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森見登美彦「太陽の塔」

「あの時の自分はバカだった」

昔を思い出してそう言いたくなる人も多いのではないだろうか。
誰しもに若かりし日の後悔は付いて回る。
しかし、少し思い出してほしい。
今の自分はその行動に後悔していても、あの時の自分はできる限りの最善を尽くしていたのではないだろうか。
「太陽の塔」を読むと、そう簡単に過去の自分を見捨てる気分にはなれなくなる。

1、あらすじ


主人公は、京都大学農学部の五回生で現在自主休学中の「私」。

かつて私は体育会系クラブの後輩である「水尾さん」を、先輩としての特権を濫用して恋人にすることに成功するが、やがて振られてしまう。

私は水尾さんに振られた原因を解明すべく、彼女の行動などを記録した二百四十枚に及ぶレポートを作成する。
しかし、研究とは名ばかりでそれはほとんどストーキングまがいの尾行であり、水尾さんからは「研究停止」の宣告を受けてしまうのだった。

そして季節はクリスマス。私は友人とともに妄想を肥大させ、研究を邪魔しようとする男と対峙しながら、クリスマスの嵐が吹き荒れる京都を奔走する。


2、著者


森見登美彦

​2003年、京都大学に在学中、『太陽の塔』で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞して小説家デビュー。

2006年『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞を受賞。 第137回直木賞。(2007年上期)候補。2007年第4回本屋大賞(2位)。

2010年  『ペンギン・ハイウェイ』で第31回日本SF大賞受賞。

2014年 『聖なる怠け者の冒険』で第2回京都本大賞受賞。

2017年 『夜行』で第7回広島本大賞受賞。

2019年 『熱帯』で第6回高校生直木賞受賞。


3、感想

何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。

 本作は冒頭のこの二行から始まる。
 見事に物語の筋道を明示しつつ、主人公の内面を透き通らせた名文だ。

 冒頭の文章からも分かる通り、主人公の「私」は自尊心に押しつぶされている。そんな思想と行動で甚だ見るに耐えない醜態を晒し続けて、読み進めながら思わず「バカだなあ」と言いたくなる行動を連発する。そんな青年である。

 本作は一貫して主人公の一人称で語られている。なので主人公がすごく特殊な人間に思えるのだが、読んでいる途中で「おや、これは他人事ではないぞ」と思い、読み終えると「もしかしたら主人公は自分だったかもしれない」と思わされて胸に突き刺さる。そういう人は古今東西に山ほどいるのではないだろうか。

 これに共感すると人は、多かれ少なかれ自尊心のせいで失敗した経験がある人が多いのではないだろうか。

 自尊心というのは、一見すると自信や成功体験によって成長するように思われるが、実際は自信の喪失や挫折経験を餌にして肥大化することの方が多い。

 特に本作の舞台ともなっている大学時代というのは、あらゆる可能性に開かれている反面、自分個人の可能性の限界を思い知らされる時期でもあるので、人によっては挫折のオンパレードが待ち受けている。
 そうして思うようにいかないことが続き、これ以上は自分を傷つけまいとする防衛本能が自尊心を働かせてしまうと、元恋人のことが好きで好きでたまらないのに、決して自分ではそれを認めようとせずに正直な感情を押し殺し、アンビバレントな感情を拮抗させて、最終的にアホな行動に出てしまう本作の主人公のようになるのだ。

「あの頃の自分はバカだった」
 そう言って昔の自分を切り捨てることは簡単である。
 しかし、せめて自分だけは、あの頃の自分の味方になってやってはどうだろうか。
 そうでなければ、挫折ばかりを経験して、もはや未来に期待するしかなかった当時の自分があまりにも可哀想ではないか。

 太陽の塔を読み終えたときには、過去の自分すら愛おしくなり、抱きしめたくなるようになる。少なくとも筆者はそう思うのだった。

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