」

「香川照之」僕は微笑みながら繰り返した。
固有名詞、人名の繰り返しは大事だ。やはりイメージが豊富についているので、その共有ができる意味は大きい。

「そう、香川照之から電話がかかってきて、もう雷が落ちたってこういうこと?みたいな怒り方なわけ。ガラガラピシャーン!っていう感じよ」

「ガラガラピシャーン!」
擬音語や擬態語といわれる類の言葉を繰り返すのは必須だ。日本語は特にこの手の単語が豊富で、情景の共有が一瞬でできる。とても大事だし、ちょっと大仰に話すことで、二人の距離が他人行儀なものから、ずいぶんと親密な雰囲気になる。

余談だが、外国人の言語学者によると、「日本語はとても特殊な言語だ。なぜなら、川上から巨大な桃が流れてくることだけを表現する擬音語がある」との由。どんぶらこっこ。

「ほんと、鼓膜が破れるかと思ったわ。まあ私にも悪い点がないとは言えないけど、ちょっとそれにしてもないんじゃないかと思ったわ。あ、すみません、ウォッカトニックおかわり」

彼女はおかわりを頼んでから、3分の1ほど残っていたウォッカ・トニックを一息で飲み干した。そして僕の方をまじまじと見つめて、言った。

「あなたってなんだか、不思議な雰囲気ね。安心してなんでも話せる気持ちになってしまうのよ。どうしてなんだろう」

「どうしてなんだろう?」

進研ゼミの広告のようになってしまったが、まあそういうことだ。傾聴は強力なコミュニケーション・ツールなのだ。

「それで、その上司がそのあと、うちの会社にメールを出してきてね…」

やれやれ。夜は長い。



神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/